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人生の浮き沈み、栄枯盛衰にたえられる人間関係について

お金をたくさん稼ぎました。
お高い飯をお高い飯屋で
リッチに食べられる事を、
周りに大声でアピールしました。
すると、
お金の匂いにヨダレを垂らして、
たかりたがる人間達が集まりました。
お金がなくなると、
あっという間に興味を失い、
離れていきました。

地位を築きました。
地位や権限を持つ自分は、
困った時に融通を利かせられる権力がある事を周囲に盛大にアピールしました。
その地位にいると、
たくさんの人々が都合や融通をつけてもらいに、媚びてヨダレを垂らして、
自分の元へ集まりました。
いざ、地位をうしなうと、
蜘蛛の子を散らすように、
利用価値がなくなったと、
自分にさんざん媚びて、
愛想笑いを振り撒いて来た者達が、
あっさりと、
他の媚びを売れる人間へと
離れていきました。

名声を手に入れました。
いかに誇らしいか
自慢げに鼻高々と名誉をアピールしました。
名声目当てに、
その将来性にあやかろうと、
よだれを垂らした人々が群がりました。
名声を失う事態が起きて、
将来性が地に堕ちると、
以前あやかりに来た名声を信じた、
にせ信者達は、
つまらなさそうに、
がっかりした顔で、
一人残らずいなくなりました。

人一倍仕事量をこなして、
こなせる実力がある事をアピールして、
取り立てられたり、
認められたり、
特別扱いしてもらえる様に、
出来るだけ誰からも目立つ様に、
やれます!出来ます!と、
言われた事を全て一人でこなしました。
役に立つ便利さを求めて、
用事や頼み事をする為に、
楽をして上手い具合に利用しようと、
さぼりたくてヨダレを垂らした人間達が、わんさか集まりました。
頼られて利用されては、
薄っぺらな感謝や賛辞の言葉をもらえると、
自分の脳内で、
ドーパミンが刺激され溢れ出して、
またその快感を感じたくて欲しがり、
多くのやらなくて良い事まで、
いつもいつも、
無理をしてでも引き受けてしまっていました。
出来ます!やれます!任せてください!と、
目一杯にギリギリの状態でこなしていたある日、
とうとう、任された事をしくじる事態が起きました。
これまで頼ってきた人々が、
これまでとは急に目付きを変えて、
見向きもしなくなり、
他のこなせる頼り甲斐のある人の方へと、
去って行ってしまいました。
もっとチヤホヤされていたかったのに
寂しくなりました。
偽物の依存に、利用されていただけだったのに、
本物の信頼と勘違いして、思い込んでいただけでした。
一生懸命だった自分からすると、
とても裏切られた様に感じ、
手のひらを返す様な、
冷たい周囲の反応に
ショックを受けました。

虚勢を張って、強がって、
外側の見栄や体裁を強化し、
見栄や体裁を派手にアピールしたら、
見栄や体裁に有象無象の者達が群がりました。
見栄や体裁が虚像だと、
儚く失う中身の無い、壊れやすい幻想だとばれてしまうと、
人々はそれまでの見方を、
あっけなく逆転させて、
軽蔑の眼差しで自分を見るようになりました。
自分が、どんなにこれまで、
見栄や体裁を整える為に、
本当にやりたい事を諦め、
こうありたいという生き方を我慢し、
義務として、見栄や体裁作りを整える事を優先して、
認められようと、
必死の努力や頑張りで労力を惜しまず、
苦労して手に入れるまで、
多くの時間をついやして、
皆の役に立とうと、
自分よりもその他大勢を優先してきた優しさや、思いやりや、
「好い人だと思われたい、ありたい、認められたい」という純粋な思いで、
何よりも優先して、
見栄や体裁の為に努力して来たにも関わらず、
そんな自分の、決死的な思いや真心には誰も目もくれず、気付いてくれるどころか、労おうとすらしてくれず、
無理をして、人から良く見える、
良い人の仮面をかぶり、
強がる鎧を着て尽くそうとも、
外側に見える部分だけを評価して、
賛美してくれた人々は、
たった一度のミスから、
見かけの体裁に傷や黒星が付いたのを、
見逃さず、仮面や鎧だけでなく、
自分の中身までも丸ごと、
存在を全否定し、
けなし、
マウントを取り、
とうとう、懸命に作ってきた良い人の
顔にも、つばを吐き
良い人としての扱いどころか、
ただの人としての尊重もしてもらえなくなり、人以下の扱いにまで落とされました。
自分でなくても、誰でもかまわず、
いてもいなくても、どうでも良く、
重要視してくれていたはずの目も、
あっという間に軽視に変え、
ジャッジして去っていきました。

用事のなくなった人々が去ってしまった時、
仮面も鎧も価値を失ってしまった時、
もう、自分には何にも残ってないと、
絶望におちいったとしましょう。
もしも、何もかも失ったという時も、
最後まで、自分のそばに残っている人がいるとするなら?
どんな人なら、
それまでの自分の中身の努力や、
経過に気付いてくれ、
見えなくなってしまった、
残された可能性を最後まで信じて、
共に残ってくれるでしょうか?

