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アエロフロート航空 成田⇒モスクワ

2023年3月17日に、アエロフロートは100年を迎えた。

残念ながら、2022年3月から日本との直行便が飛ばなくなってしまった。

2022年3月のモスクワのシェレメティヴォ空港で見た光景は忘れられない。
1枚の写真におさまらないくらいたくさんのアエロフロートの機体が止まっていた。

一体、何機あるのだろう?

そして、エンジンには、カバーもついている。

しばらくは飛ばないことがよく分かる。

アエロフロートが大好きな私は、この状態が早く終わるのを願っている。

私がアエロフロートに乗ることになったのは、2010年12月だった。
なんとなくだが、アエロフロートと訊いて、あまりいい評判が思いつかなかった。
そこで、携帯でアエロフロートの評判を検索してみた。予想通り、あまりいい評判は書かれていなかった。
なかには、「座席が壊れていた」という書き込みもあった。
それまで、KLMオランダ航空、ルフトハンザ航空、オーストリア航空に乗ったことがあったが、座席が壊れていることはなかったため、逆に、そこまでの飛行機に乗ってみたいと思ったほどだ。
書き込みを見たことによって、アエロフロートに乗れるワクワク感が止まらなくなった。
そして、2010年の年末、スーツケースをガラガラ引いて、成田空港へ向かった。
成田空港に着いたら、いつもと空港の雰囲気が違うと思った。その予感は的中した。なんと、モスクワの気温が高くて、本来なら雪が降る時期に、氷の雨が降って、電線が切れて、モスクワが大停電になっているようだ。そのため、飛行機が大幅に遅れていて、モスクワに到着しても、空港はものすごい人でごった返しているということだった。
チェックインも目的地がモスクワで帰省する人は通しているが、私のようにツアーの旅行客のチェックインをしていなかった。
いろいろ情報を収集した結果、私は、非常に楽しみだった初ロシア旅行を断念することにした。
それが、アエロフロート航空との初めての出会いだった。

それから、約半年後の2011年8月。
もう一度初ロシア旅行に挑戦した。
この時は、チェックインを順調にしていた。チェックインの列に並べただけで感動したくらいだ。
その後、11回ロシア旅行をすることになるのだが、すべてアエロフロート航空に乗った。さらに、ロシアに住むようになってからも、始めはビザの関係で3か月に1回日本へ帰国しなければならなかったため、4回ほどアエロフロート航空に乗った。

