ミッドナイト・トレンディから見るSnowManの“別れ方”

2022年末のCDTV。ONEPIECEオタクとしてウタちゃんを観ようとテレビの前に鎮座していたら、ワイプの中で全身を使って愛に暴れている明るい髪のアイドルがいた。
アイドルとは……? と、思わずGoogleに問いかけてしまうほどの情熱に溢れた彼の名前は、佐久間大介。そして彼が所属するグループが、SnowMan。あぁ、そういえば数年前に観た嵐の番組で、相葉ちゃんが「SnowManって冬しか活動できないの? 」と天然発言をかましていたっけ。そういえばそのとき、千本桜でえげつなくアクロバティックなオタ芸をしている人がいたな……? 彼か……! あれ? 若返ってない? やっぱりアイドルって逆玉手箱所有してんのかな。

なんて、小さな好奇心の種を植えた昨年がもはや懐かしい。同じように、ウタちゃんのせいで紅白歌合戦を視聴した私は、まんまとSnowManにハマった。ジャンボリミッキーとブラザービートのせいだ。最初は「9人って多くない? 」と思っていたのに今では「No.1が9人集まってる!? キセキの世代じゃん!? 」と叫びながらペンライトを振っている。残念ながら未だにペンライトは届いていないが。
金欠に金欠を重ねたお財布事情であるくせに、最推しの誕生日にファンクラブ入会してしまったし、アルバムもライブの円盤も全形態買った。ライブチケット争奪戦の頃はまだ「そ、そんな私なんかの熱意で倍率を上げるわけには……! 」なんていうよくわからない方向のツンデレをかまし、応募しなかったくせに、ライブグッズはしっかり購入した。(まぁそもそもファンクラブに入っていなかったため、応募しようにも一般しかチャンスはなかったのだが)。滝沢歌舞伎はしっかり映画館に通ったし、アクスタもパンフレットもステージフォトも購入した。
認めよう、さすがに立派なオタクだ。

そんな私が、超記念日に購入した円盤。なんかよくわからないけど、CDショップでおじさんの描かれた紙を渡したら、店員さんが快く渡してくれた。つまり実質無料でこんな最高な贈り物を貰えたわけだ。
「SnowMan Live tour 2022 labo」。なぜか推しの誕生日に、プレゼントをもらってしまった。なるほど、三次元のアイドルという推しは、よくこういうバグを起こしてくれるらしい。ありがたいことこの上ない。
実際、円盤のフィルムが擦れて剥がれてしまうんじゃないかと心配になるほど、何度も観てしまっている。今こうして文字を綴っている眼前にも、「ガラライキュ! 」が流れている。ご存知、高等な幼稚園のお遊戯会だ。

ちがう、ちがうんだよ。今日の本題はちがうんだよ。
noteで初めてSnowManの話をするから、ちゃんと自己紹介からしようと思ったら、全力疾走で紆余曲折してしまった。

「スノラボ」で私が1番発狂した楽曲。そんなのもちろん全部に決まっているのだが、喉が潰れるほど声なき声で叫び散らかしたのは、「Tic Tac Toe」と「Toxic girl」と「ミッドナイト・トレンディ」だ。……多いな、全然絞れていない。さすが優柔不断なオタクだけある。当初は最推しである佐久間さん表紙の雑誌しか買わないと決めていたのに、いつの間にかこーじもあべちゃんも家にいるのは、こういう気質のせいだろう。気が多いのはもう性だ。しょうがない。
と、また脱線した。今回はとりあえず、「ミッドナイト・トレンディ」のそれぞれの良さについて語ろうと思って、筆を取ったのだ。

「ミッドナイト・トレンディ」。まずスノラボ発売前に、SnowManのYouTube、通称すのちゅーぶにあげられた。これは本当に正真正銘の無料で観られる。……なぜ? やはりバグが起きている。映画館で流してももとが取れる作品だぞ……?
この「ミッドナイト・トレンディ」、別れを前にした恋人に対する切なく哀愁溢れる恋歌なのだが、とにもかくにも懐かしさすら感じる世界観に、SnowMan全員の眩いほどの表現力が流れ星のように美しくマッチングしている。全員のフェミニンな色気を、肌を隠した上質なスーツがより一層引き立てる。
そんな世界観や切々とした歌詞もさることながら、私はこの作品を何度も何度も繰り返し観ているうちに、ひとつのことに気付いた。「もしかしてこれ……それぞれがどうしようもない別れを前にしたときの反応を、表現しているんじゃないか……? 」

