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母は、結局私の背中を押してくれた

初回のnoteとなります。

ちゃすです。

とある企業で事業部長や経営マネージャー、CMOなんかをやっております。

去年の春に無事()離婚し、今はちびちゃす(小学校低学年)と二人で暮らしております。

シンママでかわいい娘と二人暮らしで気ままで仕事も役職をいただいて割と順風満帆な現在ですけれど、仕事でキャリアアップしてこれたのも、離婚を決意できたのも、一重に幼少から高校卒業するまでの少々ドラマティック(悪い意味で)な家庭環境を生き抜いた事が支えになっている気がします。

そのドラマティックなお話は追々。


今日は母が私に言った何気ない一言の話をしたいなと。


母と私は「一般家庭」と比べるとかなり疎遠だった

大学時代はありがたい事に海外に留学に行かせてもらい(まあこれにはドラマティックなお話が関係してくるのだけど)、高い学費も途中まで払ってもらい、仕送りももらっていました。

しかし、母とは少し前述したドラマティックな家庭環境のせいで、私の未熟さ上、受け入れることが難しくあまりうまくいっていませんでした。私もまだまだ子供で、日頃の感謝の言葉すらも心から伝えることはできませんでした。

帰国してからも過去を引きずってなかなか母と親密に連絡したりすることが出来ませんでした。社会人になっても、日本にいるのにも関わらず、必要最低限の連絡しか取らないという日々が続いていました。


そんなドラマティックな家庭で育った私に子供が出来る

包み隠さず言うと、母は当時2度目の離婚をしたばかりで、そんな母の姿を見てきた私は、結婚もしたくなければ、子供も産むつもりなんてなかったんです。

何せ子供が嫌いでしたしね、、、

嫌いというか、苦手でした。子供は「話が通じない未形成の人間で宇宙人みたいだ」という認識で(何てやつだよ私)。未完成で未熟な自分との同族嫌悪だったのかなと今は思ったりしますが。母もそんな私を知っていたので、きっと孫ができることはないんだろうなと悟っていたみたいで。

しかし、日本に帰ってきてからの大失恋を癒すべく、私に好意を抱いてくれる人と交際を始めてしばらくして、明らかにいつもの生理不順からくる具合の悪さとは違う気持ち悪さに襲われました。

検査薬をする前から

(これは妊娠したかもしれない、、、)

と変な予感がありました。

その予感は的中し検査薬は陽性反応、すぐに産婦人科を受診し妊娠が発覚しました。


母が言った何気ない一言

そんな母が、出来婚を伝えたとき、笑いながら何ていったと思います?笑

「え!孫できるの?ラッキー!」

。。。

ラッキーだと、、、!

本当に一気に肩の力が抜けました…。

すごく荒いコメントだなとは思うんですが。笑 当時の色々あった私と母の関係でこの言葉をくれたことが、「たとえ一人でも子供産もう」って思えるきっかけでした。


母の潜在的な後ろめたさが見えた気がした

前述した通り、母は結婚という契約に2度失敗をしているわけなので、私に「幸せな結婚」というイメージを持たせることができなかった。それに関しては、あの時代まだ離婚する人や1人で子供を産む人が少ない中で、かなり異端に見られていたと思うし、「普通の家庭」というのを体験させてあげられなかった事に責任を感じていたということを、後々聞きました。

そんな母の素直な気持ちだったと思います。

「ラッキー」だったんでしょう、彼女にとっては本当に。


その何気無い一言が私の背中を押してくれた

しかし、「え!孫できるの?ラッキー!」っていう母のその素直な言葉が私の背中を押してくれました。


素直に思えました。

「家庭に幸せなイメージを持てていなかった自分が子供を授かれるなんて、本当になんてラッキーなんだろう」って。


妊娠していると分かった時、中絶するという選択肢は不思議と微塵も浮かびませんでした。反対されたとしても一人で産もう、そう自然と思えたのです。

誤解を恐れず素直に書くと「予期せぬ妊娠」ではない限り、過去の家庭環境への勝手な被害妄想の混じったコンプレックスから、私が子供を産むことはなかったのかもしれない。

授かりものとは言ったものですが、私にとって娘は本当に「授かりもの」でした。

心音が確認できた時。

初めてエコー写真を見た時。

毎月大きくなっているのをエコーで見た時。

悪阻がひどく毎日病院に点滴に通っていて「悪阻があるのは赤ちゃんが元気に育っている証拠だよ」と看護師さんに言われた時。

性別がわかった時。

娘が生まれて、産声をあげた時。

産後にカンガルーケアをした時。

娘の成長を感じた瞬間はいつも涙が出ました。


母の「ラッキー」と言う一言は、悪阻で辛い時も、切迫流産の診断を受けた時も、予定日を12日超過して不安な時も、

いつも私の背中を押してくれました。


私もそれからと言うもの、母とは、「普通の」と言っては乱暴ですが、側から見ても「仲の良い」親子関係を築いています。

あの時、おそらく過去に囚われた私の方から、母に素直に接することはきっと無理でした。

母が素直な気持ちで私に接してくれて、妊娠を否定したりせずに、受け止めてくれたからこそ、今の関係があると思うのです。

そして母に、「おばあちゃん」という肩書きをプレゼントしてあげることができて、本当に良かったなあと。

今ちびちゃすと母が手を繋いで出かけたり喧嘩したり()しているのを見て、ちびちゃすという存在は私にだけではなく、色んな人を幸せにする出産だったんだなあと。


母という偉大な存在

あの「え!孫できるの?ラッキー!」という一言がポンっと出てくる母は、偉大だなぁと思うし、私もちびちゃすが不安な立場に立った時、不意をつく一言で安心させてあげれるような、でっかい母ちゃんになりたいなあと。

そしてちびちゃすにも、機会があればそんな体験を「母」になってして欲しいなあと。

そしてこれを読んだ誰かが、素直な気持ちで大切な人に接してあげたい、と、少しでも頭の隅っこに残るといいなあと。


そんな事を母の何気ない言葉から思い出したのでした。


次回は「母が5万円を机に叩きつけて決まった無痛出産編」をお送りします。←


※ここまで書くのに、スタバでなかなか進まず、一旦身支度をし、トイレに出て戻ってもう一度ドリンク頼もうと思ったら、満席になったので、ルノアールに移動して書き直しました、、、。初のルノアールは結構面白かったので、それについても今度書きたいなと思います。笑

/(^o^)\ナンテコッタイ←なんてこったいって変換したら出てきてびっくり。hpすごいな。

(あ、どうでもいいんですけど私はMacユーザーでしたがhpに乗り換えました。立ち上がり早くて超使いやすい…超おすすめ。hpはいろいろ顔文字が出てくるようです。←今知った)


普段はここで雑記ブログ書いております。

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