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大学サッカー引退/憧れの像


新年明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

大学サッカー引退について書こ思ったら、卒論かってくらい長い文章になってしまいました。
4年間の出来事をまとめて、その時の気持ちを綴った感じになっています。
興味があればぜひ読んでください。


11/18 関東大学サッカーリーグ
第22節 vs 東京国際大学 0-1×

この試合で俺は大学サッカーを引退した。

もちろん結果に悔いはあるが、自分の行動に悔いはない。

そんな大学4年間を振り返っていきたいと思う。

~1年目~
3月に練習に1週間ほど練習に参加した。

そして1度兵庫に戻り、4月からまた参加する予定だった。

そんな時に一通のメールがきた。

「活動停止」

コロナウイルスが蔓延し、活動が出来なくなった。

もちろんチームとしてはとても痛いし、コロナウイルスに侵された方にとっても、自分にとっても辛い時間を過ごした。

でもサッカー選手の自分としては

「チャンス」

そう思った。

この期間で周りと差をつけられる。

休んでる時こそやらないと。

そう思ってこの期間、できる範囲で努力をした。

午前はチャリで1時間かけて武庫川に行って「武庫川SC」という名前をつけたチームのみんなとTR。

午後は猪名川で1人でTR。
家で母さんと筋トレ、体幹。

そんな日々を過ごした。

そして拓大の活動が始まったのは、6月。

身体のキレが上がっている気がしていた。

そして初めての紅白戦。
サブ組だった俺は2ゴールを決めた。

でも同じポジションにはレオくん(現長野パルセイロ)やリクくん(現アルビレックス新潟S)という、でかい壁となる先輩がいた。

3番手でリーグ開幕を迎える、そう思っていた時
プレシーズンマッチで早稲田と闘った。

その試合、運良く自分が2番手になれた。

迎えた7月の開幕戦。

ベンチ入りできた。

高校の時はろくに試合も出られてなかったから、とんでもなく緊張していた。

でも終わってみたら9-1で勝利。

拓大つよっ。そう思った。

その試合で一緒にベンチにいた、カブくん(現いわきFC)、カイセイくん(現アルビレックス新潟S)はベンチで怒っていた。

「早く出せよ」と。

俺は緊張してるからそんな風には思えなかったけど、このギラついてる先輩を見て

このチームなら強くなれる

と思った。

この試合から俺の大学サッカーが本格的に始まった。

この後はよくわからないまま、なんかめちゃめちゃ勝ち続けてた。

1年目の俺は関東リーグってこういうもん?
いや、んなわけないか。とか思ってた。

気づけば昇格。本当にそんな感覚だった。

今になってあの先輩たちの凄さが身に染みてわかるし、とんでもないチームで1年やらせて貰えたんやな〜と思う。

1年の中ではウチくんに怒られたり、青木さんに怒られたり、腰怪我したり、色々あった。
(書いてたらキリないから省略)