半年ハマっていればわかる。SnowManと書いて自己プロデュースの鬼と読むことを。
そんな彼らが、どうしようもない別れを前にしたときの反応という感性を、自分たちの表現に繋げたそのパフォーマンスを、どうしても自分の言葉で語りたくなったのだ(ようやく本題です)。

というわけで、ひとりずつ語っていこうと思う。とは言っても大きく分けて3つのタイプがあるので、タイプに分けて書き殴っていく。

①縋るタイプ

・佐久間大介

最初に最推しを持ってくるのはどうかと思ったが、まぁ彼自身切り込み隊長なので致し方がない。そんな切り込み隊長が最終兵器とシンメに評されているのもまた一興なのだが、それについて語ると広辞苑がライバルになってしまうので、また今度にしよう。

佐久間大介。SnowManが誇る切り込み隊長で元気印。いついかなるときも太陽と言わんばかりの笑顔を満面に浮かべ、かと思えばダンスナンバーでは雷鳴のように情熱的に弾け飛ぶ。
そんなギャップこそ“他担狩り”と呼ばれる所以であり、他のメンバーからハマったファンも彼の魅力に捕われて佐久間担となった人は少なくない……。まぁ私自身新規だし、統計を取ったわけでもないのでわからんけども、おそらく、きっと、たぶん、Maybe、そうなのでしょう。
まぁ個人的には初っ端から佐久間大介の魅力に狩られ、その苛烈な魂に惚れ、月から太陽に変身した、慈愛と包容力の化身に魅了されまくっているのですが。やっべまじで佐久間さんについて語ったら終わらねぇぞ、卒業論文になってしまう。学部的に卒論書いたことないんだけどさ。
SnowManについてだったらどれだけでも書ける気がする。ビッグマウスとかではなく、まじで、本気で、信じてくれよ。

まず、すがりつきタイプに区分したが、彼の「ミッドナイト・トレンディ」におけるパフォーマンスを見る限り、ひと言で評するならば「あなたの明日にいさせて」である。
子どものように素直かつあけすけな感情が、表情や歌声のすべてに溢れている。今にも涙を流しそうだとすら思ってしまう。だれか彼にあたたかい毛布を。あ、いや、バチボコ汗かきそうなアクロバットをしているので、実際にはあたたかい毛布よりも水分とタオルが必要なんだろうけども。
でも、そう思ってしまうほどに、彼の表情は切なげで心臓が締め付けられるのだ。庇護欲とはちがう、自分の中になかったはずの切ない記憶が呼び覚まされるような、没入させられるほどの露出した強い感情。畏怖すら覚える美しい表現は、まさに憑依型佐久間大介の真骨頂とすら言える。目に涙すら浮かんでいるように見えるのは、きっと錯覚じゃあない。
避けることのできない別れを前にして、必死に縋り付く姿は色気に溢れており、最高以外の言葉を失ってしまう。あなたの未来にいたい、あなたの明日にいたい、いやだ、別れたくないよ、思い出にしたくない。そんな彼の悲痛な想いは最後までファルセットとして、視聴者の耳の奥に残る。

・宮舘涼太

国王、宮舘涼太。「ミッドナイト・トレンディ」における彼のロイヤルさももちろん健在で、ネオンに負けることなく優雅に光り輝いている。歌詞の全てに強い意志を込めて歌う彼のパフォーマンスは、一見気丈に振舞っているようにすら見えるが、少し乱れた髪と汗と、なによりもその眼光の強さが、この別れを強く惜しんでいることを主張している。

