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【創作大賞 お仕事小説部門】  コンプラ破壊女王 ②

2話 『窓から飛び込めっ!』

 駐車場からバックで出ようとした時に、いつもの癖でつい助手席の頭の所に手を添えようとしてしまい、慌てて手を引っ込めた。

そこには田中さんが座っている。

 足元のパンフレットやサンプルと箱ティッシュを気にしながら、チョコンと座っていた。
普段は助手席に山積みにしていた荷物を、商用車のバンの後部座席に置いたり足元に置いたりと分散させた。
今日から女子が乗るんだったら、ちゃんと片付けたのにな。

ティッシュを一週間に一箱を使うくらい重度の花粉症で、コンビニ袋いっぱいに使用済みティッシュを詰めていた。
それを捨てときたかったな。
僕の鼻水袋は、田中さんの座席の後ろでひっそりと佇んでいる。

商用車のバンが信号で止まる。
アイドリングのエンジン音とウィンカーのカッチカッチ音が無音の車内で煽(あお)ってくる。
ほれっ…なんか話せ、気まずいだろぅ…いたたまれないだろう…と。
営業で10年以上もメシを食っているのだから、『当たり障りのない会話』が得意だろ。

ほらっ天気の話しなよ、季節の話は? 桜みたぁ? とかさ。仕事なれたぁ? とかさ。


「このあいだ3年ぶりに得意先で土下座してね」
さぁこれから上司が面白失敗エピソードを始めるぞぉという感じに明るい調子で言った。
なのに、「…そぅですか……」と悲壮感あふれる声で返されてしまった。

チラッと横顔をみたら、心憂い顔をしている。

 信号が青に変わり、バンを前に進ませ左折する。
 得意先でガミガミ叱られすぎて召捨がつかなくなってしまい、ここは天下の宝刀、土下座でチャラにしてもらおうと、ざっくばらんに土下座をした。
「あぁ、もぅ頭を上げてください、何もそこまでしなくても…」
と得意先の方が言ってくれる事を期待していた。
なのに、いつまでたっても言ってもらえない。
コンクリートに額をくっつけたまま、「あれっこのあとどうすれば…」と思っていた。
土下座って自主的に止めて起き上がっていいんだったっけ?
 得意先の人が携帯でムービーを撮り始めているのが影の動きで分かった。
 ご丁寧に、「こちらの業者さんが全面的に非を認めて、今、土下座をしています」とムービーに声を吹き込んでいた。


 この自虐ネタが営業部でバカ受けだったので、田中さんにも楽しんでもらおうと思ったのに、最初の「そうですか…」でとても言えなくなってしまった。

あぁ……無難にお天気の話をすれば良かったな。

「シャンプー、何つかってんの?」
えっ! という田中さんの声で我に返った。
あれっ…俺、なんでそんなことを聞いてしまったんだ。
 話は弾まないのだが、どことなく親近感があるような気がしていた。
車内の香りが妻に似ている事に気づいた時、口が勝手に「シャンプー何つかっているの」と言ってしまった。
セクハラ? セクハラだよね、気色悪いよね、僕。
「ごめん、何でもな…」と言っている最中に「ハーブガーデンです」と答えてくれた。

「あ…ありがとう」

確か家の浴室に葉っぱの絵がプリントされてあるシャンプーがあったな。
自分のシャンプーを詰め替えるのが面倒くさくて、妻のシャンプーを勝手に使って、風呂上がりに台所で妻とすれ違ったら、
「あっ! なにあたしのシャンプー勝手に使ってんだ! アナタは駄シャンプー使いなさいよ!」
と叱られたもんな。

「あぁ…そうなんだ、どうりで。うちの妻と同じ匂いがしたからさぁ…」

におい? 匂いを嗅いだの? 俺。 
初対面の女の人の匂いを嗅いで感想を述べたのかっ!
セクハラだぁ、セクハラだねぇ、きしょいよね、俺。
怖くて楓さんの方を向く事ができない。
「そうなんですか」とさっきの土下座の話よりは明るく答えてくれた。

