「はだしのゲン」作者による、広島被爆者の3D画像作成など。「目が見えなくなっても声で伝え続ける」

私が3才の時に見た慰霊式典(70年代半ば)の、テレビ画面の中から今にも溢れ落ちて来そうだった、遺族参列者の大きな悲しみの念の塊を、私は今も忘れません。。
私も、自身のME/CFSという難病が30年間受けた社会ネグレクトを、最期まで伝え続けようと思いました。。

(そういえば全くの蛇足話になりますが、
私が霞ヶ関勤務の時、私に毎日執拗な難病身障者侮蔑差別や事実無根の中傷を繰返し、私の退職後もネットストーキングをして同様を長年続けたヒトは、
それ以前には、厚労省の原爆症担当部署にいた人物で、
全国から送付された原爆症の申請書をチェックし読みながら、故意に涙目を見せることで、部署の若手男性官僚から同情を受ける形で不倫をしようと企んでいた様な人物でした。。

当時、正直、何故このような人物に、このような大切な担当を任せたのかと、
国政界隈の視力が、私には残念でならなかった。。
もし私がその申請書なら、否、申請書でなくとも、非常に不快でたまらなかったです。。)