「タペストリー」って9色あんねん。

おかしい。次にこういうのを書くとしたら、マルチアングルが確約されている「クラクラ」か「KISSIN' MY LIPS」だと思っていたのに。それもこれも、すのちゅーぶ公式さんがiDOMEドームツアーの「タペストリー」を上げたからだ。

そもそも、火曜日にすのちゅーぶ予告ショートが上げられなかった時点で、スノ担は覚悟していた。すのちゅーぶの新作動画が上げられる水曜日の前日、火曜日に予告ショートが上げられない。それはつまり、MVやライブ映像が投下されることを意味するから。
TLは沸き立った。マルチアングルが確約されている「クラクラ」か、自己紹介ラップの「Nine snow flash」か、「slow...」か……! まぁ9割9分「クラクラ」だろうと固まりつつあったスノ担のTLに投下された、まさかの「タペストリー」。
目黒蓮初単独主演映画「わたしの幸せな結婚」の主題歌にして、一途な愛を切々と歌い上げたバラード「タペストリー」。リリース時はカップリング曲の「W」との温度差で、よくテレビの前のスノ担に風邪を引かせたことで有名な、「タペストリー」。
超個人的な話だけれど、「わたしの幸せな結婚」公開当時、私は映画館に勤めていた。前売り券やパンフレットは売り切れ続出、目黒蓮のうちわを持って観に来ていたお客さんも居た。そんなSnowMan旋風を目の当たりにしながら、私は職務中、ちょこちょこエンドロールに流れる「タペストリー」を受動喫煙しに行っていた。公私混同、職権乱用である。ゆるしてほしい、仕事に支障は来たしていないし、ちゃんと出てくるお客さんの対応だってした。さすがにラスサビ入りの自担のソロで話しかけられたときは、下唇を噛んだが。

そんな思い入れもある「タペストリー」。気合を入れて聴くに決まっている。私は姿勢を正した。
が、あいにくすのちゅーぶにiDOMEの「タペストリー」が投下されたとき、私は献血センターのベッドの上だった。なんでだ、なんで私はすのちゅーぶが上げられるとわかっている時間に、腕に針をぶっ刺して血液を差し出しているんだ。さすがにこんな状況で、自ら血液を沸騰させるわけにはいかんだろ。看護師さんにびっくりされるわ。
というわけで、私は泣く泣く献血が終わるのを待った。とは言えオタクなので、ちゃんとTLはチェックする。
なになに、「ふかさくやばい」。……なんだと? 「体調悪くなってないですか? 」タイミング良く看護師さんに訊かれるが、むしろ体調はすこぶる良い。ただ情緒は全くもって大丈夫じゃなかった。

“ふかさく”。言わずと知れた、SnowManのツートップ、深澤辰哉と佐久間大介の最年長コンビだ。年齢は最年長、深澤辰哉に至ってはグループ内では阿部亮平と並んで歴も1番長い。だが年齢やキャリアが上だろうと、高飛車感は一切無い、無邪気で明るい、そして周囲の感情にとても敏いふたりだ。
最近では、佐久間さんがピアスを開けたいと言えばふっかさんと渡辺さん(最年長トリオの最後のひとり、バブい)ではやし立て、結局ふたりが佐久間さんの両耳に穴を開けたというエピソードでスノ担を存分に沸かせたわけだが……。そのふかさくが……やばい??

献血も終わり、看護師さんに言われる。「30分くらいこちらの休憩室でお休みくださいね〜。」つまり、私がここで「タペストリー」を浴びて血液が沸騰して倒れようが、いつでもナースコールで看護師さんを呼べるわけだ。よし、観よう(基本的に私は献血終わった後に階段ダッシュとかできるタイプの人間なので、こんなビッグマウスで居られます。良い子は真似しないでね)。

WiFiが繋がっていなくとも、私は自分の手がYouTubeのアプリをタップするのを止められなかった。今はとにかく、なにを捨て置いても「タペストリー」を浴びたい。半年前に何度も何度もスクリーンの出入口で聴いたあの名曲を、ライブではどういう演出でやったのか、1秒でも早く浴びたい。

結果、爆散。
神話のような神々しいセットに度々浮かぶ、人体だけ赤く光る照明。なんだその技術。わたしの知らない世界なんだが。
そもそも「タペストリー」は、9人9色で異なる感情から滲み出る“泣き声”で表現しているような恋歌だ。失恋に心破れた表現をするメンバーも居れば、恋の成就を勝ち取って永遠を誓う表現をするメンバーも居る。
普通なら、9人が違う表現をしていればちぐはぐに映り、違和感が目につき、楽曲に集中できないだろうが、SnowManは違う。メンバーのひとり、阿部亮平が語ったように「9通りの輝き方で、横に並んで同じ方向を向いている」。
9人とも全く違う個性だし、共通点があるメンバーの方が少ないけれど、だからこそお互いがお互いをリスペクトし合っている。そんな9人がひとつの楽曲においても(恐らく)解釈という足並みを揃えずに、各々の高い表現力で存分に舞っていられるのは、お互いに対して「おれは全力で輝くけど、当然お前もそうだよな? 」という喧嘩腰のラブコールを送っているから。
リスペクトと切磋琢磨が折り重なった彼らのメンバーに対する愛情は、闘争心に似た激情なんだろうな、と感じられる。
凄いよな、足並み揃えなくても、全員が全力疾走したら自然と横一列揃っているようなものだぞ? 1番美しい画が出来上がってるんだぞ?? さすがオンリーワンが9人揃った最高アイドルだわ。

なんて、話は逸れたけれど。

「タペストリー」におけるSnowManの、それぞれの解釈と表現の仕方、ライブ映像だとMV以上に如実に現れていると感じた。完全に所感になってしまうけれど、ひとりずつ語っていきたいと思う。

