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桂文枝さんの勇退 ▽・ω・▽

桂文枝さんが名物番組の司会から勇退を発表。

僕らの世代にとっては文枝さんになった三枝さん。僕が若い頃(40年以上前)にはたくさんの番組の司会を担当してそのどれもが高視聴率。人気タレントとしての全盛期は1970~80年代の後半くらいまでか。

一般人のカップルや夫婦をゲストにしたトークショーは関西のテレビ局を中心に三枝さん以前から人気番組があったが、それを全国的にメジャーな存在にしたのはこの人の功績だろう。

昭和の漫才ブーム以降にも、ビートたけしさんや明石家さんまさんから全盛期は過ぎたけれど隠然たる権力者のままで簡単にからかいのネタに出来ない主旨の発言がされていた記憶があり(もちろんジョークとして)、実際に90年代なかばまで続く人気番組(クイズ!年の差なんて、愛ラブ爆笑クリニックなど)もあって、息の長い人気タレントとして活躍していた。

個人的な記憶では「ヤングおー!おー!」「パンチDEデート」が懐かしい。前者は明石家さんまさんを世に送り出した番組。角刈りのジャージ姿(笑)でいかにも売れる前の若手という外見を覚えている。

桂文珍さん、桂きん枝さん、林家小染さん、月亭八方さんといった先輩たちに囲まれながら早くから番組内で爆笑をとるなど後のお笑いモンスターとしての片鱗を見せていた。

文枝さんは現在78歳でありこの年齢までレギュラーで司会をする番組を維持してきたこと自体が凄いことだ。漫才ブームから出た人気タレントの大先輩のように感じられるが年齢的には現在74歳のたけしさんや76歳のタモリさんとはほぼ同世代と言ってよく、いかに若い頃から売れっ子だったかが分かる。

若い頃の持ち味は当時の落語家の印象から外れる高学歴と、シュッとした外見とキザな言動。自己紹介で「窓辺に咲いたマーガレット」と言ったり自分のことを「サニー」と呼ぶように求めたりしていた。もちろん共演者からツッコまれることを前提にした「ボケ」としての「キザ」な振る舞いだった。

基本的には軽みのある芸風で、それが人気タレントになり、関西の芸能界の重鎮となり、大名跡を受け継ぐ落語家の大師匠となってからはどうなっていたのか。気がつけば勇退、ということで何よりお疲れさまでしたとネット上の遠隔の地より労いたい

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