舘様って本当に立ち居振る舞いから気品に溢れていて、自分のいる場所をレッドカーペットにできる強い存在感の持ち主。「ミッドナイト・トレンディ」はまた衣装が煌めいた黒と赤い薔薇という、これまたハンサム気質な衣装だからこそ、舘様の物憂げな表現がよく似合う。
それでいて「ミッドナイト・トレンディ」の舘様には帽子を被らせなかった英断よ。お陰で髪の毛が雄弁に彼の感情を物語っており、優雅な所作や雰囲気だけでは隠しきれない必死さが滲み出ている。

そんな舘様のパフォーマンスは、「せめて今日だけはそばにいさせて」。なんかそれこそ楽曲の雰囲気にあてられて、昭和歌謡のサブタイトルみたいになってしまっている気がしないでもないが、まぁそんなことは大した問題じゃあない。
別れに対して諦めなどは微塵もないが、去り行く相手を抱き締められるほど、想いに忠実でいられもしない。相手の中ではずっと、余裕のある大人でありたいから。
それでも別れたくない、このまま終わらせたくない、という想いはどうしても溢れてしまい、彼の手は遠慮がちに相手の服の裾をつまむ。引力すらない彼の小さな所作は、危うさすら感じる純粋な愛情。うっすらと滲む薄氷のような宮舘涼太の素直な想いを汲み取り、相手もその日だけはそばにいることを選んでしまう。
「そばにいて」というたった5文字のいじらしい願いすら口にできなかった、優雅かつ上品な大人の彼。そんな彼の表情を彩る汗は、涙の代替品なのかもしれない。

②縋ることもできないタイプ

Type:A(静かに受け止める型)

・向井康二

お馴染み、片想いボイスのあなた迎えに行く王子向井康二です。片想いボイスとはなにか。彼の歌声のことです。
向井康二の歌声、声帯の主張は強いのにどこか儚くて品がある。ちなみに目黒蓮はストレートボイスで、渡辺翔太は悲恋ボイスなのですが、まぁそれはまた追追……。こーじの歌声は、語りかけるようなソフト感があり、どこか甘くて淡くてそれがまた儚さを漂わせる。
そしてまたラブソングを歌うときの彼の表情が、片想い感を強く演出するんだ……! 彼の視線の先を追ってもだれかいるわけではないと理解しながらも、その先には叶わない恋慕を向けた相手がいるのだと錯覚してしまう。それほどまでに切なく、それでもきっとその相手が振り返れば、彼は柔らかく笑うだけで想いを告白することは無いのだ。
そう、目黒蓮のストレートボイスとちがい、向井康二の片想いボイスは「幸せになって」という相手主義すぎる願いが込められすぎている。思わず二重に「すぎる」を使ってしまったが、それほどまでに彼の声は願いと儚さに溢れているのだ。そんなに願って……! お前が七夕なのか? 彦星なのか? 織姫なのか? しょうがねぇな私が天の川になってやるよ(またしても脱線)。

そんな向井康二の「ミッドナイト・トレンディ」に題をつけるならば、「幸せにしてあげられんで、ごめんな」。謝るな!!! そんな顔をするな!!! だれか彼にメンタルサポーターを!!!
向井康二の歌声は言うわけです、「別れを選択させてごめん、幸せな未来を思い描けないようなおれでごめん、今までありがとう、君の幸せを願っているね」。眉を下げて、でも涙腺が刺激されるほどに美しい微笑みでそう言う彼が目に浮かぶ。別れを目前にしても微笑む彼の姿は、ある意味で気丈と言えるかもしれないが、舘様たちと違うのは「あえてそう振る舞うこともしない」点。
もう向井康二の中では、別れを切り出されたときから「ごめん」という謝罪で埋まっているわけです。だから引き止められないし、気丈に振る舞うこともしない。言うなれば、「思い出にすらなろうとしない」。「もう過去やもんな、こんな過去にさせてごめんな」と、困ったような、かつ穏やかな笑顔でその背中を見送る。
別れを切り出した相手からすれば、もっと縋ってほしかったとすら思うその微笑みの奥には、どうしようもない滂沱の涙があり、彼はきっと相手の姿が見えなくなってからさめざめと泣くのです。でもその姿を、楽曲の中で見せることは無い。涙を堪えるかのように響く彼の「ふたりきりで」が、心に滲み入る。