《得恋(両想いEND)》
あまり使われることはない言葉だけれど、要は失恋の対義語。恋が実る、恋が叶うという意味の単語である。
完全に所感だけれど、「タペストリー」を失恋ソングではなく“愛する人と結ばれた”ラブソングだと解釈しているのは、目黒蓮、岩本照、佐久間大介、宮舘涼太の4人だと思う。

《失恋(片想いEND)》
対して、「タペストリー」を失恋ソングとして解釈しているのは、向井康二、阿部亮平、深澤辰哉の3人。

《中間》
最初、渡辺翔太もラウールも失恋側に入れていたのだけれど、彼らの表情や歌声を聴けば聴くほど、どちらでもないように思えてきた。だから敢えて、中間、つまり“これからどちらにも転べる、片想いの途中”という立ち位置に置いた。

それぞれの「タペストリー」における立ち位置は上記のものだとして、それぞれがどんな感情から“泣き”、舞っているのか、完全所感私の解釈で語っていくので、よろしくお願いします。

《両想いEND》

・目黒蓮
まず、彼を語らずにはいられない。映画「わたしの幸せな結婚」で単独初主演を務め、見事TAMA映画賞などの栄えある賞を受賞した男。映画の主題歌だった「タペストリー」だって、彼がいなければSnowManが歌うことはなかったかもしれない。
そんな目黒蓮が「タペストリー」を歌うにあたって、当然彼が作中で演じた“久堂清霞”という存在は大きかっただろう。でもアイドル目黒蓮のすごいところは、役に呑まれることなくあくまでも“目黒蓮”として愛を歌いきっているところ。
「タペストリー」はまず、目黒蓮の歌い出しから始まる。心の琴線に触れる、目黒蓮のド直球ストレートボイス。「恋綴り 涙 風に揺れて、貴方を想って胸が鳴く」。感情の中にある涙腺が崩壊する瞬間である。
私は音楽で大学行った歌詞オタクなのだけれども、「タペストリー」が凄いと思うのは、まず「恋綴り涙 風に揺れて」までほぼ4つの音の進行しかないところ。だからこそ目黒蓮のストレートボイスが際立つのだが、演奏者としては正直目黒蓮に同情する。絶対的信頼が過ぎるぞ。
最初の音は指標としてイヤモニなどで出されているだろうが、それにしても怖すぎる。ましてやライブの映像を観れば、真っ暗な暗転した舞台からじわりと広がっていく照明、浮かび上がるSnowMan、目黒蓮のソロからのどアップ。怖すぎる。それなのに全く震えず、まっすぐに切々と“愛する人”だけを想って歌う目黒蓮。本当に怖いのはこの男だよ。
そして歌詞も怖い。冒頭の目黒蓮が歌う詞は「貴方を想って胸が鳴く」。“泣く”ではなくて、“鳴く”。つまり強く想うがあまり、痛くて苦しい想いをすることはあっても、彼は“泣いて”はいないのだ。どんなに苦しい想いをして、叶わないかもしれないと悲しみに苛まれようとも、愛に鳴き、一途に伝え続ける。まさに目黒蓮のド直球ストレートボイスにふさわしい歌詞である。

そんな目黒蓮の「タペストリー」は、「なにがあっても未来を一緒に歩もう」という強すぎる誓いを感じる。その誓いは、己も相手も雁字搦めに絡め取る強さがあって、でも目黒蓮の漆黒に光る美しい視界いっぱいに照らされれば、雁字搦めな誓いが至上の幸福になる。彼の視線と直情的な表現には、それだけの力がある。
恋と愛を同義に呼び、当然のように愛に一生を捧げ、まっすぐに無垢な笑顔で愛を語るように名前を呼ぶ。「孤独 終わらせに行こう」と行き手を阻む試練を乗り越え、「繋いだ手は解かない」と咆哮のように誓い、「一人を二人に変え」て相手の一生を愛で塗り替える。「孤独終わらせに行こう」で彼はなにかを掴んでいるのですが、なに掴んでるんだろうね。オタクの心臓かな? これからもギュウギュウに握り潰してほしいな。
目黒蓮の愛し方は一見、氷のように無愛想ながら、1度惚れれば身が溶けるほどの愛と信念で美世を守り抜いた久堂清霞と似ているが、清霞とは明らかに違う点がある。清霞は1度、愛する美世のために美世から離れる決断をするが、多分目黒蓮はしない。「繋いだ手は解かない」の強く叫ぶような言い方で、それを立証しているような気すらする。
もし、清霞としてあの節を歌ったならば、怒りと切なさをもう少し込めただろう。でも目黒蓮として歌うならば、自分と運命への怒りや、相手を想うが故の切なさは最低限。むしろ逃げようとする運命を掴み、絶対に離さないという意地すら感じさせる。
ある意味、子どもが親から離れたくなくて泣きわめくような、無垢で清らかで一途な感情表現。でもそんないたいけな感情も、目黒蓮という体躯を通せば、スクリーンや画面を飛び出す、どんな言葉も追いつかない、美しくてリアルな恋愛映画になる。
「恋綴り」というたった一節で、目黒蓮主演の恋愛映画の相手は自分だったんだな、とファンに理解させる説得力。やっぱり怖いよ、この男は。