 渋滞にはまった――。

信号が変わっても一歩も進まない。
どうやら事故が起きたらしい。気持ちも凄く重たい。
「千川係長は好きな食べ物なんですか?」
シャンプーの匂いの話題から何をしゃべって良いのか分からなくなり、すっかり無口になっている僕に気をきかせてくれた。

「納豆」

「あっ本当ですか…私も大好きです。いつもウチでは納豆にネギ入れるんですよ、係長は?」
「べ…別に…」
シャンプーの匂いの件をまだ引きずっていて、うまく答えられなかった。 
カラシとか入れるだろうよ、納豆に。
嘘でもいいからコーラを入れるぐらい言えよ、バカ。
 映画の完成披露会で、記者の質問に「別に」って答えて総スカンされた女優が前にいただろうに。
彼女から何を学んだんだよ、千川。

 信号が青に変わっても、一台も前に進めない。

「好きな芸能人っている?」
勇気を振り絞って聞いてみた。
田中さんが答えた芸能人をベタ褒めしよう。
僕が興味のない人であってもその芸能人を凄く褒めよう。
素敵だね、格好良いよね、オーラを感じるとか………さぁ、来い!

「と……特にいないです‥」

「そ……そう………」

本当にいないんだろうなぁ、好きな芸能人。
申し訳なさそうに、残り少ないマヨネーズを絞り出すような声で言ってくれた。

信号が変わらない。

バンが前に進まない。

重くて苦しい空気が、ハーブガーデンの香りに包まれて車内に充満している。



 あまりに渋滞が酷いので、急遽、得意先まで電車で行くことにした。
田中さんが通っていた大学がすぐそばだと言うので、案内をしてくれるとのこと。
適当な駅に商用車のバンをコインパーキングに止め、あとについていった。
 エスカレーターに乗っている時に、二段上に乗っている田中さんのパンツスーツのお尻が目の前になっている事に気づき、慌てて天井などに目線をずらした。
 もぅ普通の女の人か、できればブサイクな人がいい。
何も気にせずお尻を見れる。
 美人と二人だけで行動をするのが、辛くなってきた。

 プラットホームに降りたら、今まさに発車しそうな電車が来ていたので、飛び乗るように乗った。
「約束の時間に間に合いそうですね」
楓さんは時計を見ながら席に座る。僕もその横に座った。

 シャンプーの匂いの件の事をまだ僕は引きずっていたが、狭い車内に比べて広い電車内だったので、幾分落ち着きを取り戻せてきた。

 春の陽気に変わり、コートを着なくなった。

荷物が多かったので、暖房が効きすぎる車内でわざわざコートを脱がずにすんだ。

 平日のお昼すぎの電車内は人がまばらで、買い物帰りの主婦が雑誌を、大学生っぽい女の人がスマホを覗いていた。
座席が空いていたので、紙袋に慌てて詰め込んだサンプルと資料を座席によいしょと置いた。

「係長どうしましょう……大変です!」

田中さんの顔が青ざめている。
「どうしたの?」
「慌てて電車に飛び乗ってしまったので……」
反対方向の電車に乗ってしまいました、とかでも言うのかな、と思った。
「ここ女性専用車両なんですよ、係長、男ですよね!」

あれまっ!

窓ガラスにはピンクの看板で、くっきりとした文字で『女性専用車両』と書いてある。
どうあがいても言い逃れができないくらいの大きさの看板。
「大丈夫です、係長、大丈夫ですから」
田中さんが震えるような声で慌てふためいている。
僕だって大丈夫だと思っているよ。
次の駅に着いたら、別の車両に移れば良いだけの話だろ。
だけど楓さんがあまりに「どうしよう、どうしよう」と動揺をしている。

仕方がないので、すぐに隣の車両に移る事にした。
車両と車両の間の連結部分のドアを開けようとしたのだが、鍵が閉まっている。
普段は、開くはずなのに、女性専用車両だから開かないのかな。
ドアの取っ手の部分が僕の汗で少し滑っている。
焦っている時に鍵が開かない時の絶望感に似ていた。

ホラー映画でお馴染みのシーン。
そのドアにも『女性専用車両』の看板が貼ってある。
その看板に、大きくバッテン印に覆われているサラリーマンのイラストが描かれている。

その男の人が、どことなく僕に似ている。

僕が、大きくバッテン。

全国一斉取り締まり犯のポスターを見つめる逃亡犯のような気持ちになってきた。

その男性の横に女性のイラストが描いてある。
40代ぐらいの買い物帰りの太った主婦のイラスト。
そのおばさんは、ねぎがひょっこり出ている買い物籠を左ひじにかかげながら、右腕は高々とあげ、げんこつのポーズをとっている。

その顔が、僕をジッと見つめている。

正義感あふれるような目つきで、僕を見ている。
いや………僕を睨みつけている――。

世のすべての女性の敵、それがアナタよ!
 