・渡辺翔太

悲恋ボイス、渡辺翔太。SnowManが誇るメインボーカルのソロは、まさかのサビまでなし。なりを潜めるかのように表情で歌詞をなぞる彼の所作は、淡白にすら見える。それでも伏し目がちに流れる風を目で追う姿は、どこかジトッとした粘り気を帯びており、まるで感情を整理しているようだった。

そもそも、渡辺翔太の歌声は悲恋というたった2文字で表すには、もったいない逸物である。新雪の中に浮かぶ一筋の血、きめ細やかなシルクに走る1本の切り傷、深夜の空で静かに輝く三日月。美しい究極体という正確でよく通る歌声に込められた、渡辺翔太という感情に溢れた表現力が、究極体をより一層神秘的なものへと姿を極める。
なんか唐突にラブレターを書いているような気分にすらなってきたが、まぁそうだと言っても過言ではないだろう(まぁまぁ過言ではある)。渡辺翔太という存在はどうしようもなく庇護欲を掻き立てる天才である上に、その魂のこもった表現は、生半可な庇護欲を跳ね除ける強さがある。

そんな渡辺翔太の「ミッドナイト・トレンディ」における別れ方は、「早く明日になればいいのに」。別れを前にすれば、どうしようもなく寂しくて、でもそれを表出させられるほど素直にもなれない。もちろん縋ることもできなければ、ひとりになって涙を流すこともできない。ただ控えめに目を伏せ、眉間に柔らかくしわという線を入れる。
まるで喧嘩して後に引けなくなった幼稚園児のようにいたいけな表情を浮かべる渡辺さんの頭にあるのは、「早く明日になればいいのに」という純粋な想いではないかと思ってしまう。決まってしまった別れは、時間になれば訪れる。明日になれば気が変わってまた隣にいる未来もあるかもしれないけれど、今日の車の中でそんな未来を思い描けはしない。
だから早く明日になってほしい。そして明日になれば、また同じように明日を欲する。そうやって思い描く未来に、小さな傷をつけ続けることで、今日の傷に慣れていく。切ない……! 翔太……! 翔太の歌声だけでこんなに考えちゃってごめんな……!

そもそも「ミッドナイト・トレンディ」は、別れを前にして初めて、相手との見ている未来が違ったことに気付き、比較的晴れやかな気持ちで別れる楽曲だと解釈しているのだけれど、今のところ誰ひとりとして晴れやかな気持ちではお別れできていないな……?
それで言うと、渡辺さんは見ている景色が違うことに気付いた途端、そっと諦めそうなんだよな。歩幅を合わせて気まぐれに付き合えるほど器用でもいられず、押し切って一緒にいる未来を掴み取るほど強引でもいられない。
ただ静かに現実を噛み締めて、薄い唇に噛み跡を残す。

Type:B(気丈に振る舞う型)

・目黒蓮

何気に1番傷付いているタイプ。真正面に迫ってきたダメージに対し、切なさを滲ませながらも比較的晴れやかな表情を見せている。
なんと言うか、目黒蓮ってまじで表情の天才。表情管理とは違って、純度100%の感情を余すことなく表情で伝える才能がカンストしている。だから映画やドラマといった映像作品が似合うし、あの逃れようのない直情を浴びたら誤魔化すことができなくなってしまう。
だから「冷徹でありながら柔らかくて純粋な愛情に身体が突き動かされる軍人」とか「太陽のように燦然と輝く、近付いてはいけない眩しさに溢れた世界一のワガママ男」とかが、どうしようもなく似合う。隠そうとしても溢れる感情を100%さらけ出せてしまうからこそ、ちょっと微笑んだだけで相手が逃げられない圧倒的存在感を誇る感情にクラクラする。

