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『スパイダー・マン:アクロス・ザ・スパイダー・バース』アート史の集積によって生み出された新しい〈アート像〉

Spider-Man: Across the Spider-Verse

監督
ホアキン・ドス・サントス
ケンプ・パワーズ
ジャスティン・K・トンプソン
脚本
デヴィッド・カラハム
フィル・ロード
クリス・ミラー
原作
マーベル・コミック
製作
フィル・ロード&クリストファー・ミラー
出演者
シャメイク・ムーア
ヘイリー・スタインフェルド
ブライアン・タイリー・ヘンリー
ルナ・ローレン・ベレス
ジェイク・ジョンソン
ジェイソン・シュワルツマン

〈あらすじ〉マルチバースを自在に行き来できるようになった世界。マイルス・モラレスは久々に再会したグウェンに誘われ、とあるユニバースを訪れる。そこにはミゲル・オハラ(スパイダーマン2099)やスパイダーウーマンなど、選び抜かれた最強のスパイダーマンたちがいた。やがてマイルスは、愛する人と世界を同時に救うことはできないという、かつてのスパイダーマンたちが受け入れてきた宿命を知る。彼がその運命にあらがうことを決断したことで、マルチバース全体を揺るがす事態が起きる(Yahoo!映画より)



 前作『スパイダー・マン:スパイダーバース』(2018)の「コミックの絵が動く」という映像表現の革新性も素晴らしかったが、本作『スパイダー・マン:アクロス・ザ・スパイダーバース』は様々なテクノロジーを用いて作り出されたアート表現の集積が高い次元の視覚的効果を生み、スーパーヒーロー・コミックス映像化、またはアニメーション作品としても新たなグラウンド・ゼロとなるであろう驚くべき傑作である。

 本作のアート表現の参照元は多岐に渡るもので、ノーマン・マクラーレン等の抽象図形を用いた実験的アニメーション、『シンデレラ』(1950)をはじめとしたディズニー・アニーメーション・クラシックス、ジェイミー・リード等による70年代パンク・シーンのアートワーク、シド・ミードやロン・コップ等によるSF・コンセプトアート...etc、膨大なありとあらゆるアート文脈が混在となり、一つの映画内映像表現としてカオティックな領域にまで突入している。

ノーマン・マクラーレンによる実験的アニメーション"Blinkity Blank"(1955)

ジェイミー・リードによるセックスピストルズのアートワーク(1977)
シド・ミードによる『ブレードランナー』(1982)のコンセプト・アート


 このような多岐にわたる参照元を絵として再現しながら、本作のスタイルをサンプリング・コラージュ感覚に終わらせず、さらにはハイ・アートまたは実験的最新アニメーションたらしめる要素がもう一つ存在する。
それは「絵が動く」といういわば原初的なアニメーションに求める快楽を、さまざまなアート文脈をもとにした全シーンに工夫を凝らし実現化させていることで、この映画を最新で唯一無二のものにしていることだ(製作陣インタビューによれば本作のために開発されたアニメーション・ツールも多々あるとのこと)。

 このようないわば実験的でハイ・アート的なスタイルを貫きながらこの映画が普遍的なエンターテイメント性や同時代性を失わない脚本も素晴らしい。
 グウェンを中心とした(現在本国でLGBTQ +コミュニティからも賛同を集めている)社会的マイノリティ視点のストーリーや、「スパイダー・マン」の物語でこれまで幾度も繰り返されてきたクリシェ(劇中では"Canon Event"と呼ばれている)からの脱却をテーマにし、「新たなバンドを組めば良い」と万人の感情を大きく支える普遍性のある物語を主軸にしているのは、製作陣のエンターテイナーとしても志の高い大きな要因ではないだろうか。
 ヒップ・ホッププロデューサーであるMetro Boominによる劇伴も本作に若々しい感性を灯しており、非常に良かった。


 スパーヒーロー・コミックス映像化としても、MCUや他のブロック・バスター超大作のマンネリ化が続く中、映画産業に楔を打ちこむ大傑作になっているので、是非、いや絶対に劇場で見てほしい一作である。

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