・岩本照
ごめん、この男も十分怖い。
なにが怖いって、岩本照はどんな悲恋ソングも幸せそうに歌うんだ。無骨で寡黙そうと言われがちな、静かな眉根と雄弁な両目、そして薄く密やかな口もと。それらのパーツを最低限動かすだけで、ファンの心臓に鳥肌を立たせる。そんな力が、彼の表現にはある。
そんな岩本照の歌割りで印象的なのは、「永遠の愛と引き換えに」「全てを投げ出してもいいから」。9人もいれば歌割りなんてよりどりみどりだろうに、あえてここの歌割りを岩本照に振った人と、ぜひとも握手をしたい。解釈の一致が過ぎる。
ライブ映像の、このパートを歌っている岩本さんの表情、ぜひとも観てほしい。目をかっ開いて観てほしい。とにかく幸せそうに歌うんだよ。彼が笑ったとき特有の眦のシワを思わせる柔らかさ。まさに“陶然”という言葉が似合う表情は、彼の中にある恋愛という分野の幸せを全てかき集めて甘く煮詰めたようなとろみすら感じさせる。
「永遠の愛と引き換えに」ひとりだけ最低限の動きで喜びを浮かべる。みんなが苦難に暴れている中、ひとりだけ似た苦難をも喜びと感じているんだよな。
それでいて、「全てを投げ出してもいいから」と言った後の表情の移り変わりたるや。“永遠の愛”のためなら、自分の魂すらも差し出すが、“永遠の愛”ではないと自分の中で決定打になることがあれば、もう無関心一直線。薄い波紋のように妖艶な表情の移り変わりは、紅潮と寒気のどちらをも実感させる。愛情深くも芯が強すぎる、岩本照らしい恋愛観が見え隠れする表情管理。脱帽するしかない。

そんな岩本照の「タペストリー」には、「全てを投げ出す覚悟はとっくにできているから、お前も愛される覚悟を決めろ」という挑発すら感じてしまう。
愛のために全てをかなぐり捨てる行為を、心底幸せそうに歌う岩本照。離れた場所に居ても「貴方の鼓動が響いてる」と、溢れ出る愛情のせいで声が詰まる岩本照。「切なさや運命を 越える為、名前を叫んだ」と、恋い焦がれる青少年のようにあたたかい溜め息を漏らす岩本照。
また彼のパートが、舘様、ふっかさん、こーじといった“感情表現の波がゆるやか”なメンバーの後に来ることが多いから、尚更際立つんだよ。どれだけ溢れる感情に声を詰まらせようとも、岩本さんの芯は全くブレない。「覚悟を決めろ」。そう言いながら、あの切れ長で静謐な瞳で見つめてくる。でも同時に、相手が浮気したり、彼の義に反することをしたりすれば、「あぁ、永遠の愛じゃあなかったんだな」と静かに切り捨ててくるような、絶妙なバランスで保たれた大きすぎる愛。まるで度数の高い酒を脳髄に浴びたような倒錯的な愛情表現は、どんなハッピーエンドも蠱惑的な色に塗り替えてしまう魅力がある。
やっぱりちょっと怖いくらい愛に一途な役を演じる岩本照観たいよ〜〜!! 彼が目を伏せてうっすらと微笑むだけで恋に落ちるし、愛されるために当然腹を括るけども、どこか捕食されるような畏怖も感じてしまう、そんな岩本照の魅力を存分に活かした役、観たいよ〜〜!!
あと「愛のかたまり」などの激重ラブソングや、どうしようもなく泣かせてくる悲恋ソングもカバーしてほしいよ〜〜!!! 絶対岩本照はゾッとするほど柔らかい幸せそうな表情で歌い上げてくれるので……。

・宮舘涼太
ここまで散々怖い怖い言うてますけども、ホラーな話じゃないからね。少なくとも舘様は、目黒蓮や岩本照とは違う愛情表現を見せてくれている。舘様の愛し方って、シルクの布や柔らかい毛布みたいな感じだと思うから。
舘様のパートで印象的なのは、「いつでも」「居場所なら其処にあると 陽だまりに咲いた花」。先日、彼はバラエティ番組で「僕と深澤は、よくかっこの中を歌っているので、いわゆる“かっこ組”です」と言っていたけれど、私は結構本気で思う。“かっこ組”って、かっこを弾き飛ばすくらい魅力的な歌唱力を持つ組なんですよ……。
深澤辰哉のかっこの魅力については後々語るけれど、その言い方をするならば、舘様の「いつでも」はかっこの中にある。阿部亮平の「瞳閉じれば」を柔らかく覆うようなかっこだ。そしてその後に、先程語った岩本照の「貴方の鼓動が響いてる」と続く。
いわば潤滑油。形の違う、阿部亮平と岩本照の激情を繋ぐ、柔らかくも切なく、甘くも苦い接続。特に「タペストリー」における「いつでも」は、降りかかる雨粒のようなしとしととした静けさと、しんとした響きがある。
ライブではまさにこの瞬間、雨を降らせる演出があるのだけれど、これは正直賭けだと思った。何せこれはその前に目黒蓮と向井康二が歌う、「晴れている空なのに 雨が今肩を叩くよ」「居場所探す悲しみが 泣き出したせいかな」にかけた、ある種直接的な表現だから。
でもそのめめこじパートではなく、その後のあべだてパートで雨を降らせる。つまり「瞳を閉じた」上での想像上の雨ということが演出されていて、ファンに「この雨は心の中に降りしきる雨です」というメッセージを伝えているんだよな……。しかもその雨が止んで、ぱあっと光るのが渡辺翔太の強いサビ入り、「恋い焦がれ」。宮舘涼太の「いつでも」で降り始めた雨が、渡辺翔太の「恋い焦がれ」で止み、晴れ渡る。なんだよゆり組かよ、演出天才かよ。

そんな感情に降りしきる雨を表現する舘様の「タペストリー」は、「毎日貴方に花を贈るよ」というイメージ。花を贈るように愛を伝え、寒い日には毛布をかけて寄り添い、毎日に優しい愛の題名をつけてくれる。春のぬくもりを実感させるような愛し方は、感情も過去も未来も全部満たしてくれるだろうな。そんな彼の愛情表現を実感させると確信したのは、「居場所なら其処にあると 陽だまりに咲いた花」という歌詞パート。
残念ながらすのちゅーぶにあげられたライブ映像では、2番目の歌詞が歌われないパターンなのだが、とにかくここの岩本照→宮舘涼太のバトンタッチが印象的だからぜひ聴いてほしい。というか初日は「タペストリー」全部やったんだろ? こちとらTLで知ってるんだからな?? 円盤には絶対入れてくださいお願いします後生ですから。
ここの岩本さんの歌詞は「切なさや運命を越える為 名前を叫んだ」という強くて刺すような愛なのだけれど、舘様は「陽だまりに咲いた花のように、居場所は其処にあるんだよ」と優しく諭すように愛を歌うんだよ。この対比たるや。
岩本さんの愛が陶酔ならば、舘様の愛は抱擁。根気よく、諭すように、それこそ陽だまりにぬくもりを与えられ続けた感情は、静かにあたたかい愛へと育つ。おとぎ話もびっくりなハッピーエンドは、宮舘涼太という男の根気と漢気があってこそ。そんな柔らかい歌い方が続くからこそ、ラスサビ前の「互いが埋めるから」の節ばった決意が、耳の奥に重く残る。1サビの「轍照らす月明り」も、過去を慈しみながらも未来に手を伸ばす舘様を感じてしまうよ。
でもきっと舘様は、切ない涙をも雨と誤魔化してしまうんだろうなぁ……。