あ、7月に後の相棒となる小長谷が

「俺市船ですけどなにか?」「千葉県最強」

みたいなイキリ方をしてトップチームに上がってきた。の割にはとんでもなく青木さんに怒られてたのを覚えている。

話を戻します。

1年目は俺はスタメン出場がなく、途中出場ばかり。0ゴール0アシスト。

納得のいくものではなかった。

レン、アオシ、小長谷はスタメンで出ていたりもしたから焦りもあった。

~2年目~

2年目のシーズンスタートは最悪だった。

プレシーズン2連戦があった。

1日目、サブ組の試合で2ゴールをあげて翌日のメンバーに入った。

2日目のスタメン組の練習試合、途中出場で途中交代。

ロングボールは止まらない、プレー選択も後ろ向きでミスばっか、そりゃ怒られるわなぁ。って内容ではあった。

にしても凹んだ。かなり意気込んでいたから。

そして迎えたリーグ開幕。

相手は早稲田大学。ベンチ入りできた。

0-1で負けてる後半ラスト、出番が来た。

「右サイドバックでいくぞ」

気づいたらリョウジくん、ゴジくん、俺が並んでいた。

サッカー人生初の西が丘に高ぶっていた。

でもチャンスが来たけど外したし、すっごい俺のところでボールキープされた。

0-1のまま終わった。
やりきれない気持ちが強かった。

翌日サブ組で法政大と試合をした。

その試合びっくりするくらい絶好調だった。

そしたら次の週、前の試合ではサイドハーフでは3番手、サイドバックで出場の俺が左サイドハーフのスタメンでピッチにたっていた。

そこからは調子が良く、インパクトは残せた気がする。

そしてU20関東選抜、その後の全日本大学選抜候補の合宿にも参加した。

そしてその合宿から帰った次の関東リーグ

ベンチに戻っていた。

そこからは10試合ほど全部ベンチ。
出られない試合もたくさんあった。

納得がいかなくて何度も青木さんに話しに行った。

「お前が悪いというより、今出てるやつが良い」

「波のある選手は使いづらい」

そう言われたのを覚えている。

ベンチでミヤケンと右京くんと文句を言う試合も沢山あった。

試合後、試合会場でウメと右京くんとTRをしたこともあった。

残り5試合、残留がかかっているところでチャンスが回ってきた。

流経大戦からスタメンで出ることが出来た。

結果は3勝2敗

勝ち越してなんとか入れ替え戦に繋げられた。

入れ替え戦までもスタメンでいく。そのつもりだった。

入れ替え戦の1週間前。ザスパ草津とTMがあった。

スタメンで出場。1アシストをした。

でも前半途中で交代。
後々考えると明らかにテンション感に馴染めてなかったし、強度が足りてなかったと思う。

その週の最後の練習。

浮き球に背を向けてしまった。

「お前なんかいらねえ」

そう言われた。

入れ替え戦は出場はなかったもののベンチ入りをしてチームのために闘った。

そして勝てた。本当に嬉しかった。

2年目はスタメン出場11試合と手応えは掴めたものの、1ゴール1アシストという物足りないシーズンだった。

ながみー(現ツエーゲン金沢)とあゆくん(現FリーグY.S.C.C.横浜)という2人の先輩というか親友が卒業して、すごく悲しかった。
ほんとお世話になってます。

~3年目~

DENSO CUPのバックアップメンバーに入った。

DENSOの現地入り当日、拓大で練習試合をしている俺に、

「今から福島向かえる?」

当日の予想外の召集。嬉しすぎた。

そこでは同部屋だった、セナくん(現SC相模原)、イッセイくん(現ジェフ千葉)、ケンタ(現順天堂大)、俺のことが大好きなカイトを初めとして沢山友達ができて、すごく楽しかった。

