『FLEE』個々人が生きる「セカイ」について
監督
ヨナス・ポヘール・ラスムセン
脚本
ヨナス・ポヘール・ラスムセン
アミン・ナワビ
製作
モニカ・ヘルストレム
シーネ・ビュレ・ソーレンセン
シャルロット・ドゥ・ラ・グルネリ
製作総指揮
リズ・アーメッド
ニコライ・コスター=ワルドー
ナタリー・ファーリー
ダニー・ガバイ
ジャンナット・ガルジ
マット・イッポーリト
フィリッパ・コワルスキー
ヘイレイ・パパス
音楽
ウノ・ヘルマルソン
編集
ヤヌス・ビレスコフ=ヤンセン
〈あらすじ〉本年度アカデミー賞®にて、史上初となる国際長編映画賞、長編ドキュメンタリー賞、長編アニメーション賞の3部門同時ノミネートの快挙を成し遂げた、デンマークほか合作によるドキュメンタリー映画『FLEEフリー』。英題である“FLEE”とは危険や災害、追跡者などから(安全な場所へ)逃げるという意味である。
主人公のアミンをはじめ周辺の人々の安全を守るためにアニメーションで制作され、いまや世界中で大きなニュースになっているタリバンとアフガニスタンの恐ろしい現実や、祖国から逃れて生き延びるために奮闘する人々の過酷な日々、そして、ゲイであるのひとりの青年が、自分の未来を救うために過去のトラウマと向き合う物語を描く。 (公式ホームページより)
前提としてだが、我々が生きる「世界」の中では、個々人が各々の視線を通して自身の「セカイ」を生きている。
本作『FLEE』は、現実の「世界」の恐怖を、ドキュメンタリーとアニメーション両方の手法を用い、個々人の「セカイ」での恐怖や痛みとして最大限にまで抽象化・極限化し、我々観客に痛烈に投げかけてくる秀作である。
日本という島国において生きている我々は、「難民」や「LGBTQ」の人々を単なる「マイノリティ」として安易にカテゴライズしがちだが、本作はそのような安直なモノの見方を一切許さない。
そのような我々が考える「マイノリティ」の生活や人生(=「セカイ」)にも他者との幸せな繋がりや恐怖や痛みが実存する十人十色の人生があるということを、主人公が体験する事象をアニメーションにより抽象化し、スクリーンから鮮烈に投げかけてくることで、『FLEE』は一種の普遍性を獲得している。
そして本作は実在のドキュメンタリー映像と主人公の視点を通してのアニメーションを交互に映し出す手法で、(当然のことではあるが)現実の「世界」の問題は個々人の「セカイ」の苦しみや痛みに直結していくということを改めて我々観客に提示することに成功している。
主人公アミンの『セカイ』がどのように変化し、他者との繋がりを獲得していくか。我々がそれぞれの「セカイ」を通してどのように現実の「世界」を生き、変化していけば良いのか。それらを全てこちら側に投げかけてくるクライマックスにも必見だ。
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