クレオの夏休み

家族の大切さがとてもよくわかる映画

この映画の素晴らしいところは、家族がなぜ必要なのかとてもわかりやすく描いている点ですね。クレオは6歳の一人っ子ですけれども、黒人ベビーシッターのグロリアの故郷(アフリカ東海岸の島国・カーボベルデ)へ行きます。このグロリアという黒人の女性は、クレアがまだ赤ん坊の頃からベビーシッターをしていて、実質的にはクレオのお母さんです。グロリアは、シングルマザーで2人の子供(娘と息子)を育てていて、そして、このグロリアの娘に子供が生まれるのです(シングルマザー)。クレオは、この赤ん坊を殺せば、グロリアは自分のところに帰ってくれると思って、この子供を殺そうとします。まだ6歳の子供なのですけれども、一人っ子のために自分中心で、お母さんもいないから、お父さんにも甘やかされていて、このグロリアの孫息子が死ねば、グロリアはパリに戻ってきてくれると単純に思うんですね。
ここに、現代の核家族に育った子供たちの典型的な苦しみの原因が凝縮されているように思いました。それは、自分一人しか子供がいないので、自然と自己中心に生きることが、ごくごく当たり前になってしまっているということです。
ここでグロリアはクレアを厳しく叱ります。そして娘とその赤ん坊に謝るように促します。クレオは泣きじゃくりながら赤ん坊の前に行ってごめんなさいと謝罪を言葉にします。そして、赤ん坊の小さな手を触って握手をします。
昔は、公園の砂場などでよくこんなことを経験しましたね。自分が自然に抱いた悪意を厳しく叱られて、それが悪いことだとわかるということを経験するのはとても大事だと思います。
でも、そういうことを経験しないと、人を殺すとか、人のものを盗むとか、騙すとかそんなことがごく自然なことで、自分に許されていると思ったまま、大人になってしまう人が、もしかしたら多いんじゃないでしょうか。そしてそれが実は自分の生きづらの根本にある思い違いなんじゃないでしょうか。
この映画は自分が抱え込んでいる苦しみの根本的な部分を浮き彫りにしていると思います。そして、それに早く気づくために必要なのは、家族という、“初めての他人”の存在なのだということを教えてくれているところが、とてもいいと思いました。


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