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ザラジョ

ザラジョという言葉をご存知だろうか。ZARA女子の略らしい。ハマダーやアムラーという言葉は随分昔のものに思えるが、そう考えると今も昔も流行りの形にコーディネートすることはファッションにおける常識でもある。別に流行りのものを否定したいわけでもないし、ZARAが嫌いなわけでもない。
どちらかと言うと僕はZARAによくお世話になっているし、昔から好きなブランドだ。しかしこのザラジョというのは由々しき問題である。

インスタでタグを検索すればもの凄い数の投稿にヒットする。そこにあるZARAの商品はどれも高級感があり手に取ってみたくなるものばかり。それもそのはずでZARAのコンセプトは”着ればオシャレになる。トレンドを先取り”である。パリコレに出るような衣服を気軽に手に取ることができる。これが魅力であり先に行っておくがZARAは昔からこのコンセプトであった。素人からすれば同じような高級感ある数万円相場の衣服が気軽に手を出せるように映るので、それはありがたい話である。

ZARAの商品が比較的安く手に入ると消費者が実感する仕組みは「JUST IN TIME」という生産方式を採用しているから。つまりは受注予測に基づいて最初の型に2ヶ月ほどかけた後、それ以降はそのデザインをベースにマーケティングを徹底し、微調整を施し4週間のサイクルで次のデザインを生産してしまう。マーケティングに基づきわかった消費者の熱が冷めないうちにそのまま空輸で本社(スペイン)から直接、世界中に送っているのである。中国などの工場で大量生産の工程を挟む他社と比べればそのスピード感は桁違いである。このスピード感によりZARAは商品を定価で売り、在庫も無駄に抱える必要がなくなるのである。売れる量を消費者が求めるデザインとタイミングで売ればそれは適正価格であり、決して安価ではないだろう。時にZARAはファストファッションとして他社と比較される(ZARAがファストファッションであるかは様々な意見が見られるが、ここで議論はしない。めんどくさいので。)
すなわち「安い」という思い込みは消費者の固定概念なのである。

この生産方式でZARAは2016~18年頃にかけて売り上げを大きく伸ばしている。これは僕の肌感としてもここ数年で一気に人気トップにあがり、ZARAを買っておけばまあ大丈夫(ダサくない)だろう、という雰囲気が見られる。それだけ人気になることは、それ自体は素晴らしいことである。ただ、ここでブランドのコンセプトを振り返るが、”ZARAを着ればオシャレになる”であり、ZARAに高級感や特別感があるから成立しているのではないだろうか。みんながZARAを着ていればパリコレを彷彿させる衣服だとしても高級感や特別感は薄れてしまう。街を歩けばZARAのトップスを着た女性に必ず会うようになってしまった。

さらに追い討ちをかけるように売り上げを伸ばした2018年頃からSDGsが認識され始めた。良かれと思って着古した服を発展途上国に送るものの、結局は地元の衣服生産を苦しめゴミと化し問題になっていることも知れらるようになった。(一部では)ファストファッションの代名詞となったZARAはその非難の的となったのだ。

僕が個人的に推している女優さんが最近CHANELのアンバサダーとして活動している。彼女に憧れ、CHANELの服や香水を手に入れたい人が大勢増えたように思う。しかし聞こえてくる声は「高すぎて買えない」という。
しかし、僕はそれでいいと思う。簡単に手を伸ばせるなら、それに憧れは抱かないだろう。そのブランド品を購入するために頑張ったり、何かの記念や自分へのご褒美で購入することに意味あるのだ。

話をZARAに戻すとZARAの服はトップスもジャケットもかなり生地がしっかりしている。ファストファッションとの明確な違いだろう(しつこい)
少なくとも大学生活を送る2~4シーズンは問題ない。

僕はここ2年ほど服を買っていなかったので、今年は買わなければいけないシーズンだった。結局買わずに冬になってしまった。(この記事はほとんど8月に執筆したもの)いい歳だから身だしなみはきちんとしなきゃとは思うけど、たぶんファッションへの興味は人一倍薄い。

最後になるけど、別に僕はザラジョに喧嘩売りたいわけじゃありません。
単純に興味がないので。それはZARAを消費している行為を指すか、着ている人を指すのかはわからないですが。

#ZARA
#ザラジョ

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