そんな才能を持つ目黒蓮の歌声は、まさにストレートボイス。感情を一直線に音に乗せた歌声は、とにかくラブソングが似合う。伝説の「One love」は全視聴者に「恋に落ちる音」を自覚させたし、「タペストリー」ではその歌声だけでファンの心臓を強く抱擁した。
そうか、想いを伝える愛の告白ソングが彼の本領発揮区分なのか……と思っていたのもつかの間。失恋ソングも強いのかよ。切々と想いを歌い上げる姿は涙を誘い、ない思い出を掻き立ててくる。
「ミッドナイト・トレンディ」は相手と見ていた景色が違っていたことに気付き、それでも気まぐれに今日しか助手席に座ってくれない相手を前に、気丈に振る舞う。そこには、格好良く見られたいとか思い出を綺麗に彩りたいなんていう外見的な理由は少しもなく、ただ悔しいから、後悔が大きいから、そう振る舞っている。

鮮やかな後悔に眉をひそめ、甘い眼差しに目を蕩けさせる目黒蓮は、「あなたの好きな姿でいる」ように見える。別れを前に、どうしたらいいかわからない。右往左往して縋りつく道もあるが、めめは佐久間さんみたいに受け入れられていないわけではない。
だからこそ、ただ「あなたが惚れてくれたことのある姿」で、変わらぬ愛を伝える。その姿に明日への期待や、思いやりは薄い。目黒蓮のまっすぐすぎる感情表現は、優しくて甘くて蕩ける強さがあるけれど、同時にそれを受ける相手のキャパを考えていない。
どう思われようと、どんな最後を迎えようと、変わらぬ愛で想いを紡ぎ、「簡単な最後にはお似合いなふたりだね」と喉を震わせる。一貫しためめの愛し方は、音楽という芸術に似合う。

・深澤辰哉

いい意味で目立たない、「ミッドナイト・トレンディ」の深澤辰哉。ひとりずつマルチアングル映像を観た上で、改めて思う。パキッとした色味の衣装が多い中で、淡めの色合いのスーツに身を包んでいるからだろうか。
その姿はまるで昼の空に浮かぶ月のようで、彼の持つ強烈な色香もなりを潜める。それはきっと、彼なりの処世術ですらあって、別れを前にしても飄々と視線を揺蕩わせる姿は、いつかフェードアウトしていってしまいそうな儚さすらある。

深澤辰哉の魅力は、その圧倒的リアコ力。視線も声色も湿度が高めで、ヒーリングミュージックとかにある心地よい雨の音のような柔らかさがある。その柔らかさが心の琴線に触れて、優しく包み込んでくれる。なぁどこで手に入れたんだよ、その能力。
包容力や全肯定というわけではないけれど、深澤辰哉の人を見る力や欲しい言葉をくれるスキルは、本当に細やかで丁寧でナチュラルで惚れてしまうよ……。いきなり人間性の話しちゃったな……なんでだ?

とにもかくにも、深澤辰哉はなぜか「のらりくらり」という言葉が似合う。普段は飄々と波間を漂うようにして存在感を薄めているのに、ちゃんと欲しいところで手を伸ばしてくれる。
相手を見ていないわけではなく、むしろちゃんと気に留めている。でもそれを表に出すことはしない。たとえ別れが目の前に迫り来ていたとしても。
別に飄々としている自分が格好良いと思っているから、とか、綺麗な姿で思い出に残りたいから、とかいう理由ではなく、「今までもそう生きてきたから」。ある意味で打算的であり、本能で生きているとも言える。本能で人の感情の機微を読み取り、欲しい場所にボールを投げてコミュニケーションを取ってきた彼は、別れにおいても同じように対処してしまう。

そんな深澤辰哉の「ミッドナイト・トレンディ」、まさに「今までありがとね」の一言に尽きる。尽きてしまう。それ以上でもそれ以下でもない。
別れを彩りたいわけでもなければ、別れたくないと縋りつくわけでもない。寂しさを滲ませることもせず、名残惜しそうに眉を垂れさせることもしない。ただデートの帰り道に楽しかったことを回顧するように、穏やかに微笑むだけ。
姿を消せば残り香すら残してくれないであろう彼は、明日になったら完全に思い出の中でしか姿を現してくれないのだろう。そんな彼の生き方に小さな傷すら残せなかったことは、きっと相手に一抹の寂しさを生み出すのだろうけど、それこそが彼の本望なのかもしれない。
昼の空に浮かぶ月のように穏やかで、夜からフェードアウトしていく姿は、ただひたすらに優しくて、気付けば深澤辰哉の沼に堕ちてしまっている。