試しに、
最近のニュースでいうなら、
大金と信頼を失った青汁王子に、
なりきってみよう、
歴史上なら、
本能寺の変で全てを失った織田信長に、
なりきってみよう。
良かれと思った投資を、
完全に大損させてしまった、
または、自軍の戦況が思わぬ所で突然、
負けに傾いてしまった。
味方と思っていた、
普段は自分に媚びたり尽くしたり、
良くしてくれていた連中が、
どんどん逃げ出して、
みるみる内に味方が減って行き、
落城寸前の絶望の中にいる、
そんな気持ちになってみよう。
または、
支払いや請求、取り立ての期限がせまって来ても何も出来ない、
不安と恐怖だけが自分を追い詰めてくる、そんな気持ちを体験してみよう。
敵がすぐ隣の部屋まで押し寄せてきて、
絶体絶命、自分の栄光もいのちも人生も、遂に風前のともしびまで追い詰められた、そんな時、
もしも、最後まで逃げずに見捨てずに、
自分のそばにいる人間がいたとするなら?いざという時も、変わらず、
そばにいる人間は、
普段、自分はどんな風に接して来た人間だろうか?
どんな関係を、
どうやって作ってきた人でしょうか?
自分が相手にとって、
どんな存在なら、
最後の時まで共に力を合わせて、
一緒にいてくれるだろうか?
今の自分が、
日常で当たり前に見ている、
主観の世界。
いつも掛けている、
スコトーマメガネを一度外して、
栄枯盛衰の落ち目真っ只中の、
信長や青汁王子のメガネをかけて、
世の中を見渡してみよう。
自分がもし青汁王子なら、信長なら?
現代の現在、自分の目の前にいる人々を、
じっくり真実や本当の姿を見抜く目で、
見回してみて欲しい。
今、あなたのそばにいる人間達は、
あなたの絶体絶命のピンチに、
本当に共にいてくれてる人ですか?
どうあっても、
ピンチの自分を見捨てて逃げ出すであろう人々なら、
この先、自己犠牲を捧げてまで、
その人達にチヤホヤされる為に、
生き方を振り回される価値なんてありますか?
必ずそばにいてくれると、
直感出来る人がいてくれるなら、
ピンチにだって、一人心細く孤独となって、どうしていいかわからなくなる不安や心配事は無くなるでしょう。
見回した人の中に、
今の関係のままでは逃げ出すかもしれないけど、
今後の自分と相手との関係づくり次第では、最後までいてくれる存在になってくれる、そういう可能性がある人はいませんか?
もしもいるなら、
それはさいわいな事ではないでしょうか?自分の命を、
相手と一蓮托生にするか否かを、
天秤にかけなくてはならない様な、
一大事でも、
命ある限り、
共に残された可能性にかけて、
無一文だろうと、
絶体絶命だろうと、
何度でもこの人となら再起出来る。
そう思える存在を、
人生で一人でも持てるなら、
それは幸せな事ではないですか?
有り難い事ではないですか?
人生において、
この人と出会えて良かったと、
互いに、生まれて来た事に感謝し合える間柄。
そんな風に思える、
深い親愛と信頼の、
決して切れない絆を、
共に大切に育んで行ける人がいるなら、
不安や恐れや闇に対しても、
必要以上に怯えたり、
人としての人権までもを支配者に譲ったりせずとも、
自虐的に媚びて生きずとも、
自分を肯定し、相手を尊重し、
壁やハードルや試練をものともせず、
本物の味方と、
共に苦難を乗り越えた間柄だからこそ、
達成したり、
成功したり、
完成したり、
喜びを心から分かち合えて、
先のビジョンも明るく楽観して、
安心しながら、
未来を楽しみに希望を持ち、
生き続けて行けるのではないでしょうか?ならば今、
お金や名声作りの前に最優先して、
急いで取り組む事、
自分にとって将来に明るい希望の灯となる事は、何でしょうか?
「壊れない絆作り」
ではないですか?
一番に、最優先に、まず最初に、
必死になって、
可能性のある人と共に、
絆を育む事が最善の道ではないですか?
決して壊れる事なく輝き合う、
愛と信頼の絆があって、初めて、
同志と一心同体の活動のあとには、
真心込めた志にも、
社会貢献にも感謝が集まり、
自然と、喉から手が出る程望んできた、本物の尊重し合う人との繋がりや、
安心しながら夢を実現出来るという、
豊かさや彩りで、
人生を輝かせていく事が、
出来るのではないでしょうか?

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