・佐久間大介
「タペストリー」の佐久間大介と言えば、ラスサビ入りの「恋慕う 願い 風に揺れて」だろ。あの決意めいた嘆き、離れたくないと泣いたせいか軽く上擦る“恋”という熱い単語。どれもあの瞬間を支配するとんでもない強さを持っていて、もう君が支配の悪魔や……と頭を抱えたのは、1度や2度ではない。
なのに! それなのに! ライブ映像ではとんでも表現力でその衝撃を上回ってきた。そう、散々私の血液を沸騰させた、ふかさくパート「触れる指先(頬伝って)」である。
まず、これも完全に私の所感だけれども、佐久間大介はとにかく“小悪魔”。あざとい代表の阿部亮平は、その高い知能を活かした、完璧に計算し尽くされた“可愛さ”を出してくるが、対して“小悪魔”佐久間大介は天然に近い。もちろん計算はしているだろうが、いい意味であべちゃんほど深く考えてはいないし、もっと言えば“佐久間大介じゃないと成立しない可愛さ”なのがまた彼の所作を“小悪魔”と言いたらしめる所以である。まぁ彼自身、「Danger holic」のMVの髪型を「小悪魔ヘア〜😈」と言ってオタクの心を散々持て余していたので、過言ではないだろう。
そんな“小悪魔”佐久間大介が、このパートでは“リアコ”代表深澤辰哉と歌詞を紡ぐ。MVでは背中合わせだったのに、ライブ映像ではまさかまさかの向かい合わせ。それだけでも心臓はド〜キドキドキドキ🐴なのに、それだけで終わらないのがSnowManのツートップの怖いところ。
ここの歌詞の流れは、「瞳閉じれば(いつでも) 貴方の鼓動が響いてる」「触れる指先(頬伝って) 孤独を溶かしてゆく」。あべちゃんが閉じた瞳の奥、舘様が雨と誤魔化した涙が降りしきる中、岩本さんが貴方の鼓動に想いを馳せる。そして佐久間さんが惹かれ合うように向き合ったふっかさんに向かって、たおやかに手を出す。「触れる指先」と歌いながら、佐久間さんの視線はずっと差し出した自分の手。それに呼応するように佐久間さんの手に触れに行く、深澤辰哉の白く美しい五指。そんな深澤辰哉に「貴方の鼓動」を思わせるみたく、親指だけでそっと握り返しながら、「触れる指先」の最後でちらりと上目遣いで深澤辰哉を見上げる。なになにそのテクニックなに!? 聴いてないんだけど!?!?
しかも佐久間さん、ずっと自分の目を見つめていたふっかさんの目をちらりと見た後、まじで艶然という言葉がふさわしいくらいの笑みで微笑んで、すっと身体を翻すんだよ。その間もふっかさんの優しい視線と柔らかく握られた手は、ずっと宙に残っているのに。まじでどういうテクニック??
1サビで岩本さんの「永遠の愛と引き換えに」で誰よりも苦悶しながらも、その苦悶に向かって「全てを投げ出してもいいから」と泣きそうな声で誓いを立てていたいじらしさは、やっぱり佐久間大介の“せり上がるような泣き声”という哀願めいた高音だからこそ、なせる技なのだと思う。

そんな“小悪魔”佐久間大介の「タペストリー」は、言うなれば「俺の愛の受け皿になってよ」。
ライブ映像を観るまでは、佐久間さんの「タペストリー」も失恋ENDだと思っていたんだよ私は。ラスサビ入りの「恋慕う 願い 風に揺れて」「この想いが零れぬように」も、1サビの岩本照の「永遠の愛と引き換えに」の後に続く「全てを投げ出してもいいから」も、佐久間さんの歌い方は身体が千々に破れるような切なさがあった。嫌だ、離れたくないという悲しみや苦痛はあるものの、抗いきれない運命に呑まれるような、そんなやるせなさすら感じていた。
なのに! ふかさくの高すぎる表現力のせいで、解釈が180°変わってしまった……! そんなことある?SnowManエグすぎ。
佐久間さんの表現って、割と一貫して「好きにさせてやる」ってパッションを感じるんだよね。「Movin' up! 」や「cry out」みたいなバチバチダンスナンバーだとより顕著なんだけど、「タペストリー」みたいなラブソングだと彼の“小悪魔”力を活かしてきたアプローチになるんだな、ととにかく感嘆する。
ちなみに私は以前、「ミッドナイト・トレンディ」でも「SnowManの別れ方」という題で1万字ほど語ったのだけれど、そのときの別れを前にした佐久間さんは「あなたの明日にいさせて」という表現だった。つまり、佐久間さんの表現のテーマは目黒蓮のような「あどけなく無垢な独占欲を感じさせる一途さ」と、岩本照のような「全部を投げ捨ててでも愛するから愛されろというわがまま」のどちらもを併せ持っているんだよな。
そんな彼の二律背反ながらにも眩しい愛は、まさに「恋慕う 願い 風に揺れて、この想いが零れぬ様に」の一文に内含されている。小悪魔のように振る舞い、弄ばれるような印象をファンに感じさせておきながら、運命がふたりを引き剥がそうとすれば「お願いだから俺の愛を受け止めてよ」と涙ながらに後ろ髪を引いてくる。そんなことされたら、振り向いて抱き締めざるを得ないよね。

