マナー、エチケット、礼儀作法について

マナー、エチケット、礼儀作法についてというタイトルで何を書くとは思いませんでした。
最近、「品格」「マナー」「育ちのよい」などのマナーブックや自己啓発本を読む機会があり、楽しく読ませていただきました。

とてもよいところがありながら、何を根拠に書いているのかわからない新しく創作されたようなマナーや、あらゆる様式がごちゃ混ぜになったようなものなどが多々あり、このような本を頼りにされる際に社会として問題が起きないのだろうかと考えるようになりました。
また、インターネットなどでも「失礼クリエイター」というユニークな名称がマナー講師につけられていることを知り、笑ってしまったのと同時に深刻な状態なのではと思い、様々な本に目を通させていただきました。

品格や育ちの良さは本に書いてあることをしただけでは備わるものでもないですし、マナー、礼儀作法に至っては状況や場所、相手により変わっていきます。
つまり、本の中にある例をあげれば自分の収入に不相応の高価な品を相手が好む好まない関係なく送りつけることや、大手ハンバーガー店で周りがそのまま食べてる中、ナイフとフォークでハンバーガーを食べてみたりとかはまったく関係ないことです。
現状では気取ってみたり、お高くとまるような振る舞いをするための本のようです。

19世紀には貴族が没落していき、実業家が台頭してきました。
つまり、王侯貴族並みに力をつけた下流、中流階級の成金と一文無しの上流階級の貴族が生まれていきました。
そこで上流階級の王侯貴族達は新たなマナーを編み出し、簡単に自分達の社会に入れないようにしました。
そしてそのマナーは他の階級には漏らさないようにしていました。
この影響は中流階級の中でも広がり様々なマナーやエチケットが生まれていきます。
現在のマナーの原型です。
そのためそれらの本が創造された上品さを生み出すということには不思議はありません。
しかしヴィクトリア女王もそうでしたが、自分自身に立場を作るための階級意識を必要としない上流階級の方々のマナーはそのようなものではなく、より精神的な面が強いものになります。

おそらく、マナー、礼儀作法、エチケットの形式にとらわれすぎて大切な根本を見失っているのではないか、と思うのです。
そこでこれから形式だけではない上品さや豊かさ、優雅さ、品位や品格と言ったものを書いていき、何かの参考にしていただけたらと考え、書いていくことにしました。
始めに心や思考があり、マナーや礼儀作法につながっていきます。
実際、食事のマナーは複雑ではなく、ミスは見逃されます。
むしろ、いちいち指摘する方がはるかにマナー違反だからです。
次回からは心と思考を中心とした貴婦人レッスンを書いていきたいと思います。