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美しく生きること

田舎の実家と都会で借りているマンションの距離はおよそ85km。車で約1時間半。こまめに帰省することにも慣れた。
夏がくる前に、実家の手伝い。木を切り倒して、草むしりをして除草シートを敷く。この時期に除草剤を撒いておかないと夏が大変だ。まあ、それでも草むしりは必須なのだけれど。

田舎で生まれた僕にとって自然はごく当たり前にそばにあった。夏は川に沢蟹やザリガニを取りに行き、冬はおばあちゃん家の裏山を駆け回っていた。元々病弱だった僕が10年以上バスケを続けられた体力はここで培われていたんだと思う。

田舎の良さを言わせてもらうなら、なによりも自然豊かなことだ。都会にしか住んだことのない人には伝わらないかもしれないが、田舎は四季がはっきりしている。都会と比べて圧倒的に春秋の気候を感じられる期間が長い。
身近に自然があることで受けられる恩恵は多いと思う。特に幼少期の子どもにとって、本物の自然から学べることは、教科書の写真だけで知った気になるのとは大きな違いだ。自然から生活を学ぶことができる。職業柄なのか自然を見ると教材研究の宝庫だとテンションが上がる。それに気持ちちょっとだけ自然を目の前にすると創作意欲が湧くから不思議だ。

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(実家の勉強机。晴れでも雪が降っていても、景色がいい。)

都会の良さは言わずもがななんだけど、田舎との差で言うなら文化的アドバンテージの大きさだろう。美術館や整備の行き届いた図書館、音楽ホールなど文化施設が身近にある良さは田舎では味わえない。

都会と田舎どちらにも良さがあるのだけど、自分が生きていくうえでどちらに定住したいだろうか。2020年代において定住という考え方そのものが古いかもしれないが、僕は田舎で暮らした方が丁寧で美しい暮らしができると最近思っている。
自然と向き合う暮らしの方が、本来の生活を満喫できる気がするのだ。
そう思いながら、都会のマンションで綺麗に掃除したフローリングに寝転び、入念に温度調節が計算されたタンブラーでアイスコーヒーを飲みながら今PCに文字を打ち込んでいる。リズム調整をしながら心地よい風を送ってくれる扇風機もありがたい。やはり便利にはかなわないのだろうか。

お世辞なのかよくわからないけど、ごく稀に手が綺麗ですねと言ってもらえることがある。褒め言葉なのだろうけど、田舎で育った僕には一瞬理解できずにお礼の間がよく開く。田舎では家事や仕事で手が汚れている方が頑張っていて、丁寧に生活と向き合っているんだなと思うことがある。家の掃除や草むしり、農作業なんかすれば手はカサカサで、それでもその手には生活の証として刻まれる。それこそ美しく生きるということではないか。

20代中盤になって自分が一人の人間としてどう生きていきたいか、数年後の生活を想像してみる。いったい5年後はどこで暮らしているんだろう。SDGsへの取り組みの声が高まってきて、環境問題に関する話題もよく耳にする。今の日本はオリンピック問題でそれどころではないかもしれないが、自分たちが生活する環境の問題をいつまでも先送りにはできない。
これからまだ何十年も生きていくうえで、自分がどのように生きたいのか。まだ、答えが見つからない。

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