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栄光から転落へ

高校1年生秋、僕は初めてチャンスを掴んだ。

青春時代、僕の生活は野球一色だった。中高と野球部へ入部。高校はそこそこの進学校で、野球部も弱すぎず、強すぎず。
そんな実力の高校だったので、1年生の夏の大会では初戦敗退し、新チームとして春の甲子園へ向けた練習が始まった。

当時の部員は1.2年生で30人弱と競争率が比較的低かった。
だが僕は中学校時代、3年間ベンチを温め続けた超秘密兵器だ。しかも実際に試合に出してもらった回数は片手で数えられるくらい。悔しかった。
いざ試合に出場できても、気弱な性格からフォアボールを狙ったあげくバットを振らずに三振、みたいなことが多かった。これでは試合に出れないのは言うまでもない。

こんな自分を変えたくて、絶対的な自信を得るため毎日バットを振った。夜中でも壁当てをして、苦手な守備の特訓をした。

そうして迎えた高校1年生の秋、メンバー登録18人の枠に選ばれた。背番号は14。家に帰って、母親にゼッケンを渡す時が誇らしかった。母も大変喜んだ。

秋の大会1回戦、先輩らの活躍により、なんなく2回戦へと歩を進めた。
2回戦、相手に先制点を許し、4回裏の時点で1-0で負けていた。
そこで思わぬ声を聞く。
『次ランナーが出たら、イズミ、代打行ってこい。』
そう監督に言われ、心臓の鼓動が高まるのを覚えた。
『ハイ!』と答えて、素振りを始める。
愚公山を移す一心で練習して、成長した自分を披露する時がきた。
素振りをしていると、ランナーが出塁し、1,2塁のチャンスに。
そこで『代打、イズミ』と監督が主審に伝える。
僕はゆっくりとバッターボックスへ向かった。もうバットを振らない自分はいない。来た球を打ち返す、それだけだ。
1球目を見送り、セットポジションからの2球目、打ち返した打球はショートの真上を超し、左中間への走者一掃のタイムリーヒット。
2塁まで進んだ僕は、不器用なガッツポーズを3塁側ベンチのチームメイトへ向ける。練習は嘘をつかなかったのだ。自信が確信に変わった瞬間だった。
このタイムリーヒットは人生に無駄な努力がないことを教えてくれた。

この得点でチームは押せ押せムードとなっていた。
2塁ランナーとしてリードをとる僕。するとピッチャーが反転し、ボールを投げてくる。
「アウト!!」とコールが響く。
舞い上がりすぎて、帰塁が遅れ、牽制死したのだ。ベンチ一同、ずっこけていた。
しかし、流れはうちにきたため、2回戦も突破。監督に次はスタメンで起用すると言われ、僕はこの世の春を謳歌する気分だった。

初めてスタメンに選ばれた3回戦。なんと僕は試合を休んだ。38度の高熱が出たからだ。
せっかくレギュラーになる階段を踏み始めたのに、急に階段が坂になり、ズザーっと音を立てて滑り落ちるようであった。
家で寝ているとチームは3回戦も勝ち残り、甲子園への切符が見えてきたという。嬉しい反面、不甲斐なさがあった。

アニマル浜口ばりの気合で熱を下げ、翌日の4回戦には、僕はグラウンドに舞い戻った。しかもスタメンで起用してくれるという。
相手は、甲子園常連の強豪だった。油断できない。気を引き締めて、6番セカンドで試合に出る。

一回表、相手の攻撃で2点先制された。次の回も相手の猛打が始まる。
セカンドの僕にも、この世のものとは思えない強烈な打球が飛んでくる。一歩も反応できず球が取れなかった。実は熱がまた戻ってきたのだ。
意識朦朧の僕の正面に地獄の弾丸のような球が転がり、これまたエラーした。このミスも響き気づいたら6失点。打席に立ってもフラフラだ。監督も異常に気付き引っ込められたが、チームは5回コールドで惨敗。引っ込められてからは何も覚えていない。

家に着いても熱が下がらなかった。病院へ行くと、なんとインフルエンザにかかっていたのだ。
さらに悪いことにチームメイトにもうつしてしまい、総スカンを食らった。
今のご時世だと大炎上待ったなしであろう。笑い話になっているが、体調の悪いときは無理せず休むことが大事だと学んだ経験だ。


他にも高校野球の思い出はたくさんある。この時代の思い出が今の僕を形作っていることは間違いない。

#高校野球の思い出

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