もちろん、マイレージカードはアエロフロート航空で作り、シルバー会員だった。

今日は、15往復も乗ったアエロフロート成田~モスクワ間の機内の様子を紹介する。直行便がなくなった今となっては、記録写真になると思う。

アエロフロートの機体には、ロシアの有名人の名前がついている。この時乗った機体は、『静かなるドン』や『開かれた処女地』などを書いた作家のショーロホフだった。

2014年のソチオリンピック前は、シートカバーにもオリンピックのロゴの刺繍があった。

クッションにも。

後ろの方の座席になると、荷物を入れている作業も見ることができる。

離陸した。この時は、富士山の山頂が遠くに見えた。

新潟上空。

佐渡島。

ソチオリンピック前は、紙コップにもオリンピックのマークがあり、この頃は経済が良かったので、缶ごと出てきた。

その後、2014年のウクライナ危機でロシア経済はボロボロになったので、缶ごと出てくることはなくなった。

写真にはないが、スポンサーもコカ・コーラが外れて、ロシア国内のミネラルウォーターのロゴが書かれている紙コップになった。

私は、こっそりだが、アエロフロート航空に乗ると、ロシア経済の様子が分かると思っている。

飲み物を飲む頃、ロシアの大地が見えてくる。

ちょっと見にくいが、ロシアの大地の上空に入る瞬間。

私は、この瞬間を毎回楽しみにしている。

北側の席を確保できた時は、欠かさず見ている。

昼食の機内食。日本で作っていて、魚か肉を選べる。この時は魚にした。

いつも私はすべて食べる。

別の時も魚にした。味が濃くておいしい。

この時も魚だが、ご飯ではなかった。

昼食を食べた後は、時々景色を見る。

山には雪が積もっている。

川は凍り、冬は、こんな景色が長く続く。

機内は乾燥していて、暑いなあと思う頃、アイスクリームが出てくる。

しかし、私が最後に乗った2019年1月には、アイスクリームが出てこなかった。こういうところで、経済状況が分かると思う。

再び、外の景色。

これは、夏。

シベリア中部を流れるエニセイ河。

夕ご飯の時間になった。鶏肉か魚か選べる。鶏肉にした。紙コップを見ると、この時はすでにコカ・コーラのスポンサーではなかった。

この時は、魚。

この時は、肉。アエロフロートの機内食はおいしいから完食。

ここまでエコノミークラスだったが、次はビジネスクラス。
ある時、エコノミークラスを予約していたのだが、ビジネスへどうぞと言われて乗ることができた。
まず、メニューが出てくる。

日本語も書いてあるので、ロシア語も英語も分からない人(例えば、私の母)でも大丈夫。

おしぼりのトレーにもアエロフロートのロゴが入っている。

テーブルクロスも敷いてくれて、お通し。飲み物は、モルスというこけもものジュースにした。これは、おすすめ。
もちろん、アルコール類もある。

前菜とパン。

サラダ。塩・胡椒のケースにもアエロフロートのロゴ。

スープ。

メイン。

デザートは、ジャムとアイスクリーム。

ビジネスクラスの夕食。
ワンプレートに、オープンサンド、果物、ケーキがあり、左のは、茶わん蒸しだったと思う。
エコノミークラスに比べて、量が少なくて、大食いの私はホテル到着後にピロシキを食べた。

チョコレートと紅茶。

このチョコレートのパッケージは、サンクト・ペテルブルクの宮殿広場。

中を開けると、サンクト・ペテルブルクにある聖イサク寺院の絵になっている。

裏は、アエロフロートのマーク。

夕ご飯も終わり、間もなくモスクワ。

2011年8月に初めて着陸したときは、やっとロシアに着いたと嬉しかった。そして、機内は、着陸すると同時に拍手が起こった。
いつもだいたい着陸は滑らかに静かに行われるから、アエロフロートが大好きだ。

着陸し、預け荷物を出しているところ。
私の荷物も無事に出てきた。乗り継ぎの人が多く、モスクワで降りる人はこれだけのようだ。

シェレメティヴォ空港に到着した。この時は連絡通路を通って、建物に入った。

時々、外に降りて、バスに乗車後建物に入ることがある。冬の場合は、モスクワに着く頃は、すっかり暗い。

2020年の東京オリンピックに向けて、アエロフロート航空は、羽田~モスクワ間に変更になり、便利になると喜んだのだが、パンデミックで乗る機会はなく、その後は、直行便が飛ばなくなり、乗れなかった。
2022年6月に羽田空港を利用したときに、アエロフロート航空の看板は隅に片付けられていた。

本当に直行便が再開して欲しい。

アエロフロートの客室乗務員だが、笑顔で、目を見て話を聞いてくれるので、ものすごく話しやすい。そして、勝手な行動をする乗客がいて、安全確認が取れない時は、躊躇せず「だめ」とはっきり言ってくれるのもものすごく安心感がある。
何を思ったのか、ある時の客室乗務員は、ロシア人の乗客が日本で買ったお土産をよく分かっていないから、通訳をしてくれと来たことがあった。
虎ノ門にあるアエロフロート航空の事務所へ何度も行ったが、職員の皆さんはいつも丁寧に対応してくださった。

アエロフロート航空に乗ると、たいていロシア人も多く乗っている。そうすると、着陸後に棚にしまった荷物を取り出す時に、近くのロシア人男性が、荷物をおろすのをさっと手伝ってくれる。背が低い私は本当に助かるし、さりげなくできるロシア人男性も素敵だと毎度思う。

成田~モスクワ間だけでも15往復乗り、この他、ロシアの国内線も何度も乗ったが、一度も座席が壊れている飛行機に乗ることはなかった。

長くなってしまったが、合計150時間ほどのフライトをまとめてみた。

#わたしの旅行記


【4月27日の過去記事】


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