③思い出になるタイプ

・阿部亮平

1番のダークホースはお前だよ、阿部亮平。そもそもこれを書こうと思ったのは阿部亮平のせいなので。責任取ってほしい。とりあえずあざとい警察に逮捕されてくれ。
自己プロデュース力の鬼が揃うSnowManの中でも、阿部亮平という人格を徹底的に研究したんか? というくらい完璧にプロデュースしている完璧アイドル阿部亮平。ハマったばかりの頃は正直全然顔と名前一致していなかったメンバーのひとりなのに、いつの間にか滝沢歌舞伎の単独ステージフォト買い漁るくらいには推してるよ……。
阿部亮平、ただにっこりと微笑むという表情だけで、数多の種類を持ち合わせている。恐ろしい男。
あざとい、という言葉が似合う笑顔のときもあれば、嫣然という単語が辞書から出てきたかのような笑みを浮かべることもある。誘惑するように微笑んだかと思えば、冷徹かつニヒルに嘲笑うこともある。そのたびに揺れ動く三白眼はぞっとするほど美しく、彼がコントロールしている感情の奥に、確固たる阿部亮平という人格を覗かせてくれる。

まるで「アイドル阿部亮平」には必要なスキルだから、とでも言うように、たくさんの技術を持っていることを小出しにしてくれる阿部亮平。示威するわけでもなく、ナチュラルに微笑みながらアイドルでいてくれる彼は、本当に眩しくて愛おしい。
スポットライトを浴びるために、きっと想像できないほどの努力をしていて、でもそれを誇示することは彼の美学に反するから、まるで元から持っていたスキルかのようにちらちらと少しずつ見せてくれる。応援すればするほど見せてくれる彼の柔らかい人間性は、まるでご褒美の甘い蜜のようで。
私はその様を、花のようでありながら捕らえて離さない蜘蛛のような妖しさも持ち得ていると思うのだけれど、この話を深めていくとラブレターになってしまうので、とりあえずこの辺の話はまた今度にしよう。

そんな阿部亮平の「ミッドナイト・トレンディ」をダークホースだと称える理由。それは彼のパフォーマンスが「あなたのアルバムを飾る準備はできているよ」だから。
「ミッドナイト・トレンディ」を観てもらえればわかるのだけれど、9人で同じ歌を歌い、踊り、表現しているはずなのに、まるで阿部亮平だけ違う楽曲を舞っているかと錯覚するほど、にこやかで満足げ。愛しい人との別れを前にして、どうしてそんなに満足そうな笑顔を浮かべられるんだ……? ひとりだけ結婚式当日みたいな表情を浮かべているのはなんでだ……? 当然そんな困惑が浮かぶ。
そして楽曲が進むにつれて、困惑が仮定になり、確証に変わる。あぁ、この男の中ではもう全部“過去”なのだ、と。
相手との最後まで考えて愛し尽くしていた彼と、一時の夢と気まぐれに捉えながら彼の手を取っていた相手。見ていた景色が違っていたことに気付き、思い出と未来に翻弄されながらも、別れを選ぶふたり。そんな「ミッドナイト・トレンディ」のストーリーの中でも、賢い阿部亮平という男はきっと段違いに早く気付いていた。“相手と見ている景色が違う”ことに。
きっと気付いた段階で、阿部亮平はスイッチを切り替えたのだろう。いつか来る別れに備え、彼は綺麗な思い出になることを決めた。だから決定打として別れを切り出されたとき、彼は艶美に微笑み、後ろ髪の1本すら引かれない爽やかな表情で相手の言葉を肯定する。
きっと別れてからも相手が思い出を回顧するとき、とても美しく穏やかなものばかりなのだろう。別れの寂しさや、落涙するほどの切なさなど、全く残っていない。晴れやかで前向きな笑みを浮かべる阿部亮平を思い出し、春色のアルバムは相手の中で延々と温もりを与え続ける。

