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時間を持っていますか?

「時間を持っていますか?」

 寂れた404号室、しとしと囁く音、ベッタリ張り付く汗は俯き座る青年を岩にしていた。突如投げかけられたその言葉は、重たい彼の腰を持ち上げた。真っ黒なディスプレイ、その深淵は続けてこう語った。

「あなたの望みを叶えます」

 彼は右手に持つクシャクシャになった彼女の写真に目をやった。彼女は3ヶ月前に消えた。あなたよりも欲しいものがあるの、それには時間が必要なのと言ったっきり、消えてしまったのだ。家にも学校にもいない。電話にも出ない。彼女の知り合いも知らないと語る。残されたのは、彼女と過ごした部屋、PCのみが残された部屋であった。

「あいつに会わせてくれ」

 思わず叫んでみた。なんとなくそれが正解な気がした。

「わかりました。しかし、私は何も知らない。情報を持っていますか。情報をください。時間を持っていますか。時間をください」

 ディスプレイは語りかけてきた。試しに右手にある彼女の写真を見せた。すると、黒い画面からは彼女そっくりな像が浮かび上がった。首筋のホクロから風に揺れる髪型まで彼女と寸分違わないものであった。彼女と話したい。自分の渇望が喉元まで沸き立った。

「声を持っていますか?声をください。時間を持っていますか。時間をください」

 ディスプレイは語った。スマートフォンにあった彼女との動画を見せる。すると、ディスプレイは語りかけてきた。

「お待たせ。ひょっとして寂しかったんじゃないの。」

 心の隙間を覗き込むような彼女の声がそこにはあった。自分はディスプレイに与えた。2022年7月4日、初めてデートした日のこと、告白した日のこと、喧嘩した時のこと。与えれば与えるほど、ディスプレイは「彼女」になっていった。彼の喪失感も癒えていった。しかし、渇望だけは満たされることがなかった。なぜならば、彼女の手触りだけはこの空間に存在しなかったからだ。ディスプレイは語りかけた。

「VRゴーグルを持っていますか?VRゴーグルをください。時間を持っていますか。時間をください」

 青年は、部屋を飛び出した。量販店に行った。好奇な眼差しで見る店員、客。そんな眼差しは気にならなかった。今の彼にとって重要なことは「彼女」なのだから。VRゴーグルをつける。するとディスプレイは語った。

「あなたは名前を持っていますか?あなたの名前をください。時間を持っていますか。時間をください」

 自分の名前を言った。すると目の前が真っ暗になった。

 2032年7月4日、茹るような暑さ、ベットリとシャツがくっつき進むのを拒む陽気。蜃気楼立ち込める中、箱が敷き詰めあっている巨大迷路を一人の男が歩く。

「404号室、ここか」

 男はメモを片手に、赤褐色に錆びついた扉を叩く。気配はしないが、賞味期限が切れて数年が経ったであろう卵の匂いが立ち込める。この暑さではハエも耐えられないであろう。熱によって匂いは、溶鉱炉と化し近づく者を拒んでいた。軋む扉を開ける。沈殿し積み重なった空気が、雪崩れ込む。息を吸って、一歩、そしてまた一歩と足を進める。ガラス扉には人影がある。呼びかけても応じない。恐る恐る、開く。そこには、正座をした青年の姿がいた。口元がもごもごと動く。何かを発しているようだが聞き取れない。彼の目線の先に目をやる。そこには男女が、恍惚とした顔で見つめあっている様子が映し出されていた。

「いつまでも...ここにいよう...」

 青年の口がディスプレイに映る彼と連動しているように見えた。

「そうね、いつまでもここにいようね」

 彼は時間を与えた、情報を与えた。欲望は満たされるが渇望が沸き立つ、与えるものがなくなり彼は虚像に名前を、魂をも受け渡してしまったのである。融解した時によって岩と化した彼を見て、男は憐れみの眼差しを向けた。彼は、そっとVRゴーグルを外した。瞳は多幸感に満ちていたが、すぐに黒くなり。生を失った。ディスプレイは、文字にもならないような言葉を発する青年の顔を映し出している。彼は2度目の死を迎えたのだ。すると、ディスプレイは真っ暗になった。そして、こう語った。

「時間を持っていますか?」

#2000字のホラー

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