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水木しげるの戦争漫画の一番のおすすめ最高傑作は『総員玉砕せよ』よりもこれなんです『敗走記』


戦争の本をただ1冊、いや、1ストーリーだけ挙げるというなら、この「敗走記」内の「敗走記」だと私は思う。

私、マヨコンヌは、水木しげるの大ファンなのですが、独特のひょうきんな人を食った雰囲気の『エッセイ』が大好きなんであって、あと『精緻な妖怪画』なども好きですが、

実は、水木しげるの『戦争漫画』だけは、あんまり好きではありません。
(あまりにもきついんで・・・)


とはいえ、しかし。しかし。しかし。

読むのはこの「敗走記」だけでもいいと思うので、ニンゲンは一生に一度はこれを読むべきと思います。

ちなみに1冊なら、「総員玉砕せよ」よりもこっちがいいと思う。

たしかに「総員玉砕せよ」の方が水木しげるの代表作であり「戦争漫画の金字塔」なのかもしれません。

こちらは「総員玉砕せよ」とちがってフィクション性がほぼ一切なく、つまり誰かから聞いただけの『戦争なるもの』の要素が一切なく、ひたすら水木しげるが、実際に自分の身に本当に起こった個人的な出来事としての『本物』の戦争体験だけを、しかもそれに対する思想すら「ありえないほど交えずに」、ひたすら淡々と短く書き記しています。

多少は執筆当時の思想的な空気みたいなものも入ってるんでしょうけど、それを圧倒的に覆すほどに、淡々と淡々と本音が続きます。

それが却ってものすごくビリビリ来るのです。

(しかもこちらは非常に短い密度の濃い短編ですから読むのも全くしんどくないのも良いです)

ふつうの人間なら、敗戦というものすごい時代の空気を浴びれば、そして玉砕命令の出た最前線で片腕を失って帰国した傷痍軍人であり戦争障碍者である人気漫画家というメチャクチャ祭り上げられやすい立場であれば、思想フィルターがかかった目になって、政治的に片寄った発言をしてしまうものですが、

けれども、水木しげるは非常にブレない

水木しげるは、時代の濁流にちっとも流されない

その「流されなさっぷり」はほとんど「社会人としてあたおかレベル」なのです。

そしてそんな「流されなさすぎな水木しげる」を見ていると

なぜか

不思議な解放感が満ちてきて、自分の心をがんじがらめに縛っていた自分の心の枷がバラバラ、バラバラ、と外れていき、バーっとナニカが解き放たれていくのです。

著者はこの本の自分である主人公(自分)に

「戦争は 人間を悪魔にする。戦争をこの地上からなくさない限り この地上は天国になり得ない………。」
                    「敗走記」水木しげるより

と言わせています。

でもそれは、その前の方を読めば分かるのですが、日本の軍備に反対とか賛成とかの政治的な話がテーマですらないと私は感じました。

もっと、もっと、シンプルな、ただ、水木しげる自身が身体で体験した事を書いているのだと思うのです。

この漫画の執筆当時は、「戦争漫画家」という立場もあり、水木しげるもうつすら左に寄っていた感じもあるのですが、最終的には、水木しげるは、左にも右にも徹底的に寄らない、要するに水木しげるは水木しげる自身にしか寄り添わない、という独自のスタンスを取るようになっていきました。 

とろこで。

水木しげるは「戦争によって腕をなくした戦争被害者の代表」でもありますし、同時に、「戦争で最前線に送られて立派に生還した傷痍軍人、軍人の鑑」的に扱われても良い人で、しかも職業は「戦争漫画を得意とする人気漫画家」なのです。

だから「戦争反対派」にも「軍拡派」にも「皇室絶対維持派」にも「天皇否定派」にも文脈によってどんなふうにでも祭り上げられそうな立場でありました。

また何よりヤバいのは、そもそも日本はソ連とアメリカに挟まれた地政学的にも経済的にも重要な国であり、ベトナムや朝鮮半島みたいに国境線を引かされて二つの国に分割して代理戦争させられなかったのが「奇跡」みたいな国ですから、敗戦~東西冷戦時代に活躍した人気漫画家である「水木しげる」はいつ「西側陣営」の広告塔、「東側陣営」の広告塔、どっちに祭り上げられておかしくなかった人物でした。

