他人の不幸は蜜の味

不謹慎な言葉である。酷い言葉だが、多くの人は聞いて知っている言葉でもある。そして思わず自分は「蜜の味」を知っているのだろうかと自問するかもしれない。私はこの言葉を聞いたり思い出したりするたびに自問する。そして自分は「蜜の味」はよく分からないはずだと結論づける。人の不幸を積極的に望むようなことはしていないし、そもそもそのようなことがあれば、それは決して甘いものではなく、辛いものだろうと思うからである。
ここ3年ほどの新型コロナのパンデミックを受けて世界は大きく変わった。日本も例に漏れず大きな影響を受けた。世界中がなんとかダメージを抑え回復の道のりを探っているが、正解は見えない。日本も同様だ。と思う。そのなかで「蜜の味」とはこのことかも知れないと思うことがある。これは自分が若い頃歴史の授業でも習ったことだが、「特需」である。よその国が戦争をしているところに武器を提供する。戦争は非人道の極みであり、同時にものすごい消費合戦である。軍需産業が武器の生産国を富ませるわけである。そしてなるべく自国から遠くで必要としてほしいという、それが「蜜の味」ではないだろうか。
不謹慎だと言って目を背けることは実は「蜜の味」を味わっていることになるかも知れない。自分が考えたくないこと、それは「蜜の味」かも知れない。どうすれば良いのか、(やはりこれも)正解はない。世の中ことごとく正解がない。そろそろこのことについては諦めて受け止めようかという気になっている。

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