《片想いEND……? 》

・ラウール
ラウールの表現のすごいところはさ、自分の“声質”を完全に理解して武器にしているところなんだよな。
特に佐久間さんとのユニット曲「Bass Bon」を聴けばわかりやすいんだけども、ラウールは低音が得意。「Bass Bon」での高音域佐久間大介パートと、低音域ラウールパートの対比は、「Bass Bon」の人間らしさと機械らしさの狭間で揺れ動く細かい機微を鮮やかに演出している。そんなラウールが「タペストリー」のように高音域が多めな楽曲を歌えば、当然声はやや掠れ、上擦る。それがいい。
ましてや、iDOMEライブツアー当時はちょうどラウールが未成年から成人になる狭間。「孤独を溶かしてゆく」「絡まる糸を解いて行く」と未来を示唆しつつも、過去という日常を全て手放せるほど愛に生きられもしない。そんな臆病な面持ちも残る子どもらしさを演出しているラウールの感情表現は、ダンスにも表れる。
ライブ映像のラウールで印象的なのは、前奏の向かって左に頭部を擡げたときのゆるやかな曲線美(ここが両端のあべちゃんと似た角度なのがまた良い)、「あなたの鼓動が響いてる」の艶やかで儚い表情。そして「絡まる糸を解いて行く」の流動的な動きの全て。
ラウールが「絡まる糸を解いて行く」と歌い始める直前まで、ステージ上は真っ赤に染め上げられている。これはMVでもあった演出だから、「タペストリー」という楽曲での一貫した世界観なのだろう。
目黒蓮が「繋いだ手は解かない」と咆哮のように運命を怒鳴りつけた後、真っ赤に染め上げられる視界。その中で艶美に舞う、9人の感情。抗いきれない運命という一色に、無理やり染め上げられた中での演舞も本当に美しいのだけれど、ラウールにおいて印象的なのは、その赤を破る歌詞。「絡まる糸を解いて行く」。
ラウールの親友目黒蓮が「解かない」と言った直後、ラウールは「解いて行く」と柔らかく言う。それはまるで、“雁字搦めになってお互いを縛るくらいなら、1本ずつ丁寧に運命の糸を解いて行こう”と諭すよう。ただ、目黒蓮はそうしている間も手を離すことはしないし、逆にラウールは“少し離れて見直そう、機を待とう”という冷静さを感じる。この対比があるからこそ、その直後の目黒蓮の「一人が二人に変わる」は先程の咆哮はなりを潜め、それどころか最後にはちらりと笑顔すら見せる。なんだこれなんだこれ、総合芸術すぎる。

確かに、「タペストリー」の解釈は9人で異なっているように見える。でもそれは、9人でパズルのように組み合わせた、それぞれの特性を存分に活かした歌割りがあるから。「永遠の愛と引き換えに」「全てを投げ出してもいいから」を分けてどちらも岩本照に割り振ったように、「泣き出したせいかな」と「涙の傘になろう」というふたつしかない涙を思わせる歌詞をどちらも向井康二に歌わせたように、ここの歌詞はめめラウが紡ぐからこそ「タペストリー」がより一層美しく彩られる。
そんなラウールの「タペストリー」は、「絶対愛に導いてみせるから、待ってて」だろう。大きな両手で手を握り、目を覗き込むようにして、子どものあどけない約束ごとのように愛を誓うラウールが目に浮かぶ。ラウールの星のようにきらめく目で見つめられれば、きっと頼まれずともこちらが「全てを投げ出して」しまう。そんな吸引力がある。君が星の王子さまや……(は? )。

・渡辺翔太
渡辺翔太の「タペストリー」は、とにかく唇と目のツヤが印象的。唇がプルプルやな……と思うのは、舘様と渡辺くん通称ゆり組なのだけれど、目が潤んでいるのは圧倒的渡辺翔太。でもSnowManが誇るメインボーカルである彼が歌う節は、未来を想わせるものばかり。
じゃあ彼の見る「タペストリー」も、両想いENDなのでは? と思ってしまうが、彼の切なる歌声はそうはさせない。1サビ入りの「恋焦がれ 空を 儚く舞う」「この想いが零れぬ様に」は、ラスサビ入りの佐久間さんと似ている。冒頭の目黒蓮に続く「二人 永遠に 導いて 今すぐ隣へ……」も、ふたりの未来を想わせる歌詞だ。最後だって、「二人で綴る物語」と締めているのだから、ハッピーエンドだよ、そうだろう? そう思わせてくれよ……。
渡辺翔太の歌声と言えば、新雪の中に浮かぶ一筋の血、きめ細やかなシルクに走る1本の切り傷、深夜の空で静かに輝く三日月。と、まぁこれは「ミッドナイト・トレンディ」の感想を書いたときのものをそのまま引っ張ってきただけだが、とにかく彼の悲恋系ボイスは天性だと思う。岩本照がどんな悲恋ソングもハッピーエンドに塗り替えるなら、渡辺翔太はどんなラブソングも片想いにしてしまう。それほどまでに彼の歌声は悲痛で愛情深く、涙を誘う強さがあるんだよ。

