見出し画像

縁の取捨選択で自分を変える

 最近合わないなと思っていた友人としばらく距離をとると決めた。特に相手へ直接あれこれ言うつもりはないが、少なくとも自分から接点を持つことは避け、相手から来ても理由をつけてしばらくは避けようとは思う。
 SNSなんてない時代は環境が変われば自然と接点が減りそのままフェードアウトもしただろうが、SNSがある昨今は特に中身も何もないいいねやら質の低いコメントやらでいつまでもダラダラと繋がりやすい。

紡げる縁には限りがある

 SNSでいつまでもダラダラとつながりやすい昨今、縁を維持するより切る方が労力がかかるといっても過言ではない。しかし、質の良い人間関係の保持には時間も労力もいる。つまらない縁にそれらを割いていたら何かしらが犠牲になるのは間違いない。
 かつての良縁も時が流れ、お互いが変われば質の悪い縁や足の引っ張り合いでしかない悪縁にもなる。最近合わないなと思いつつ、過去の思い出やら過ごした時間やらに後ろ髪を引かれなかなかスパッと切れない…恋愛でよくあることだが現在は友人関係でもよくあることになっていている気がする。

人間関係にも損切りを

 恋愛で考えれば分かりやすいが、質の悪い恋人を切らないうちは良い恋人など見つけられない。そしてそれは友人関係でも言えることだと思う。
 子供の頃から私たちは「友人は多い方が良い」「みんな仲良く」などと洗脳されているが、先程も言ったように友人関係を維持するにも時間に労力、そして交際費がかかる。人生もお金も質の悪い友人関係に咲いてられるほどの余裕なんて(少なくとも私には)ない。投資もそうだが、限りある資源の中でより良いものをと思ったらそれがたとえ過去に素晴らしい思い出をくれた友人であっても損切りが必要になるのだ。

時とともに相手も自分も変わる。好ましい縁も変わる。

 卒業という形で会う頻度が減って5年、彼女は普通に結婚し、子を成し、まぁこれからも労働収入一本で頑張り、やがては持ち家も持とうとしている普通の女性になった。一方で私は「金融所得で暮らせるようになりたい」など一般人に話せば鼻で笑われるような狂ったことをしようとしている阿保になった。当然価値観等は合わなくなった。合わないながらも面白がってそばにいてくれる愛のある友人もいるが、おそらく彼女はそういうタイプではない。学生時代は好ましい縁であった彼女も時の流れを経てお互いにとって質の悪い縁になってしまったのだと思う。

 様々なことをともに乗り越えた友人なだけあって、今回の判断はメンタル的に結構来るものがあった。ここまでなる前になぜ直接不満をぶつけ合えなかったのか、なぜ彼女の悪い面がこんなに強く出るようになってしまったのか…なぜなぜと考えたところでなんの解決にもならない事ばかりが頭をよぎる。
 察せなかった自分も悪いなと思いつつ、察して彼女が望む行動をとったところでただの執着とご機嫌取りから成る質が悪い縁なのには変わりないと気がついた時点で距離を置こうとなった。

縁が変われば自分も変わる、一度縁を切るのもまた愛情

 今までの大して長くもない人生を振り返ると、様々な人と縁を結んだり離れたりがあった。切ったきり現状では戻っていない縁も有れば、切っても切っても戻ってくる不思議な縁もある。そして一度切ることで得られた自身の成長や結んだことで得られる成長もあった。
 関わる相手が変われば良くも悪くも人は変わる。自分にとっても相手にとっても「関わっていてあまり良い感じじゃないな」と思ったら変に執着せずに一度リセットする。そうすることで相手にも自分にもより良い新しい縁がきて、お互いに良い変化を得られるはず。

今まで仲良くしてくれた彼女にありったけの感謝と、不快にさせたこともあったことに対する謝罪と、空いた枠に良い縁が入ってくることを祈って。最後の友人愛で彼女のSNSアカウントをミュートします。

いただいたサポートはより良い記事作成のための自己研鑽として使わせていただきます。