関東Bとして優勝をして最高だった。

でも個人としては試合に出られず、出ても高校選抜相手に大したプレーもできない。

実力不足を痛感した。

チームに帰ってからも全然ダメ。

リーグ開幕こそ良かったものの、その後も調子が上がらず。

vs早稲田戦。出場無し。

3年の俺にとっては屈辱で悔しかった。

その後の法政大戦。途中出場で1アシスト。
でもまた途中交代。

結果を出すことを考えてきた俺にとっては、納得のいかない交代だった。

その時も試合後青木さんに話をしに行った。

青木さんは毎回感情的にならず、教えてくれる。

正論で納得できる部分があるからこそ、悔しかった。

代えられた時、ベンチにいたタカボー(現FリーグY.S.C.C.横浜)に言われた。

お前大人になってるよ。キレなかったのほんと偉いよ。

普段めちゃくちゃ仲のいいタカボーに言われたからこそ嬉しかった。

その後、練習で肩を亜脱臼して5試合欠場した。

リハビリは1ヶ月半ほど。
肩を怪我したから上半身は動かせない。

「下半身を鍛えるチャンス」

そう思って、週4~5で下半身の筋トレをした。

これは正しくないのかも知らないけど、明らかにパワーがついた。

復帰した時、自分でもわかるほどキレとスピードが上がっていたし、足もつらなくなった。

夏の連戦で更に調子を上げて、アミノバイタルカップ。

1回戦敗退。そんな甘くはなかった。

でも本当に調子が良かった。

リーグ再開後、俺はベンチに座っていた。

青木さんにまた話しに行った。

「調子がいいからこそベンチ」

当時の俺には理解できなかった。

でも出ればやれる自信があったから、準備をしていた。

そこで転機が訪れた。

vs駒澤大学

1人少ない状況での途中出場で1ゴール1アシスト。

ここから3試合連続でゴールを決めた。

スタメンをとることもできた。

シーズン終盤。

3年間ずっとスタメンを争ってきたリクくんが怪我をした。とても悔しかった。

最後の試合はリクくんのユニフォームを下に着て出場した。感謝の気持ちを込めて闘った。

後半にゴール。リクくんの元へ走った。

そしたら真っ先にゴジくんが出てきた。

めちゃめちゃ嬉しかったけど、ゴジくん速すぎた。その後リクくんとも抱き合った。

少しは恩返しできたのかなと思う。

4ゴール4アシスト。

インカレ出場こそ叶わなかったものの、とても成長を感じて、充実したシーズンを送ることができた。

その冬いわきFCからオファーを受けて、プロサッカー選手という、ずっと追いかけ続けた夢が叶った。

自分を認めて、声をかけてくださったいわきFCには感謝します。

~4年目~

いよいよ大学ラストシーズン。

天皇杯予選直前までいわきFCで活動させてもらっていた。

その間に2年目のDENSO CUPがあった。

今年は関東Aだった。

周りはプロになるやつらばかりで、俺の出場機会は少なかった。

自信があったからこそ悔しかったし、まだまだだなと思わされた。

3月末に拓殖大学に戻った。

そして迎えた開幕戦。

勝てた。

でもなにか例年と違う感覚があった。

凄く緩くて、緊迫感がなかった。

その後、後半ラストで勝利を逃すような試合が続いた。

なかなか勝てない中での、東洋大戦。

やっと勝てた。

5-4という撃ち合いではあったが
勝てたことが本当にうれしかった。

翌日のサブ組の練習試合。

見ていて、結果内容ともに納得できるものではなかったと思う。

そこから悪夢の4連戦。

全部大差での負け。

失点に慣れてしまった。そんなチームの雰囲気があった。

何とか変えてやろうと、たくさん発言したし、たくさん話し合った。

拓大がここまで築いてきた地位を守るためにやれることをやろうと思った。

夏の中断期間、いわきFCに参加させてもらった。

その期間ですごく多くのものを学べたし、再開後チームに還元できる確信まであった。

そしてリーグ戦再開。

そこではまた違った壁にぶつかることになった。

リーグ戦再開3日前にヘッドコーチが変わった。
それによって、スタメンの構成も大きく変わった。

流れを絶つためには賢明な判断だと思ったし、自分たちはやることをやろう、そう思っていた。

しかし変えられた選手からの不満が出る。

これはもちろん仕方の無いことだし、納得のいかない選手がいて当然。

でもここから闘うぞって時に、チームがばらばらになることだけは避けたかった。

出られなくなった選手をケアする、それと同時にスタートで出る経験の少ない下級生を萎縮させないようにする、自分のコンディションを調整する。

色んなタスクがあったように思う。

すごく考えたし、試合前はこれまでに無かったほど緊張するようになった。

自分がやろうとしてる分、周りがやってないように見えると腹が立ってしまう。

このままじゃ、壊れてしまうと考えた。

そこですぐに思い浮かんだのが

「ウメザワワタル」

梅に頼ればいい、そう思った。

梅とはプライベートで週3~4で飯を食う仲で、最高に信頼出来る熱い仲間。

うめに電話をした。

すごく気持ちが楽になったし、任せられるようになった分、自分のことにも集中できた。

ほんとに助けられた。ありがとう。

再開後、2試合勝てなかった。

でも明らかに前とは違う感覚があった。

いい試合ができてる、どっちに転ぶか分からない試合をしてる、

その感覚がたまらなく楽しかった。

そして迎えた法政大との試合

下位対決。負けたら終わり。

ベンチには梅が入った。本当に気持ちが楽だったし、すっごく心強かった。

後半に先制点。途中で入ったナガリクのゴール。

するとすぐ追いつかれた。

いつものやつか〜、また引き分けで終わりか〜、そんなことが頭によぎった。

でも後半ラストCK

なぜか安西のマークをブロックして、安西がフリー。なぜか小泉がヘッド。

いや意味わからんて。

でも意識が飛ぶくらい嬉しかった。

小泉はシーズン頭から出れなくても、嫌な顔ひとつせず、誰よりも真面目にやっていた。それを知っていたし期待していたからすごく嬉しかった。

後半ラストは涙が溢れてきてた。

終了の笛。

この一瞬のために苦しんできた、そう思えるほど嬉しくて幸せな瞬間だった。

勝利のWe are 拓大

ウメザワ号泣。

勘弁してくれまじで。最高に熱かった。

そこからはまた勝てない日々。

でも残れる自信があった。前とは全く違う感覚。
勝てる感覚がずっとあったから。

vs東海大戦

俺にとってすごく特別な試合だった。

小学校から切磋琢磨してきた、1番刺激しあってきた、今でも1番の親友、一志との試合。

そして、ウメザワ初スタメン。

一志とはずっと一緒に頑張ってきて、お互い下から這い上がってきた仲間。

ずっと試合やりたいって言ってて、これまではどっちかが怪我とか、居ないとかで4年間試合をしたことがなかった。

ラストチャンス。ピッチで会えた。

最高に嬉しかったし、楽しい時間だった。

ウメの初スタメン。

試合4日前、スタバで梅と会った。

なんかわからんけど梅の顔が青白い。強ばってる。

「悠馬、話いい?」ほぼホラー。

「俺今週スタメンかも」

鳥肌ぶわぁーってなった。心の底から嬉しかった。

そこからは梅の緊張をほぐすための1週間(笑)