「タペストリー」、渡辺翔太周辺の歌割りがまじで天才的。運命を蹴破る目黒蓮の入りに続く、流れ星に祈るような「二人 永遠に 導いて 今すぐ隣へ……」。1サビ入り「恋焦がれ 空を 儚く舞う」「この想いが零れぬ様に」に続くのは、運命の幼なじみ宮舘涼太の「轍照らす月明り」。すのちゅーぶのライブ映像では観られないが、2番の「夜が来る度」の後続は深澤辰哉の「いつでも」だし、ラスト、泣くのを我慢するように顔を歪めながら「二人で綴る物語」と叫べば、目黒蓮が優しく「物語……」だけこだまさせる。めめなべ、ゆり組、悪友、そしてめめなべという流れがあまりにも天才的。夢を見て、運命に手を伸ばし、意固地になって、そして最後は託すように強く嘆く。決して涙は流さず、強気に振る舞って、自分の感情を抱き締める。
そんな渡辺翔太の「タペストリー」は、言うなれば「俺の零れちゃった愛を見ないで」だろうか。「この想いが零れぬ様に」は、1サビとラスサビでなべさくが歌っている歌詞だけども、歌い手と前につく言葉が違うだけで、こんなにも印象が違う。
まず、渡辺翔太は「恋焦がれ」、対して佐久間大介は「恋慕う」。焦がれ、は身も壊れてしまいそうな激情を感じさせるが、慕う、はまだ自分の中で感情を飼い慣らせているような印象がある。そしてその後も、「空を、儚く舞う」と「願い、風に揺れて」では随分と違う。宙ぶらりんに行き先を失った恋慕と、貴方に届けと願い風に運ばれる想い。ふたりの異なる魅力の表現で紡がれるからこそ、この歌詞の違いが綺麗に浮かび上がる。
運命の強さに心破れ、変わっていく自分も怖くて、貴方に幻滅されてしまうかもしれない、自分のせいで離れてしまうかもしれない、と怖くなったとき、渡辺翔太は“涙を流さない”。むしろ強い声で空を晴らしたように、“強い自分だけ見ていてほしい”“愛に乱される自分なんかいない”と気丈に振る舞う。
それでも、楽曲が進むにつれて、彼の「絡まった糸」はほろほろと解けていく。やっぱり離れたくない、愛を諦めて自分を守るくらいなら、愛に生きて自分を変えてみてもいいかな、とゆっくり前を向く渡辺翔太がいじらしい。
メインボーカルなのにBメロはパートを持たず、照明に隠れて迷いの表情と波間のように揺れ動く細やかな振りで感情の機微を表現し切った後、彼の声は水を打ち上げる(物理的に)。「運命」の幼なじみが降らせた雨を止ませ、「全てを投げ出してもいい」と多幸感溢れる面持ちで言うリーダーの後に、「二人で綴る物語」というひと言で会場全体を支配する。それは目黒蓮のストレートボイスに似た直情を感じさせ、それでいて「俺は運命にひとりで立ち向かえるほど強くはないけど、一緒に歩んでください」といういじらしさも感じる。
そんな渡辺翔太の「タペストリー」が、片想いで終わるはずがないよ。

《片想いEND》

・向井康二
こーじの「タペストリー」はとにかく、冒頭の霞のような掠れた存在感の登場にゾッとする。目黒蓮の歌声とともに明るくなる照明、そこに浮かぶも表情までは映らない岩本兄弟。岩本照は前を向いているのに、向井康二は足元を見ている。涙よりも儚くて、恋という感情の擬人化だと理解させられる。
そしてそんな理解をもたやすく超える、向井康二の歌唱力たるや。「晴れている空なのに 雨が今肩を叩くよ」目黒蓮が空を見上げて“雨”と誤魔化した感情を、「居場所探す悲しみが 泣き出したせいかな」向井康二は“悲しみが泣き出した”と下を見ながら肯定する。そんでもってそのときの所作がさぁ……。右手で交差させて、自分の左頬を親指で拭うんですよ、この男は。目黒蓮が雨と誤魔化した頬の雫を、頬についたまつ毛でも取るようにさらっと拭うんですよ。さすがSnowManのリアコ二大巨頭はやることが違ぇな。
SnowManで所作が中性的だな、と思うのは阿部亮平なのだけれど、彼は“敢えて”“研究した上で”曲線の美しさをつくりだしている。現に、前奏の頭を擡げて重心を向かって右にやるとき、彼はラウールより強調して左膝を曲げている。そうすることで、女性アイドルに感じる“可愛さ”が演出されると、阿部亮平はわかってるんだよ。恐ろしい男……!
対して、向井康二は“意識せずして”男性的な所作が多い印象。内側より外側に向けての大きい振りが多いし、また彼の骨格が“男性的”であるため、とにかく男の子っぽくてわんぱくで犬っぽいイメージがつきやすいんだよな。だからこそ!! ふとしたときに現れるこういう曲線美が!! ファンの心をがっちり掴んで離さないんだよ!!!
える、しってるか。向井康二はまつ毛が長い。そのため、ちょっと目を伏せただけで深い影ができる。彼はそれを知ってか知らずか、頬の雫を拭う仕草をしながら目を伏せる。運命に戸惑いながら「居場所を探す」彼が、次に紡ぐ歌詞は、「照らす行き先」。残念ながらすのちゅーぶのライブ映像では拝めないが、この後の()は佐久間大介だ。
ひとりの夜を実感する度に自分が消えてしまう不安に襲われ、同じ未来を見ようとする。同じ方向を見て、手を繋いで、その手を解かないと誓う。誓えたら、いいのに。めめさくが“ふたりの未来”という明るい方向に向かっているとき、こーじはちらりと暗い方を振り返ってしまう。明るい未来を欲するがあまり、“貴方”までもをいつか暗い方に引きずり込んでしまうのではないかと、後ろ向きな想いが芽生えてしまう。
こーじは決してネガティブではないと思う。ただ、「涙の傘になろう……」と言いながら自身の頬をもう一度拭う向井康二は、“いる”。「みんなの感情のゴミ箱になるよ」「SnowManが桜なら、俺は根っこになります」「都合のいい男にしてええよ」。脚本がない世界でそんなことを笑顔で言えてしまうこーじの性格こそが、彼の歌声を“片想いボイス”としてしまう理由なんだと思うよ。