深澤辰哉のフェードアウトと違い、阿部亮平は意識して思い出を彩る。相手の中で美しい思い出となる道を選び、思い出の完成度を高めるためならば未来への執着など残滓ほども無い。
1度そう考えてしまうと、彼の笑顔はぞっとするような畏怖を帯びているように感じられてならないが、それに気付いたときは既に阿部亮平の魅力に取り憑かれている。

・ラウール

おかしい……。ラウールと言えば神に愛された造形美で、歩いたところをランウェイにしてしまう才能の持ち主な、今日本一彫刻として彫らせてほしいモデルNo.1のはず……。
なのにSnowManで見ると、あまりにも末っ子天使だし、あどけないし、とにかく愛らしいの権化すぎる。そりゃあお兄ちゃんたちはラウール親衛隊になるわ……という全力投球な愛らしさ。そんなみんなに母性本能を抱かせたラウールと言えば、つい先日20歳になりましたね……おめでとう……早急に祝日認定しなくちゃな。
大輪の華と呼ぶにふさわしい華やかな存在感を持ったラウールは、たしかに圧倒的センターである。一番星を背負った輝かしさは目を惹く強さがあり、楽曲の冒頭で表情をつくるだけで、その楽曲の世界観を一瞬で演出できてしまう。
その一方で、SnowManのセンターのcuteな天使ことラウールは、決して高飛車ではない。すべてを吸収する貪欲なまでの好奇心で次々と新しいことに挑戦し、経験を増やし、自分のものにしていく。その姿はあまりにも眩しいが、ラウールが末っ子として愛される所以はそれだけに収まらない。

ラウールはとにかく、あどけない。キレキレのパフォーマンスのときは、「未成年って何歳……? 」となるほどフェミニンかつ精力的に踊ってみせるのに、“自分のキャラクターを活かす”パフォーマンスに長けた彼は、その節々にちらりと年相応の素直な表情を見せる。なんというか、それがたまらない。……いきなり語彙力なくなったな。
たとえば全世界を震撼させるにふさわしい完成度と世界観を誇る3rdアルバムのユニット曲「Bass Bon」では、感情という“異物の侵食”に怯えながらも、知的好奇心を隠し切れないAIを表現しているようだった。リード曲「あいことば」では柔らかい笑顔で、グループ1の長身を思わせないようなあたたかさをまとい、かと思えば「POWEEEEER」のような快活的な楽曲ではだれよりも愛らしくかつ楽しげに手を振ってみせる。
“ラウール”という人間性と、グループ内での立ち位置を上手く活用し、それを表現に繋げている。自己プロデュースというひとつの単語で言い切ってしまえば簡単だが、ここまで緻密な作業をこの年齢でこなしているその手腕、シンプルに脱帽する。

と、またまたラウールべた褒めプレゼンが始まってしまったが、そんなラウールの「ミッドナイト・トレンディ」は「あなたのそばにいられて、楽しかったよ」と微笑んでいるように見える。
ラウールはまだ、あべちゃんほど思い出にする覚悟ができているわけでもなければ、意図的に演出しているわけでもない。心境としては、恐らく“別れの大きさを受け止めきれていない”というところだろう。
それでも無意識に、彼の口角は優美に上がる。切り替えはできずとも、意識の外側で「思い出を美しく飾ろう」と働いてしまう。もちろん縋ることも、フェードアウトも、気丈に振る舞うこともしない。ただまっすぐに感謝を伝え、綺麗な思い出となるべく相手の背中を見送る。
恋愛の駆け引きや打算はなく、本能からくる「思い出の中で美しくいたい」という希求が、彼にそうさせる。数年後、酸いも甘いも数え切れないほど経験したならば、あべちゃんのように吹っ切れて綺麗にスイッチを切り替えるのかもしれないが、今はまだ別れの大きさを隠したいという思いの方が大きくて、自分の奥底に眠る本心からは目を背けていられる。
何年後かにまた「ミッドナイト・トレンディ」歌ってくれないかな……。たぶん1番変わるのがラウールだと思う。
パフォーマンスを観た後も、ラウールの優美な微笑みは頭から離れない。これはきっと、もう既にファンの中で思い出という衝撃に残っているという意味なのだろう。

