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ネズミの嫁入り 賢治の幻灯機とか

ネズミの嫁入りの話って、日本の昔話だけど、アジアやラ・フェンテーヌの寓話詩にも入ってるらしい。

あらすじは、まあ子供の絵本とかで読んでるだろうから省略するけど、なんかウチの娘は器量良しだから世界で一番強いものしかムコにしねぇぜとかどんだけ上から目線なんだ。お前ら藤原一族かってな話だけど、まあそういうすぐにチャチャ入れたくなる人って昔からいたようで、中国あたりの話では、最後のオチで一番強いのはネズミでしたで終わらずに、ネズミよりも強いのはネコだからっていってネコと結婚したムスメはネコにぱっくり食べられてしまいましたとさ、ってオチになってるらしい。

で、話はいきなりぜんぜん別のになるんだけど、宮澤賢治っているじゃないですか。あの人けっこうクセが強そうで、苦手と感じる人と、好きだって思う人が極端に分かれそうな感じだけど、私もなんかキモチワルそうなんだけど、なんか気になるってな感じであれこれ昔に読んだことあるんですよ。

そんな賢治パイセンの処女作だと思う「春と修羅」の序。

序ってのもけっこう長いんだけど、今日やるのは最初の段だけだから写しちゃうか。

わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)

これパイセンのこと好きな人、だいたいここ大好きで、この電燈やら幽霊やらの解釈をいろいろやってるんだけど、私も自己流の解釈するね。

まずは言葉の意味から行くけど、「有機交流電燈」が人の身体で「青い照明」が意識でいいと思うよ。みんな電燈やら照明とかの比喩についてあれこれ書いてるけど、まあ今の時代、プロジェクターで投影された3Dのホログラムでいいと思うんだわ。当然プロジェクターのスイッチがオフになったらホログラム映像も消えるしね。

で、スイッチの話をしたついでに、「せわしなく明滅する」ってあるのは、やっぱここはパイセンだから唯識あたりの刹那滅あたりを意識してんじゃねえかとか思うわけ、知らんけど。パイセンはやれ法華経だの国柱会だの仏教でもあっち方面が強調されてるけど、基本的素養として般若心経の空の思想とかは持ってるものとしてね。

で、その次の「幽霊」ってとこもまあよく話題にされるんだけど、ここは誰かが書いていたような「人類とかの複合体」とかじゃなくて、自分がその時その時に見たり聞いたりして反応する意識の流れみたいなものの総称とかだと思うんだ。つまりここはパイセン個人の自意識ね。根拠は特にないけどね。

まあパイセンレベルになると全集だけじゃなくて語彙辞典まで出てるんで、「幽霊」が他のどの作品で使用されてて、それらの使用例と比較する必要とかあるけど、図書館にでも行かないとそれ確認できないから、今はそこいら辺無視してざっくりいうけど、あんまし幽霊って言葉使ってないはず。
だからそこら辺を踏まえて話を進めないといけないんだけど、まあレポート書くわけじゃなし、ここら辺はゆるゆるでいきます。

で、ここが今日のメインと言うか、ちょっとわからんなぁと思うのが引用最後の行の(ひかりはたもち)の意味なんだよね。
電燈が失われたと言うことは身体がなくなったあとでもひかりつまり意識は残るって意味なんだろうけどさ、それって電燈/照明の比喩からはみ出てないかい。スイッチ切ったあとでも映像が出てるってホラーしかねぇじゃん。どうすんだ、だから幽霊なんかい。いやそんな簡単なオチでええんかいって関西弁が出てまうやろ。

ちなみに、中論だと意識とかの存在も否定されてんだけどね。唯識だと意識は8種類あってとかから始まるから、それ聞いただけで私は「知らんがな」ってなるのでよく知らんのだけど、あれもやっぱり全ての存在は無常であり生滅を繰り返す実体のない空であるとかだったはず。だからパイセンも私という「現象」とか言ってんだろうけど。

で、その「空」のはずの照明がひかりとして保たれちゃうの、なんで、どうしてそうなるの?ってな話なんよ。

そこいら辺の死後の魂とか意識とかについては、唯識だの中論だのの理論に合わせると銀河鉄道とか妹への鎮魂歌とかの設定が崩れちゃうからなぁ。やっぱ死んでも意識は残りましたって木口小平みたいな話になるのかねぇ。

ああ、なんでネズミの嫁入りから賢治パイセンの話になったかとかいうと、寓話からなんか連想がいっちゃったんだね。その間に1つか2つぐらいあったんだけどね。まああれよ、風が吹いたら桶屋が儲かるって話よ。まあそこらへんはわざわざいう必要もねえかとか思って省略しました、悪しからず。

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