とでも言わんばかりに僕をキッと睨みつけ、掲げている拳を今まさに僕に振り下ろそうとしていた。

ヤバイ! 逃げなきゃ!

連結部分のドアから振り返ると、車内のみんなが僕を見ている。

当然、みんな女性。

女子トイレとかおんな風呂とか、シロガネーゼのセレブの女子会とか……、僕がそこに存在しているだけで、罪を犯している罪悪感を今、ヒシヒシと感じている。

「係長! 窓です! 窓を開けましょう」

「わかった」

田中さんが、電車の窓ガラスの端っこの鍵の取っ手を掴んだので、僕は反対側を掴んだ。
二人で、せーのっと声を合わせ、下から上半分まで窓を開けた。
 走行中の電車の窓から、まだ春になったばかりの暖かい風が、桜の花びらと一緒に吹き込んできた。
公園ではしゃぐ子供のように、桜の花びらが舞い、その姿を二人でぼんやりと見つめている。

「って、おい! 走っている電車から飛び降りろって事か!」

「えっ……あっ! そうか…」

二人でまた、せーのっと声を合わせて窓ガラスを閉めた。
均等な力加減と絶妙なタイミングで合わせなければ無理なのに、僕と田中さんは一発でピシャっと閉める事ができた。

向かいの席のおばさんが笑いを堪えている事に気がついた。

落ち着け、俺。

次の駅で普通に下車すれば済む話だから、大丈夫だから。
うん、大丈夫、俺は大丈夫。
普通の人、普通のサラリーマン。
まだ、何の罪も犯していない……ハズ。

なのに、田中さんが俺の手首をおもむろにガッと掴み、そして掲げた。

「この方は私の上司です。間違えて女性専用車両に乗ってしまっただけです。何もしないです。ご安心ください」
他のお客さんに向かって大きな声で言った。
「大丈夫ですから…、大丈夫ですから」
掴んでいない方の手をパーにして、周りを落ち着かせようと、ユラユラと揺らしている。



動物園の猛獣が檻から逃げ出し、その首根っこを片手で掴み、もう片方の手でお客さんを誘導している飼育員のようだ。
手首を掴まれたままの俺は、すいませんすいませんと何度も頭を下げた。
周りの女性はみんな笑いを堪え……いやっもうクスクスと笑っている。

「あっ! 通報とかしなくて大丈夫ですっ!」

バックからスマホを取り出しただけの女子大生に向かって、楓さんは指を指しながら言った。
びっくりしたその女子大生は、春らしい薄地のピンクのロングスカートの膝の上にスマホを置き、拳銃を向けられた人のように、手を広げ、頭の高さまで挙げた。

「ありがとうございます……、本当に、大丈夫ですから…」

楓さんがそう言うと、女子大生は、ニコニコとした笑顔でうんうんと頷いている。
たぶん、事情が分かってくれている、優しい人なのだろう。
もうみんな、分かってますって、という感じでケタケタと笑い出した。

 ただ、車両の一番奥にいる人はどうであろう。

一見、男に見える、僕より身体がデカくて短髪の女子プロレスラーみたいな人はどうであろう。

「この人、痴漢です」と手首を掴んで、周りに助けを求めているのかも、と勘違いをしてはいないだろうか。

だって、すっげぇこっちを睨んでいるし。

正義感あふれる、あのイラストの女の人みたいに、僕を目で殺そうとしている。

『やってやる!』

あのサラリーマンが変な動きをちょっとでもしたら、絶対にやってやる。
半身を浮かしたまま、凄い気迫で僕を睨んでいる。
もういいからっ…と、掴まれている田中さんの手を僕は振り払った。



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