いつも通り飯もいっぱい行ったし、いっぱい話した。

試合当日の朝。

いつも午後試合の時は、午前スタバにいく。

もちろん梅もいる。

俺はいつも緊張してるから、梅がいてもしゃべらないし、黙ってスカしている。

でもその日は違う。

俺の何十倍も緊張した顔の男が座ってた。

さすがに話しかけた(笑)

うめの緊張してる顔見たら、全然緊張しなくなってきた。

試合。ウメザワ大活躍。

クロスボール全部飛び出す、背後のケア素晴らしい。シュートストップ完璧。

確定しました、ウメザワ練習手抜いてました。

あんなうめ見たことないってくらい、覚醒してた。というか、上手くなってた。

ウメはこれまで出られてなくて、今シーズンすげー気合い入ってた。

でも下の学年の子が出ていた。

初の90分の試合、vs明治。

うめは前日もその前日も意気込んでた。

やっと90できる!まじたのしみ。って

その試合でウメは大怪我をした。

あんな泣いてるうめは初めて見たし、俺もずっと一緒に頑張ってるからすごく心が苦しかった。

でもその後のうめの行動は本当にすごかった。

誰よりもチームのために動くし、出られないのに誰よりも熱かったし、自主練だってする。

悲しい顔1つせずに、明るく振る舞う。

試合に出る後輩にも、全力で指導するし本気でチームのことを考え続けてた。

そんなうめを見て、俺何してるんやろって何回も思わされた。

ウメのちょっとおもろいエピソード。

夏俺は肉離れして、うめといっしょにリハビリしてた。

朝7時練、下のカテゴリーの話したことない1年生が歩いている、うめから挨拶をした。

「おはよー!」

「…」

返事はかえってこなかった。

なんやあいつ。そう思って梅を見たら何事も無かったかのような笑顔。

いや、無視されてんで。

でも梅はそれでいいらしい。それに関してはいいのかわからんけど、なんかすごかった。

そんな梅の活躍。嬉しすぎた。ほんまによかった。

vs筑波戦

優勝が決まった相手、応援も沢山来てくれた。

またロスタイムで負けた。

悔しいって言葉じゃ表せないくらい悔しかった。

また実力不足。

夏、筑波に負けて、立教に負けて気づいたはずなのに。

覚悟も努力も何もかも甘かった。

周りが悪い、審判がどうこう関係ない。

もうひとつ悔しいことがあった。

ラストワンプレーでのうめの負傷。

うめは肩を脱臼した。今シーズン絶望。

ウメ自身が1番悔しかったはず。やっと出れるようになって、やっとピッチに立てた。パフォーマンスも安定してた。

その時俺の中に後悔が浮かんでた。

リーグでウメからパスもらいたかったな〜

練習ではウメが前にボール置くと俺が背後に走る、カウンターは俺が走り出すから梅が蹴る。

4年間たくさん話して、何回も成功させて、毎回「あれ最高やったな」って言ってた

この二試合、1回だけチャンスがあった

梅がキャッチして俺が走り出す、梅が俺に投げた。

届かなかった。

俺がもっと速けりゃな〜って思った。

速くなっとくからまた投げてこいよウメザワ

最終節

勝っても他力残留

もはや緊張なんてなかった。失うものはなにもない。

苦しかったシーズンもあと90で終わるかもしれない。

やるしかないっしょ。

0-1で敗戦。

試合終了間際、どうやったら外すんっていう決定機を外した。


これが俺の4年間なんだなと。

すごく練習したつもりやし、闘ったつもり。

でも何か少し足りなかった。いや、全く足りなかった。

甘かったなと思う。

チャンスを作ることに満足してる自分がいたなって途中で気づいた。

だから試合を決められる選手にはなれなかった。

今年は俺が決めなきゃいけなかった。

実力、覚悟、努力、足りなかった。

俺は後悔しないようにって思って、とにかく時間を無駄にしないように取り組んできたつもり。

いくらあっても足りません。

そう強く感じた1年でした。

もうこんな思いはしたくない。させたくない。

強くなります。

この1年、後輩たちにも同期にもたくさん厳しいことを言ったと思う。

その中で変わった後輩もいた。
最後一緒に試合出られてよかったよ、てる、つばさ。

言うからには責任があると思ってる。

俺が最後の1年みんなに言ったことは、俺も絶対にやりきる。

