書くことがなかったけどとりあえず

色々あるけど最近思った事とか書き連ねてみる事に。


その人を形作るもの

幼少期から大人まで人間生きていれば色々な人や物と接する機会はあるけれど、どんなに素晴らしい人や物であっても受け取る側次第だというのが今追っている件を見てつくづく感じる。

基本的にこの世の中は親身になって真剣に怒ってくれる人を探す方が実はウルトラレアであり、大概は「もうこいつ知らんわ」って見放す場合が多い。そしてその要因は怒られた側にある事が多いように思えるし、そこから「確かに自分にも非があった、ごめん」と言えるかどうかが人生の分岐点にもなっているのではないか。

かけちがえたボタン

もちろん順風満帆な人生を送る人というのはそれもレアケースであって、人間生きていれば挫折する事など何度でもあるし、その度に「◯んでやる!」なんて思ってたら命がいくつあっても足りない。

でも相談できる相手(家族やリアルの友人、ネット上の友人知人でもいい)がいて親身になってくれる人がいればそこまで追い込まれる事は稀だろうと思う。ただし、それは本人が普段から友好な関係を維持する努力を続けてきたかで変わってくる。

ある人物は怒られたら「ぼくはわるくない、◯◯がいじめたからだ!」とか、「◯◯に受からなかったのは思った学校を受験させてくれなかった親のせいだ!」みたいないわゆる「他責思考」が表に出てきてしまって周囲が敬遠し離れていくパターンに陥っていた。

弱くたっていい

更にその人物の場合は大人になるにつれそれを更に拗らせていく事になるが、そこまでにも友人といえそうな存在の人物が「お前それはあかんやろ」と咎めようとしていたのも事実で、当人はそれを反発したのか最終的に「もう知らんぞ」的な返答をされたのを最後に関係は無くなったように見えた。

本当なら越えてはいけない一線を越えないようにしてくれる友人というブレーキを失い、その結果ありとあらゆる方向にも敵を作り四面楚歌状態になってしまったその人物を見ていると「弱さを認める事の強さ」が大事に思えてくる。

認める事

その結果夢も希望も打ち砕かれ自暴自棄になりかけているその人物に唯一伝える事があるとすれば「自分を認めて謝ろうや」という事になるだろうか。

人間間違える事だっていくらでもあるし、その場でちゃんと謝れば許してもらえる事もあるだろう。その上で自らの誤ちを把握する事で次に失敗しない糧にだって出来るかもしれない。

ただ今その人物を見る限りは周りに味方がいなくなっており、そこをつけ込んできた特定の意図を持った集団に取り込まれ、それらの駒にされつつある。それは別の人物を攻撃するための特攻兵器の扱いかのようだ。

利用するために甘い言葉ですり寄るんだよねその手の連中って

すり寄っていった特定の集団はその相手を最後までフォローする事はおそらくないだろう。あくまでも「こいつなら使えるし最後は捨てればいい」くらいにしか考えていない。

ただその人物にとっては縋れる集団が眩しく見えているかもしれない。だが周りから見ればその集団には近づきたくないというオーラが見えるだろうし、行き場がないからとその集団に帰属し続ければそれこそ取り返しがつかなくなる可能性すら秘めている。

いい題材になるテロール教授

この続きのオチは「取り込まれた人物は過激化する」という事で、原作はテロが起きる理由などが書かれていたが、今回取り上げた人物に関してはテロまではいかないものの、自分の事が記載されていた内容について気に食わないから四方八方に開示請求を投げ「周りにバラされたくないなら示談交渉で許してやろう」という、常識ある人の思考であれば「ぽーん(頭の中に宇宙空間と?が浮かぶ)」になるものでしかない。

最悪のケースになる前に「認める」という事をその人物がなるべく早く出来るかどうか。それがいま起きている一連の騒動の解決のきっかけになるのではないだろうか。

最後に。
「出来る人」ってのは「ちゃんと謝れる人」でもあるんだよ。

人間生きてりゃなんとかなる

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