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ウクライナでのチェチェン独立派の動向

(この原稿は2024年2月3日に行われた「2・3チェチェン連絡会議シンポジウム 侵攻から2年、ウクライナをめぐる課題と北コーカサス山岳民共和国連邦再興構想」の中でジャーナリストの常岡浩介さんが話された報告をまとめたものです。)

 私は1998年くらいからチェチェン戦争の取材を始めてきました。ウクライナに関しては、2014年のマイダン革命から2カ月くらい経ったころにロシアに編入されたクリミヤに入りました。次々とロシアに占領されていき、じわじわと自由がなくなっていきました。ウクライナ人が経営しているホテルで状況を見ていましたが、危険区域を通る最後の長距離列車に乗ってクリミヤを出ました。
 当時すでにドネツク、ルハンスクでロシア軍に後押しされた親ロシア派の武装蜂起が始まっていました。都市部の中心部はすでに親ロシア派に占領されていました。その当時すでにドネツクには、1994年からずっとチェチェン本土で戦っていましたチェチェンの独立派の人びとが集まっていました。ウクライナでは二つのチェチェン独立派のグループが戦闘に参加していました。それはドュダエフ大隊とシェイフマンスール大隊です。
 当時のドネツク・ルハンスクで戦っていたウクライナ正規軍は、それほど士気が高くなく、強いのは右派セクターやアゾフ大隊の兵士でした。そしてウクライナ政府から許容されている民兵組織として、チェチェン独立派のグループが戦っていました。彼らの方がウクライナ正規軍よりも士気が高いうえに、チェチェンで長いことロシア軍と戦っていたので、非常に強かったのです。そのためウクライナ側の中心として戦っていました。それが2014年ころです。その後2017年まで6回に渡ってウクライナに取材に行き、チェチェン独立派の人びとと会っていました。
 今現在ウクライナで戦っているチェチェン人組織は8つあります。2022年にチェチェン独立派亡命政府(イチケリア)がロンドンからウクライナのキーウに引っ越してきた状態となっていて、すでに戦っていた一部も特別任務大隊に移って、これがチェチェン独立派の中では大きな組織になっています。千人くらいいるようです。
 それ以外にウクライナ正規軍の中にチェチェン人がたくさん集まっている部隊もあります。チェチェン独立派勢力の在ウクライナ部隊はいくつかありますが、それぞれ立場が微妙に違っています。チェチェン人は集まると喧嘩を始めるところがありますが、表面的には調和してウクライナ軍と連携して一緒に戦っています。
 2014年から2017年の当時に、2つのチェチェン人グループに詳しく聞いたところ、チェチェン本土からウクライナに戦いに来ているチェチェン人はいないということです。受け入れる側がロシアから送り込まれたスパイではないかと、怖くて受け入れられないのです。
 今チェチェン本土はカディーロフという独裁者の支配になっています。このカディーロフの放ったスパイのような者がウクライナだけではなく、ヨーロッパ各地で独立派のチェチェン人を暗殺して回る事件が繰り返されています。
 独立派のチェチェン人は多くがヨーロッパに難民として亡命しました。30万人くらいいます。その人たちがウクライナに移住して戦いに参加するケースがあります。それからチェチェン人の一部はヨーロッパではなく、シリアに行って反政府側で戦っていました。ほとんどがイスラム過激派として扱われていた人たちが、今はウクライナで戦っています。しかしチェチェン人はイスラム主義ではなく世俗派の人びとです。
 私はシリヤでもチェチェンの武装組織を取材していました。彼らに資金を出していたのは湾岸諸国のスーフィー主義などの国々です。お金を出している富豪たちはカリフ制を打ち立てることが目的だと言い続けています。そういうグループにしかお金を出しません。チェチェン本土で第2次チェチェン戦争当時、独立派が主流でしたが、だんだんイスラム過激派の方が目立つようになっていきました。独立派の主張は欧米から政治的支持を受けていましたが、お金を出してくれる人はいませんでした。主要な資金源にしていたのはチェチェン人のマフィア、つまりロシアの中に資金源がありました。マフィアの資金源が閉ざされるとほぼ中東からの資金しかありませんでした。
 そのためチェチェン人はシリアに移って戦いましたが、イスラム過激派にばかり資金がたっぷりいき、穏健派にはお金がいきませんでした。その結果主流派のチェチェン独立派は、お金がないため活動主体も小さくなってしまいました。
 ウクライナでロシアに抵抗する運動はイスラム過激派が支援する運動ではなくて、世界の自由・民主主義を何とか支えようとする支援で成り立っています。チェチェン人の運動もロシアの支配から自由を回復しようという運動です。
 最近チェチェン人部隊がロシアと国境を接している北東部に出かけて行って作戦を決行しました。シェイフマンスール大隊がチェチェン本土で作戦をやっていると発表しています。チェチェン本土ではチェチェン独立派は活動できていないと言われていました。カディーロフの締め付けが厳しいと思っていましたが、それが動画付きのチェチェン本土での活動を報告しています。おそらくこれはチェチェン本土内で協力者がいないとできないことなので、チェチェン本土から受け入れないという従来の方針は変わっている可能性もあります。
 武装活動しているチェチェン人の人数も一つのグループで千名を超えています。そして活動がロシアの支配下まで及んでいます。ウクライナの反転攻勢がうまくいかなかったと言われていますが、チェチェン人の活動にも影響が及んでいます。You Tubeで成果を発表していましたが、その頻度が減っているという印象があります。資金がうまく入ってきていないのは、チェチェン独立派にも影響しているようです。欧米の支援疲れはウクライナで戦っているグループのすべてに影響を与えています。

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