それはつまり。

しげるが活躍した当時の空気感…朝鮮戦争〜ベトナム戦争の頃の日本の空気感…そういうのをネットで調べてみればなんとなくわかると思うけど、

それはつまり下手すると『東日本と西日本の日本人同士の殺し合いによる日本を舞台としたアメリカとソ連の代理戦争』ひいては『アメリカとソ連が互いの核爆弾を日本に打ち合う世界滅亡核戦争』みたいな、『第三次世界大戦を推進する勢力の広告塔』にさせられてもおかしく無かった。

しかし水木しげるは、あらゆる政治的な陣営からおそらくあったはずの猛烈なお誘い、左の誘いも軍拡派も、さらには戦争反対派からの広告宣伝塔になってほしいとのお誘いすら徹底的に拒絶し続けノンポリシーを貫いていました。

水木しげるはいつも人を食ったような冗談めかした調子で数々の『迷言』を残しています。『政治的トンデモ爆弾発言』をしたり、『政治的に矛盾するようなトンデモ発言』をたくさんしています。


おそらく、戦略的に。


それは、自分を『何らかの政治的広告塔』に祭り上げようとする人々への水木しげる流の『徹底抗戦』だったのではないでしょうか。

なぜ水木しげるが『政治的広告塔』になることをそんなに拒否していたと私が思うかというと

水木しげるは、そういう集団の勢いのようなものが世論のような時代の流れを作って、何かをメチャクチャに祭り上げたりして、そして1つの意思を持った強制力のようになって人を誘導して究極的には人の心を悪魔のように狂わせて憎しみの大きなムーブメントを巻き起こし、究極的には殺し合いにまで発展していくという、そういう「集団心理」というものが、まさに自分が体験した「戦争なるもの」の「本質」だと感じて、それに心の底から、全身全霊で、うんざりしていたのではないか、そう、私は思うのです。

つまり水木しげるは、22歳で戦争から帰ってきた後も、死ぬまでずっとたった一人で特殊な戦争をし続けていたのです。

水木しげるは

『もう俺は二度と集団心理的な政治ムーブメントに乗せられないぞ、そして誰かをムーブメントに引きずり込ませるための広告塔になんかならん』

という闘いを生涯し続け、そしてやり抜いたのです。

水木しげるがこの「敗走記」に描いた戦争というものは、つまり

極端な情報統制・思想統制を施した結果、国全体に意味不明な集団心理が蔓延し、そして軍首脳部は迷走し、明らかになんの勝ち目も無い負け戦を無限に続け、、そして無駄に国民を、戦死ではなく、、、戦死ではなく、、、戦地の兵隊すら無駄に餓死させ、更に玉砕という名で無意味に自殺強要させた挙句に戦争にボロ負けさせ、非戦闘員の本土の市民も戦争によって無駄に餓死させ、原爆2つ含む大規模な空襲で非戦闘員の市民まで盛大に無駄に焼き殺させ、そして限界突破で頑張った挙句に戦争に負けて占領され何十年も賠償金を払いまくった事件」

そういうものです。

水木しげるは、ただ自分は実際にこんな体験をして、あそこで自分が体験した出会った戦争というものは人間を悪魔にするもので、それがある限り地上には天国は出来ないと自分は確信した、それだけの話です。

だから厳密な意味では水木しげるのこの作品のテーマは、水木しげるが戦争から悟ったことのテーマとは、戦争の是非ですらないと私は思います。

水木しげるの体験した「戦争」とは、たとえ最右翼の観点から考えても「無駄」にもほどがある空しいものでしたから。


この本はそのことを深く告発する本なのです。


だから左翼も右翼も関係ない本なのです。


自分の隊がなんの目的もなく全滅した。

たくさんの若者がなんの意味もなく死んでいった。

自分も腕を失った。

なんの意味もなく。


著者は雨が降るたびにそのことを、その忌まわしい記憶を噛み締め、そういう状況を作ったナニカを、生涯賭けて、きっぱりと拒絶する事を、繰り返し、繰り返し、深く心に刻みつけるように、誓っているのだと、私は思うのです。


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