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この言葉があったから 大学時代

転校するときに、剣道の先生からもらった色紙。

『啐啄同時』と書いてある。

大学では、ピアノを弾きたくて、親の反対を押し切り、入試を受けて、合格した。
4年間は、ピアノを弾くぞと意気込んでいた。
初日のレッスンで、「レッスン室では、絶対に暗譜」と言われたときは、青ざめたが、ピアノを弾きたくて入学したのだから、頑張ろうと思った。
部活に入ろうかどうしようか迷っているときに、ピアノの先生から「あなたは、ピアノ一本でいったら。」と言われ、ピアノをしっかり学ぶことにした。

とはいえ、高校生までのんびりピアノを弾いていた私は、毎週暗譜で曲を仕上げていくのは、結構大変だった。
あとで聞いた話だが、入試の時に「受験番号〇番の子は期待していいよ。」と補助員をした先輩にピアノの先生が話していたらしい。
それもあって、毎週のレッスンはとにかく厳しかった。他の人なら、怒られないレベルに仕上げていっても、怒られる。褒められた記憶はほとんどない。卒論も、提出の1週間前に全部書き直しと言われたほどだ。
ピアノの先生に「あなたは剣道をしていたから、少々厳しくしても動じないわね。」と言われた。まあ、確かにその通りである。剣道の先生との地稽古ほど緊張するものは今までの人生でもない。

ベートーヴェンのピアノ協奏曲のレッスンでは、鉛筆が飛んできたし、レッスン中に飛び出す先生の名言の数々。本番よりも毎週のレッスンの方が緊張していた記憶しかない。むしろ、本番は、どう弾こうが、先生は何も言えないから、楽しい記憶しか残っていない。

『啐啄同時』ではないが、不思議なことに、私が「弾いてみたいなあ。」「好きだなあ。」「いい曲だなあ。」と思っている曲を、テストや試験で渡されることが多かった。

先生が退職するときの最終講義でもお話されていたが、その子の性格に合わせて指導法を変えていたらしい。
私は褒められると崩れるタイプなので、本番が終わるまでは絶対に褒めないというのも分かっていたらしい。そう考えると、あの厳しさは納得できる。逆に、少し厳しく言うと、来なくなってしまうような子には、たしかにびっくりするほど優しく指導していた。

修行僧と師の僧の考えが一致したときがその時というあの色紙をもらっていたから、その時を待って、コツコツ練習していた。剣道部の朝練で早起きは慣れているし、剣道は全身で動いて体力的に大変だが、ピアノは座ってできるから、それだけでも、全然違う。
色紙の言葉と中学の時の剣道部生活があったからこそ、大学のピアノレッスンも乗り越えられたと思う。


就職してからも、先生の家が近かった(近いところで家を探した)ので、2か月に1回くらいのペースでレッスンに通い、1年に1回は発表会にも出ていた。
就職してからは、学生の時みたいに練習時間も取れないから、先生も優しくなっていた。そんなある時のレッスンで、あとにも先にもないくらいの誉め言葉をもらった。

「あなたは、シューベルトが向いているわね。私が弾いたときは、『弾きにくい曲』としか思わなかったけれども、あなたが弾くと、オーストリアの風景が目に浮かぶわ。」

これは、本当に嬉しかった。

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