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どうしようもなく不安な日々に。


初めての方は はじめまして、前回の記事を読んで下さった方は お久しぶりです。ちゃる。です。 
アルバイトで、まあまあ大きなミスをしてしまい
明日のアルバイトに行きたくないなぁなど大人気ないことを考えてしまっている
今日この頃です。
「謝る」という行為は一瞬ですし、別に人の命を奪ったわけではないし
これから続く人生の中で捉えれば、ほんのちっぽけなミスな訳で。
でも、今現在の私にとっては最大の問題だったりするもので。
喉元過ぎれば熱さなんちゃらですね(笑)

最近「この現状をどうにかしなくては」と思うこと

 これまでの人生、時々思うことがある。
 「この現状をどうにかしなくては」と。電車に乗っている時、お風呂に入っている時。この気持ちは突然やってくる。
 この気持ちに襲われた時には、自分の何でも書き留めているノートに
・今、私は何がモヤモヤしているのか。
・これから何をどの様に頑張っていきたいのか。 etc.
を書き出す様にしている。書き出すことで見えてくることもある。
 この気持ちに襲われる時の私は、「変わりたい」と思っているのだということが分かった。「変わりたい」と言っても中々変わることが難しい現代社会。(いや、これは現代社会のせいにしているだけで、実際には自分が意気地なしなだけであるのだが。)
 ノートにボールペンを走らせながら考える。

「生と死」について考えるということ

 結構な頻度で私は「死にたい」と思う。それはそんなに深刻に思い悩んでいるわけではなく、何となく今の自分が、未来が漠然としてしまっている時に湧き上がってくる。
 私は大学へ行くのに実家から電車を利用している。1つは地元のローカル線のようなもの。ワンマンカーのディーゼル車。レトロな雰囲気が好きだ。もう1つは、最新技術の結晶のような電車。都内まで快速運転であれば1時間も掛からずに行けてしまう。飛び降り自殺をするならば断然スピードのある後者だなと、いつも考える。ふとした瞬間に飛び降りて人生を終わらせてしまうかもしれない。

 たかだか20年くらいしか生きていない人間に何が分かるのかと言われると何もわからないのだが、「人は何のために生きるのだろう」と考えることがよくある。それと同時に「死を迎えるその瞬間、自分はどうなるのだろう」とも考える。
 毎日毎日、酸素を吸って二酸化炭素を放出して生きていく。もちろん、レジ打ちをしたり、勉強したり、実験したり・・・確かに生きて動いている。でも、仮に自分が今ここに存在していなくても世界はなんら変わりなく動いていくのではないか。生きてる意味ってなんだろう。
 最新技術の結晶のような電車が快速で髪の毛を巻き上げていくたびに考える。

また春はやってくるということ

 小学生の頃は学年が上がり、違う学年を教科書やノートに書くこと、クラス替えや担任替えがあること、上級生になるということに胸を躍らせる春だった。
 それもいつしか、どの年も特別変わりのない春を迎えるようになった。それを少し悲しいと思うと同時に大きな変化を迎えなくて済むという安心感もあった。

 私は4月生まれなので、学年が変わると割とすぐに年齢も変わる。(留年している人に思われたり、6月くらいに仲良くなった人に「誕生日いつ?」と聞かれた時に終わっているので「あ〜・・・」となるのが残念な感じだ。)

 春はいつでもやってくる。寒い冬の夜にこんな暗いことを考えていても、暖かい日差しの香りと桜が舞う希望に満ちた(ように見える)春はやってくる。
 

 ちなみに今回のヘッダー写真はパートナーと六義園に夜桜を見に行った時に撮影したものです。今年も桜を一緒に見にいきたいなと思えているうちは生きていける気がします。


 今年の私は何か変われるのかな。変わるための努力をいつしか止めてしまった私の背中を押してくれる何かを求めて。

今回はここまで。
文章がまとまらなくて、ごめんなさい。きっと疲れているんだと思います。
またお目にかかる日まで。




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