その責任は拓大を背負ったものとして果たします。

最終節のあと、悔しいのと寂しいのとで涙が止まらんかった。

ほんとに悔しかったし、みんなが大好きだった。

今年は5回泣いたかな。

そのうち4回負け。

高校から去年まで6年間泣いたことなかったから、サッカーではもう泣かんのやろな〜って思ってた

まだ涙が出てくるってことは、そういうことです。

伸び代バチバチです。

てことでもう卒業。

俺は入学する時に、立てた目標というか、
「憧れの像」がある。

それはプロになるとか、デンソーのメンバーに入るとかじゃない。

「拓大のエースになる」

高校3年の当時、俺は公式戦スタメン3試合。なんなら高校3年の初めまでBチームにいた人間。

もちろんプロになりたかったけど、客観的に考えると現実的ではなかった。

そこで辿り着いたのが、「拓大のエース」になることだった。

3年から11番をつけて試合に出してもらった。

4年では全試合スタメン。

なれたかな〜って考えたけど、理想像には全然届きませんでした。

それほど「拓大のエース」ってものは

重くてなかなか届くものじゃなかったです。

ここからは新たな舞台。

家族、友達、先輩後輩、お世話になった人を幸せにするために闘います。

どこまでやれるかわからんけど、できる限りいけるとこまでいってみたい。

最後に、一緒に闘った仲間へ

今年1年、本当に沢山迷惑をかけました。
「全然結果出さんやん」「口だけ」って思った人もいると思う。それでも、表に出さずついてきてくれてありがとう。皆を勝ちに導くことが俺のやるべき事だと思ってた。でも後々考えると、みんなに導かれてばかりで、まだまだ力不足だなと感じました。俺が皆に伝えたかったことはもうすでに伝わってると信じてる。
限られた時間でどれだけ強くなれるか。
負けた時、「来年頑張れ」なんて無責任なことは言えなかった。
でも時間が経って今言わせてほしい。
本当にがんばってくれ。拓大を取り戻してくれ。
本当に応援してるし、負けないように頑張ります。
みんな1年間ありがとう。

同期へ

まず4年間お疲れ、ありがとう。
正直、入学当時は同期がこんな熱い存在になるなんて思ってなかった。
でも今は何にも変えられない、本当に大切な存在です。
今年1年、俺のやろうとしたことにすごく協力してくれたし、その中でぶつかったりもした。
すごく相談乗ってくれるやつ、いつも通りふざけてくるやつ、黙々とやり続けるやつ、裏で支えてくれるやつ、顔がでかいやつ。色んな人が居たな。
俺らはキャプテンが居ないって言われてて、試合に出るメンバーも4年間すごく少なかった。
でも最後マサさんも言ってたけど、4年生誰1人練習で手を抜いたことがなかった。これは本当に誇らしいことだと思う。進路、立場、結果、色んな面で悩むことの多い1年だったと思う。
それでも皆がチームのことを考えて全てをかけて闘えた。最高の時間でした。
"頼れる"4年生ではなかったかもしれないけど、
"愛される"4年生にはなれたんじゃないかなと。
練習後みんなでだべったり、皆でトレーニングしたり、試合の行き帰り、練習後の昼飯、川遊び、クレープじゃんけん、皆といる時間全てが本当に楽しかった。もっとアウェイ行きたかった。
俺的には同期に言うってのがすごく難しくて、気を遣ったところもあったし、それでも言わなきゃいけないところは強く言った。俺の熱意が伝わってればなと思ってます。
今までクラブでサッカーをしてきて、大学で初めて部活動をしたけど、こんなに青春できたのは初めてです。

コナは俺のこと好きすぎ。もはや愛。
ウメは俺のこと可愛がりすぎ。
セイゴウは顔デカすぎ。
アオシはウメ好きすぎ。
レンは細すぎ。
ナバ馬すぎ。
ナガリク喧嘩しすぎ。
シモン。

こんな同期でした。愛が溢れすぎててまだまだ書けるけど、パッと終わっちゃいます。
ありがとうみんな。

こっからがスタート!とは言いませんが、サッカー人生の完結に向けてラストスパート。

熱く闘って燃え尽きます。

てことでここまで読んだ人はまじスーパーです。

感想、熱い想い、なんでも待ってます。

ありがとうございました。

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