そんな向井康二の「タペストリー」、「永遠の愛を、信じられんでごめんな」。……「ミッドナイト・トレンディ」のときもそうだったけど、私向井康二に謝らせすぎ。リアルでは「可愛くてごめん」しか言わせたくないのに。まぁこーじが「可愛くてごめん♡」とか言い出したら、「謝るな!! 誇れ!!こーじは可愛い!!!! 」って怒るんだけどさ。
こーじだって、岩本さんやめめのように「全部投げ出すから永遠に一緒にいよう」って言いたいんだよ。ただ、彼は相手を想って、未来まるごと愛してしまうから、その未来にあるかもしれない“本当の永遠の愛”にまで思いを馳せてしまう。なんて不器用で一途なんだ。
「永遠の愛と引き換えに」を歌っておきながら、こーじの他の歌割りってなんか一歩後ろにいる印象なんだよ。「居場所探す悲しみが 泣き出したせいかな」も、“かな”て締めることでふんわりしているし、拭う頬もあくまで自分。そして誰とも向き合わない。「照らす指先」は太陽にかざした自分の手を、あまりの眩しさに目を細めて見ているようだし、「涙の傘になろう……」は言わずもがな。最後に「永遠の愛と引き換えに」と言う声も、岩本照は“溢れる愛に喉が詰まる”という印象だったのに、向井康二は“遠くから涙声で微笑んでいる”という画が浮かぶ。
こーじの、日記を読み上げるような優しくて静かな声が、より一層彼の感情表現を片想いたらしめるんだろうな。こーじのラブソングを考えると毎回切なさで息が詰まるので、こーじには「Gatcha!」みたいな楽曲ばかり歌ってほしいよ(嘘ごめん米津玄師歌って)。

・深澤辰哉
深澤辰哉って、沼なんですよ……。そろそろ私はSnowMan1周年を迎えるわけですが、1年前の自分に深澤辰哉を見せても、深澤辰哉の良さは理解されないと思う。なんでだ、見る目ないな、過去の自分。
そもそも「タペストリー」のライブ映像1番の爆弾は、やっぱりふかさくの「触れる指先(頬伝って)」なので、そこを語らずにはいられないのだけれど、それを差し引いても「タペストリー」の深澤辰哉はいつも以上に一線を引いている気がする。「ミッドナイト・トレンディ」のときに、私は「深澤辰哉って昼の空に浮かぶ月なんだよ……」と語ったけれど、まさにそれ。上を向かないと見られないけれど、満月でもひっそりと空の青さに紛れている。MV「タペストリー」では、和服深澤辰哉という儚さカンスト装備だったから、より一層“昼の月”らしさが演出されていたけれど、ライブ映像「タペストリー」では違う観点からその魅力を演出している。
まずふかさくのパートを語りたい。語らせてくれ、頼む。
「触れる指先」と歌いながら差し出される、佐久間さんの手。その手はなにかを掴もうとしているわけでもなく、ただ見えない未来を見ようと撫でるようにたおやかな角度で宙に止まる。そんな佐久間さんの手を、深澤辰哉の美しい五指が迎えに行く。「お待たせ」。そんな声が聴こえてくるほどの、柔らかくあたたかい視線で、ずっとまっすぐ佐久間大介の“目”を見つめながら。佐久間さんはずっと触れられた手を見ているのに、深澤辰哉は「孤独を溶かす」ほどの温度で佐久間大介の目を微笑みながら見つめ続ける。佐久間さんが背中を向けた後も、ふっかさんはずっと微笑みながらその背中を見て、佐久間さんに柔らかく握られた手はその形のまま、制止している。その視線だけで“こりゃ孤独も溶けるわ……”と唸る説得力がある。これがリアコ代表の圧倒的表現力よ。
2番目での、渡辺翔太の「夜が来る度」にかかる「(いつでも)」がもしライブであったら、向かい合わずに背中合わせだったんだろうなと思うと、尚更このふかさくの表現力バトルに思いを馳せてしまうよな。ツートップが自分のしたい表現に全力疾走でぶつかっていくからこそ、9人全員がほとばしるパッションを体現できるというもの。

でもさ、深澤辰哉の「心の隙間は」が私はハチャメチャに好きなんだよ……。本人たちに「かっこ組」と言わしめた、だてふかが紡ぐ「心の隙間は」「互いが埋めるから」。確かに舘様、ふっかさん、あべちゃんは歌割り少なめかもしれないけど、丁寧に感情を置いてくれる感じが本当に安心するし、歌詞がすっと入ってくるのよ。疑う人は「あいことば」を聴いてください。3人が歌い継いでユニゾンするパートがあるのですが、あまりの優しさに赤ん坊になってしまいます。
「あいことば」の話はまた今度するとして(するかわからないけど。ちょっと語りたいことが多すぎるので)。
深澤辰哉の「タペストリー」って、「また会えたらいいね」に帰結する気がする。永遠の愛を信じて全てをかなぐり捨てるほど、奔放でも真摯でもいられないし、貴方を想って身を引いたり機を待ったりできるほど、いい人でもいられない。だからこそ、運命がふたりを引き裂こうとしてくるのならば、その流れに乗じる。運命に抗って貴方を傷付けたり、未来を諦めてズタズタに傷付いたりするくらいなら、笑顔で今を見送る。そうやって生きていたら、それこそ運命のイタズラで、またふたりの歩く道が交わるかもしれない。そんな淡い期待を胸の奥に抱えている。
ライブ映像になるとより一層思うんだけど、「タペストリー」って目黒蓮、岩本照、佐久間大介、深澤辰哉の笑顔が印象的なんだよな。「ミッドナイト・トレンディ」では、ゾッとするほど艶美に笑う阿部亮平が大優勝だったんだけど、「タペストリー」は上記4人の微笑みがとにかく記憶に残る。
目黒蓮、岩本照、佐久間大介はまだわかるんだよ。私の中で《両想いEND》だからさ。でも深澤辰哉の微笑み方は両想いのそれじゃない。心の底から幸せで、離すことの無い手のぬくもりに安心しているからこその笑顔じゃない。もしそうなら、「触れる指先」と歌う佐久間大介の手が離れたとき、ずっとぬくもりを追いかけるような仕草をしない。
佐久間大介の手に触れながら、「頬伝って」と涙を思わせる表現をした深澤辰哉。1サビでは「今 何処へ行こう」とせり上がる感情を抑えながら語っていて、佐久間大介が「全てを投げ出してもいいから」と歌っているんだよ。
「孤独は溶かす」。でも「全てを投げ出す」ことはできない。「涙の傘に」なるし、貴方が差し出せばいつだってその手を握るよ。でも結局ずっと、「今 何処へ行こう」とふらふらしてしまっているような、そんな哀愁漂う深澤辰哉、やっぱり沼。そして深澤辰哉、恋愛慣れしてるリアコ代表心臓ハンターだけど、お揃いの指輪は捨てられないタイプだろうな(100%妄想)。

