ふと今思い出す事あれこれ

昔、
知人の誕生パーティーに参加した時、
俳優の真田広之さんもいらしていました。
でも、その少し前に離婚された頃で、
その苦も含めてか結構酔っていらっしゃるようでした。
なので言葉はおかけしなかったのですが、
今思えば逆に
そうした少しつらいだろう時期だったからこそ
何のてらいもなく、普通に御挨拶して差し上げるべきだったな、と今、反省しています。(でもそれも、普通に発声が叶う時なら出来た事かなと思いますが。)


また、
恩師の演奏会へ偶々行った時、
やはり俳優の、藤岡琢也さんがいらしていました。
そう、あの「渡る世間は鬼ばかり」のお父さん、です。

藤岡さんが恩師の大ファンとは、噂には聞いてはいたのですが、
そこで演奏を聴いている藤岡さんは、
本当に、本当に、嬉しそうに幸せそうに、おられました。
休憩中に、恩師から何故か「紹介しようか?」と勧められたのですが、
藤岡さんが好きなのは恩師なのだから
私なんかより恩師と、藤岡さんにはお話しさせて差し上げたくて
「いやいや、そんな事言ってないで先生がお話しなさって下さい、」と私は言ってしまいました。

それから暫く後、藤岡さんはご病気に倒れられ、そのまま長い闘病の後、亡くなられてしまわれました。

その何年かの闘病の間、
恩師はずっと、藤岡さんと藤岡さんの奥様をほぼ毎日、自分の仕事をしつつ助けていらっしゃいました。
恩師は、心底偉いと思います。

御葬儀の間、ずっと藤岡さんの傍で演奏し続けて藤岡さんを送られました。

恩師は、お子さんのいない藤岡さんにとって、実質息子の様な存在だったかと思いますが、
遺産を受け取る事も一切なく、藤岡さんが大切にされていた貴重なレコードコレクションを形見分けに戴いたので、
何処かの公的機関へそのまま寄付をされたそうです。

(昨今の、感染症流行におけるトイレットペーパーやマスクの買い占めや高騰の騒ぎとは、対極の行為に思います。)

こんなに藤岡さんが早く亡くなってしまわれるのなら、
一度くらいご挨拶をしておけば良かった、
同じ音楽を大好きな仲間(?)同士、
沢山沢山お話しをしてみたかったな、と
ざんねんな思いです。
私は昔から、
同じものを同じ感性で語り合える人に、ずっと飢えて生きて来ていたのですから。

他にも、有名な映画監督さんや音楽プロデューサーさん等々とも、
偶々お会いする機会が何度かあった人生でしたが、
ふと思い返すと、
いつも私は誰かに遠慮をして、お話しする機会を逃しているようだ、と
今更、自覚致しました。。

とはいえ、
霞ヶ関で見掛けた某人の様な、
仕事もせずに自己アピールや誰かの陥れにばかり必死な様子な人間には、
死んでもなりたくはありませんが。


この、昔から続く私の遠慮癖は、
横暴で弾圧的な家庭に育った事に因るものです。
幼い頃は特に、家庭内で一番幼かったにかかわらず、
私は何もかも、誰かに譲る事を強要されていたのです。
普通の家庭は逆だという事に気付いたのは、随分大人になってからです。

また、
私は一見、優しそうにも見える様です。
そのため
「こいつなら何をしても許してくれるだろう」的な馬鹿思考依存志向の輩どもが、
時々、弾圧的な事を私にしてくるのです。

ところが私は
生来、卑劣な事をして誰かを泣かせる様な輩が大嫌いで、
音楽に自ら親しみ笑顔を心掛けるようになる以前の子供の頃は、私は家庭での苦難ゆえに目つきが鋭く、大人に指摘されたり時には反感を持たれるほどに妙に大人びており、
怖そうと思われ、小学校低学年頃迄の同級生は クラス替えから暫くは誰も寄り付かなかった程のコドモでしたし、
且つ乙女座水星の癖で、あまり口は開かないが、開けば誰も反論できない指摘を割と的確にするため、

成人後も「優しそうだったのに(想像に反して)反抗された」という理屈にもならない思い込みで、
そもそも相手が悪い事をして来たのにもかかわらず、屡々サカウラミをされて来ました。

いうても
サカウラミをして来るのは
そういう、元々自らがかなりの悪い事を、実は裏でしていた様な輩だけなんですけどね。
何も悪いことをしていない人からは、そんな事をされた事は一度もありませんから。

「身障者だから同情してやったのに」と言う輩も時々ネットで見かけますが、
それと、脳味噌同じですよね。

2020.6.11筆