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宣伝会議賞を終えて

宣伝会議賞の一次審査の結果が発表された。
ちょうどいいタイミングなので、宣伝会議賞に応募するまでに至った理由や、気持ちをここに記しておこうと思う。

僕の中の広告

広告ってかっこいいな。
僕が最初にそう思ったのは、いつのことだっただろう。

かっこいい写真やイケてるグラフィック、
そこに添えられる言葉。確かに質量のある言葉。

どちらが主役とかではなく、どちらも確かに記憶に残って、
言葉を口ずさみ、絵が脳裏によぎる。

そんな体験をした。
中学や高校の文化祭では、誰もが有名な広告コピーを真似して、
クラスの出し物を宣伝した。

そうだ、2の2に行こう。

なんてことを言っているクラスもあった気がする。

下校中の電車の窓にある広告に励まされたことも、
受験会場の広告に勇気をもらったこともあった。
実家の母に感謝しないとなと思ったこともあった。

広告のある風景が当たり前だった。どこかでばったりと出会ったわけではない。いつもそこにあるのに目を向けようとしてこなかっただけだった。

広告を生み出す仕事に自分も携わりたいと思ったのは、大学2〜3年生くらいの頃だっただろう。
美大とまではいかないが、美術の世界に足を踏み入れることとなり、
仕事として、面白いものをつくり続けられる人になりたいと思うようになった。そこから僕のものづくりへの想いは、月日とともにむくむくと成長していった。

就職活動を始める頃には、もう手のつけようがないほどその気持ちが大きくなっていた。何かをつくりたい、でも手段に縛られずにその時々で本当に必要なものをつくりたいと思った僕は、広告を選択することに決めた。
そこからというもの、広告に完全に目が向いてしまい、他の道を視野に入れることができなくなっていってしまった
片想いに近い感覚だったと思う。

こうして僕は、広告を作れる人になるための道を歩き始めることにした。

今入っている会社も、そこに通ずる道が開けるだろうと思ったからだ。
実際通じているかはまだわからない。


始まる時は、いつだって強引だ。

見出しのタイトルは、編集・ライター養成講座で使われているコピーです。
https://www.sendenkaigi.com/class/detail/editor_writer_s.php

広告代理店や、制作会社に入るのかと思いきや、自分が入ったのはマーケティングの会社。
もちろんいわゆる大手の広告代理店にも選考に出したが、今の会社にいる人が好きだった。好きな人たちがいる会社でその夢を追いかけられるなら幸せだろう。そう思って入社を決めた。

そこから甘くない現実に直面するまで、時間はそうかからなかった。

会社でする仕事は、僕がイメージしていたものとかけ離れていた。
広告の企画をする。みたいなことはない。
副業等も認められておらず、自分の作ったものを外に出せる場もない。
自分が思い描いていたものと、今との違いを入社2ヶ月の間で確かに認識したのだった。

あくまで自分で選んだ道だから、それに文句があったり、悲しくなったりすることはなかったが、焦りが日に日に増していくのもまた事実。
どうすればいいか悩むも、結局行動できない。そんな毎日を繰り返していた。

今振り返ると、言い訳しまくって結局何もしないクソ人間だ。
しかし僕は、つくり続けられる日常を手に入れるキッカケに出会うことができた。
そしてそのキッカケをくれたのが、現上司だ。

「コピーライター養成講座、行ってきたら?予算余っているらしいから」

上司は部長に予算を使う承認を事前にとって、僕にこう言ってくれた。
なんてかっこいいことする人なんだと上司に感服するとともに、僕は心の中で小躍りをした。

こんなドラマチックな出会いのおかげで僕は、コピーを書き始めることになった。


簡単に差なんて埋まるわけがない

どうせいくなら上級に行ってきなよ。

部長に言われ、僕は基礎コースをすっ飛ばして、コピーライター養成講座上級コースに通い始めた。

7月からの僕の毎日に突如与えられたチャンス。
心に潤いを感じた僕は、コピーを書いて、小躍りをしていた。

コピーライター養成講座上級コースを受けている人の多くは、基礎コースを経験済み。
ある程度コピーの書き方をわかっている人たちだった。
一緒の講座を受けているみんなは、仲間であり、ライバルでもある。
そんな関係性で講座が進んでいった。

コピーライター養成講座では、講師の先生から毎週宿題としてコピーの課題が出される。
最低で1本。かける人は何本でも書いてくる。
課題は講座の中で順位づけされ、上位10本だけが表出され、金色の鉛筆をもらうことができる。
みんなとは、この課題の順位づけで毎週戦うことになった。

当然のことながらみんなに敵うわけもなく、悔しい思いを抱えながら、
講座の後にみんなで行く飲み会で、ヘラヘラして、自分の悔しさを塗り潰そうとしていた。
今ももちろん悔しい。


宣伝会議賞

宣伝会議賞は、コピーライター妖精講座の途中のタイミングにある、広告のコンペだ。キャッチコピー、テレビCM、ラジオCM。
それぞれの戦い方で、何万本もの企画が競い合う言葉の全国大会のようなもの。

ひたすらに悔しい思いを抱えていた僕は、そこに挑んでなんとしてもみんなに勝ちたかった。それもある。

でも本当はきっと違っていた。

自分が努力しているつもりになっていて、うまくいかなくて、そんな状況から抜け出したかったのだ。
たまに褒めてくれる人がいたけど、それとは全く別物で、僕が頑張ろうとしている方向性が間違っていないっていう確認をしたかったのだ。
もちろん書くうちにどんどん好きになったコピーだ。でも、才能の有無とかで本当に何も歯が立たないみたいな現実がやっぱり怖かった。

僕が自分なりに頑張っていると思っていることは、頑張れていると言えることなんだろうか。
この道に進んでいいのだろうか。
その答えが知りたくて、僕は宣伝会議賞に応募した。

結果発表はとても怖かった。


審査に通過できていないのが怖いんじゃなくて、僕の進む道が間違っている。努力の仕方が間違っている。そもそも頑張れていない。
そうやって、僕のやっていることが、目に見える形で全否定されてしまう気がしてしまった。

怖くてたまらなくて、その分みんなに明るく振舞って、取り繕っている自分に嫌気がさしていた。2月1日まで、その繰り返しだった。


その日は、会社の仕事が終わるのと同時に本屋に向かった。
新宿の人混みでモタモタ歩く人を躱して、僕はルミネに向かった。
エスカレーターもいつもよりゆっくりに感じる。
雑誌の置いてある場所に立ち、宣伝会議を手に取る。

僕は、恐る恐る結果を見た。

一つずつ読み進める審査通過者の名前の中に、僕の名前は見つからない。
焦りとともに、心臓の鼓動は早まる。
ページをめくってもまた見つからない。
汗が止まらない。
まためくる。



僕は自分の名前を見つけた。



新宿のど真ん中にあるルミネのブックファーストで、
僕は涙ぐんだ。

安堵の涙だ。

頑張るってこういうことか。
これだけ緊張して、感情が揺れ動いて、体の制御もできなくなる。
これが頑張るってことなのか。

結果は、二本通過。決して多くない。でも二本は通った。

僕が進む道は決して間違っていなかったんだ。
確かに、そう思えた瞬間だった。



僕はこの宣伝会議賞を通して、
頑張るってこういうことかを学んだ。

でも一歩間違えていたら、自分はここで諦めていたかもしれないと思うと
それはそれで少し怖い。(きっともっと悔しくなって諦められないけれど)

どんな結果になったとしても、挑戦したのは事実だ。
あの時踏み出した自分に感謝したい。


そして、迷うことがなくなった今。
これからはもっと頑張ろうと思う。


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