【Boushitsu Advent Calendar 2020】雲およぐ風は浜名か天竜か~古典な話~

私は芸術が苦手である。

思い出してみると、小中学校の図画工作なり美術の時間では先生も困惑させる、駄作たるもの、駄作という名前を付けるよりも新しい言葉を生み出せるような、そんなineffectiveなものであった。また音楽の時間では音程など知らず、運指を記号として覚えて、学期のテストではその場しのぎで文字を書く。そんな芸術との関わりであった。高校ではその奇を生む経験と一線を置いた生活を送ってた。筆や楽器を触るってから早5年が経とうとしている。

芸術とは一線を置く、と言ってもかろうじて手に届く位置にあるものがあった。それが和歌であり近現代短歌達である。

和歌や近現代短歌達は便利なものである。日本語が扱えればそれなりの作品が作れるからだ。自分の感情、その場の風景、伝えたいことなど、それらの積み木の1個1個を積み重ねていくことで歌が詠まれるのである。その場で感じた「嬉しいな」「悲しいな」「切ないな」「気にくわない」それらを和歌たちに乗せるべく言葉を紡ぐ。そうすれば私たちも一人の芸術家として一歩生み出すことができる。絵や音楽とは違い毎日使うもので仕上げることになるので幾分たやすくできるだろう。ここで初めて国語で学んだものが真価を発揮するのだ。

言葉を紡ぐだけ、と言えどそれは非常に難しい。なぜならば言葉という図形たちは端っこに乗せれば崩れるように、三角の上に四角が立たないように、ただ乗せることはできないからだ。そこで古典で学んだ枕詞、掛詞、現代文で見た接続詞に至るまで表現技法を使って不都合を「ならす」ことが求められ、その「ならし」と言葉の積み重ねの微妙なバランスや造形美で作品ができるのだ。この「ならし」は古来からの洗練によって生まれてきた。平安時代の貴族から俵万智に至るまで様々な人によって表現技法や575、57577、5757577、のようなものから自由律句まで様々な形式をもった平面が生まれてきた。そして私たちはそれを理解し、それに何か新しいものを積み重ねる。そうすれば十分新しい作品なのだ。

作品の題材は日々の登下校の風景、通勤通学で出会った人、仕事での出来事でも何でもいい。目の前には思っていた以上に出来事があるのである。それに気づけるだけでも文字のパーツを集めることができ、ふとした時に取り出して積み上げるだけでそこに作品を生み出し、誰かの心を動かせるのだ。


いさ方知らぬ2年目の冬