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福島の原子力災害伝承館へ行ったエピソード~岩手との大きな違い~

ちきりんさんの影響で
11月末に福島県の沿岸へ行ってきました。

行ってみた感想としては
『2022年の今だからこそ
行っておいて良かった』
に尽きます。

行って感じたことを3つ
つらつらとまとめてみました。



①改めて福島県の原子力災害について知れた

震災から12年が経とうとしています。

当時のニュースになってたことが
歳月が流れて
結果がどうなったか知ることができました。

私がとくに
再認識したことを3つにまとめます。

その1:なぜあの場所に原子力発電所ができたのか

福島の沿岸は
資源もなく貧しい土地柄


高度経済成長期のあおりから、
1960年代後半に原子力発電所の開発がすすむ

開発当時1960年後半の
未来への希望が満ち満ちた映像
流れていました。

まさか40年後にこのような事態とは
誰もが予想しなかったでしょう。

いろんな想像が膨らむ
何とも言えない映像でした。


その2:福島沿岸に2つの原子力発電所があって、1つが大災害を引き起こした

私の無知がバレるのですが
福島には2つ原発がある。

そのうち第一原発が災害を引き起こし
第二原発は総動員して何とか食い止めた

第2原発の復旧についての展示

当時の裏話を
リアルな展示で学ぶことができます。


その3:災害当日の風向きがたまたま北西⇒その方角が線量が高い

これは諸説あるようですが
当日の風向きがそのまま
線量が高い地域となってしまったようです。


②岩手県沿岸との強烈なギャップ

今回、福島沿岸に行った理由は
6月に岩手県沿岸に行ってたから。

ちきりんさんも偶然
三陸と福島沿岸を視察したと知り
私もせっかくなら
岩手と福島の違いを感じたい!
と思い、行動に移しました。

ちきりんさんの影響だけでなく
何かが自分の中で引っかかるものがあって
どうしても今年中に
福島沿岸も見ておきたかったです


一番のギャップは

岩手沿岸は、震災インフラが整っている
災害遺構がアミューズメント化

福島沿岸は人がいない
→10年間置き去りにされて
これからようやく立て直す


岩手には人がいて
震災遺構のまわりに飲食店がならび
震災伝承館は商業施設化。

一方の福島には人がいなく
かつて家があった場所は更地に。

この違いが最大の違い。


ぞっとした写真

この写真をみて
なぜかゾッとしてしまいました。

復興して凄いという感情ではなく
人の欲深さを感じて
怖いなと思ってしまいました。



③期間困難区域にランチおば様の、ありふれた光景

施設を見学したあと
ランチに行きました。

今回行った施設は
帰還困難区域ではあるものの
人が住んでOKなスポットが存在します。

そんな帰還困難区域のランチのお店に
元気なおば様の声が響いていて
町は物寂しいのに
おば様の元気さは健在。

頼もしく感じましたし
どんな場所にも
会話があるだけで明るいと
率直に思いました。

ギャラリー


伝承館からすぐの請戸小学校


請戸小学校の校内。外側は比較的キレイだけど内側は悲惨。


伝承館の展示。この看板はGoogleMAPには残っているけど今は撤去されています。


道の駅なみえに隣接するラッキー公園。平日だったからか人が全くいませんでした。



語り部さんの話面白かっです。私が行った時は東京から震災後移住された方でした。
原子力伝承館の周りは何も開発が進んでなく、建物の立派さとのギャップがありました。


むすびに

学んだこと・感じたことが多い
福島沿岸の見学でした。

でも、やっぱり一番は

『2022年の今だからこそ
行っておいて良かった』

という感情が大きいです。


学生時代に東日本大震災の現場を
わりと直ぐ視察していて。

卒業してからずーっと心のどこかに
引っかかっていました。

それを、10年ごしに岩手と福島の
現状を見て感じ取れて。

私自身も、大学生から社会人、結婚して
自分とは違う世界を見る
余裕が生まれました。

これからは、余力をすこしでも
社会に貢献していきたいです。


来年も変わらず
自分の感覚を大事に生きていきたいな。


震災のあった地域が
もっともっと前進することを願います。


ご覧いただき
ありがとうございました!


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