④思い出にすらさせないタイプ

・岩本照

きました、1番の問題児。問題児という表現が合っているかは知らんけども、自分で「30ちゃい」という子は児で合ってるだろ。
身体や表情のいかつさに見合わず、愛らしくて等身大な感情を持つ岩本照。SnowManイチ嫉妬深いことはもはや有名で、本人も自覚済み。
そんな彼の表現は、感情の大きさや重さを感じさせないほど、スタイリッシュなことが多い。音ハメも最低限の動き、歌声も安定感がある。その悠然とした姿勢は、まさにリーダー然とした泰然自若たる余裕があり、背中の大きさを感じる。別に後ろを向いているわけでもないのに。彼こそがリーダー、すぎるので、もはやパイレーツ・オブ・カリビアンの“彼こそが海賊”をバックに流してほしいくらい。どういうこと?

まぁつまり、それくらい余裕のある大きな背中の持ち主がなせる表現は、とにかくスタイリッシュで美しい。そしてそのパフォーマンスは、ラブソングにおいて一見淡白にすら見える。
もちろん岩本照のパフォーマンスは、余裕があってスタイリッシュなだけではない。素直な想いを歌う楽曲のときは、その表情筋が流動的なまでに働く。カッコ良さが映える楽曲のときは、感情が破裂するかのように彼の情熱が炸裂する。
それでも、ことまっすぐなラブソングとなると、そのどちらもがなりを潜めることが多い。その静けさは、どこか寒気がするほど。

しかし泰然たるパフォーマンスの中で、ちらりと光るものが、岩本照の穏やかな微笑みである。帽子の影に隠れる湿度の高い流し目、切なげに撫でるような手つき、一瞬現れる力強い拳。どれを取ってもどこか温度差を感じる岩本照のパフォーマンスは、ひと言で言えば“彼らしい”とも言える。
「ミッドナイト・トレンディ」で唯一帽子を被り、雄弁な双眸を隠した岩本照は、「いつでも帰っておいで」という心情なのかもしれない。いや、ごめん、正直言葉にするとちょっと怖い。でも嫉妬深く、どこか重い感情をじとりと感じさせる岩本照には、似合いと言えるのでは……?

決意として固まりきってしまった別れを前に、穏やかな笑みをたたえるという意味ではあべラウと似ているのだが、そこにはふたりのような爽やかさはない。
憂いを感じる湿度を帯びながらも、涙を落としそうな危うさがあるわけでもない。ただ雨水が滲み込むかのように、彼の表情には穏やかな受容が漂う。
諦めたわけでも、別れを別れとして受け止めたわけでもない。衰えることのない相手への恋慕を枯らせる気などさらさらないまま、「いつでも戻っておいで。気まぐれな君の帰る場所は空けておくから。」と柔らかく微笑む。なんだそれ、沼すぎるだろ。
「都合のいい男にしていいよ」はリアコ製造機向井康二の台詞だが、ある意味で「ミッドナイト・トレンディ」の岩本照は都合のいい男と言える。その立場を甘んじて受け、気まぐれな相手を愛し抜き、だからと言って自分の愛し方を変えるような器用な真似はできず、思い出となって飾られるほど切り替えられず、縋れるほど自分を捨てられもしない。はぁ……不器用ながらも実直で最高だよ、岩本照。
別れようと言われれば肯定するが、それは別れを受諾したわけではない。気まぐれな相手の“今”の願望を叶えるため。愛し続けて自分の中では終わらせないのはこちらの勝手だから、と、柔らかく涼しげかつ軽やかに微笑み、舞う姿は、恐ろしいながらも陶然としてしまう。

ねぇ、数えていないんだけど、これってもしかしてだんだん長くなっていない????

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