・阿部亮平
もしも願いが叶うなら、阿部亮平に初恋を奪ってほしい。
ライブ映像「タペストリー」の阿部亮平は凄い。涙の象形文字だよ、とすら思った。徹底して曲線美を作り出す振り付けもさることながら、とにかく「瞳閉じれば」の歌い方を語らずにはいられない。あの阿部亮平が、全身で泣いている。こんなん震えるしかないやんけ。
でもアイドル阿部亮平の怖いところは、“表情や身体は誰よりも泣いているのに、声はまっすぐで全く泣いていない”ところ。ほ、本当にこの男は〜〜〜!!! 「瞳閉じれば」と全身であべちゃんが泣いた後、舘様が「いつでも」と紡ぎ、岩本さんが「貴方の鼓動が響いてる」と結ぶ。93年組のバトンタッチである。なんと雅な……! 阿部亮平は顔をくしゃくしゃにして眉をひそめ曲線美を強調して舞い、宮舘涼太は雨音みたく静かに滲む声で未来に手を伸ばし、岩本照は額に手を当てて貴方の鼓動を思い出す。3人の中では、と言うよりもはやメンバー内では1番嘆きを表しているのに、声は凛としていて。その姿からは“毅然”や“気丈”を越えた、彼の“矜恃”が見える。
「ミッドナイト・トレンディ」でも思ったけどさ、阿部亮平の恋愛表現って意地っ張りだよね。でも目黒蓮のように“ある種子どもっぽい”と感じることは無い。言うなれば、“俺だって男なんだけど”と口を尖らせているような意地の張り方をしてくる感じ。そう、実際に阿部亮平が言った、「えぇ……俺だって男だよ? 」と類似した、まさに同じ人物がラブソングを歌い舞っているのだと実感できるような、そんな感慨深さが、「タペストリー」にはある。

阿部亮平が男であることなんて、こちとらわかってるんだよ。わかった上で初恋奪ってほしいんだよ。でも、同じくらい人生を投げ出せない阿部亮平を推せもするんだよ。
あべちゃんはたぶん、良くも悪くも“いい人”で止まってしまうタイプなのだろう。そして恐らく、彼もそれを自覚している。どんな運命に呑まれようとも強く手を握って引っ張るのも、相手を想って涙ながらに抱き締めて身を引くのも、自分よりも他のメンバーの方が魅力的に表現できる。自分の能力を120%魅力的に演出プロデュースできる阿部亮平だからこそ、メンバーの特性も分かりきっている。その上で自分が1番映える立場を確立し、特有の輝きを放っているからこそ、彼は“あざとい”のだ。
そんな阿部亮平に言いたい。阿部亮平の「タペストリー」は、「俺は君に見合わないよ」。そんなことない!! 怒るぞ!!! 表出ろ私がわからせてやる阿部亮平の魅力を3日3晩プレゼンしてやる!!!……あっ、そうだよね、阿部くんの魅力は阿部くんが1番よくわかってるよね……しゃしゃり出てごめんね……。
阿部亮平が割り振られた歌詞は、「瞳閉じれば」「自分が消えてしまわぬ様に」「今 何処へ行こう」。そう、どれも消極的で、自分主体なんだよ。賢すぎるが故に色んなことを考えてしまって、感情を優先して奔放になれない。でもだからと言って相手を想って貴方の未来から自分を消すなんて残酷な選択が、100%貴方を救うものでもないこともわかっている。そして機を待つような楽観的な考えも持てないし、「俺を信じて」と待ってもらうこともできない。恋愛感情の昇華としての選択肢をたくさんたくさん思い浮かべて、どれも自分に当てはめることはできなくて、計算され尽くされた自分が消えるのは怖くて、相手に委ねるように自分を下げる。「俺は貴方の運命じゃないよ」「貴方に俺は見合わないよ」。きっと彼は、形の綺麗な柳眉を下げて、薄く微笑みながらそう言うんだろうな。
全身で泣いているのに涙は出なくて、泣きたいのに声は凛としていて、でもやっぱり身体は泣いている。どこまでも、“泣くことすらできない、愛にすら不器用な男”を演出している、阿部亮平の手腕、まじエグい。エグエグ。
やっぱり阿部亮平は宇多田ヒカルが似合うよ。君に夢中だよ、人生狂わすタイプだよ。
岩本さんやめめは「永遠の愛と引き換えに全てを投げ出してもいい」と真顔で言えるし、それに幸甚を覚えるタイプだろうけど、あべちゃんや渡辺くんやこーじに関してはこちらが「永遠の愛と引き換えに全てを投げ出してもいい」と思っちゃうのは、なんなんだろうね。才能なんだろうね。
つまりさ、阿部亮平が永遠の愛を信じられなくとも、阿部亮平が全てを投げ出さなくとも、こちらが阿部亮平を信じて全てを投げ出すので安心してください、はい。

最後になっちゃったけどさ。やっぱり目黒蓮に「恋綴り」と直接的な恋愛感情を歌わせて、渡辺翔太に「恋焦がれ」と燻る恋愛感情を歌わせて、佐久間大介に「恋慕う」と真摯な恋愛感情を歌わせるの、天才の所業だよ。

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