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#003 〜音楽を始めたきっかけ〜きっかけはツゲぐち〜

〜前回の続き〜

~序章~
ピアノのレッスンに必要な事と言えば
当たり前だけど

譜面が読める

です。

ピアノを習い始めると、先生によって教則本が決まります。

Android vs iOSのように(笑)

ブルグミュラーか?!
メトードローズか?!

と。

井上先生は、メトードローズ教則本派で
同時にピアノのテクニックという指慣らしの教則本

それらを卒業すると、ピアノのABC ラジリテーなどに移行して、ソナチネアルバム、ソナタアルバム、前回のモチベーションで言い忘れてたけど、1曲1曲バラ売りしている

ピアノピース

という譜面があって

自分が演奏出来そうなレベルの譜面を買ってきてもいいわよ!
と、そういう教わり方もしました。

ショパンの

子犬のワルツ
 
は、それで教わりました。
やりたい楽曲を教えて頂けたことはモチベーション上がりますよね〜♫


~そして今回の本題~

そんな私が小学校5年生の時でした。

私の通っていた小学校には、鼓笛隊 なる
サークルだかがありました。

馬渡先生というダンディな先生が、顧問を務めていました。
小学校は担任の先生が、全ての科目を教えていたので、私のクラスの担任ではなかったので面識は無かったんです。

私は鼓笛隊には全く興味が無かったので入ってはおらず、ただただマイペースな音楽好きでした。

その鼓笛隊は秋の運動会で校庭でパレードをするとの事 (後に知ったのですが)

トランペット、トロンボーン、ベルリラやシンバル、スネアなど色んな楽器で編成されていて、外で練習してました。


そんなある日


隣のクラスの男の子、名前は大塚君(馬渡先生のクラスの子)だったかな?!

私の所に来て

馬渡先生がコムタ君の事を呼んでるから、職員室に来いって! 

???

何なんだろう?

理由も分からないまま、職員室に行って馬渡先生に、

呼ばれたチャーリーですが。

あ、この頃はコムタですが、でした(笑)


すると、

君がコムタ君か?!

大塚から聞いたんだけど、君は譜面が読めるのかい?!

と。

ワタシ : ハイ、読めますが。

馬渡先生 : じゃあ大太鼓だ!


????大太鼓????


実は今度の運動会で鼓笛隊が校庭でパレードやるんだけど、大太鼓のパートが居ないんだよね。
で、譜面が読める生徒を探していたんだよ。うちのクラスで誰か知っている人は居ないか?!と聞いたら、大塚がコムタ君が読めます〜って言ったんだよ。

大太鼓?!

チンドン屋みたいに自分の前にベルトを背負って、、、
チンドン屋さんを悪く言うつもりは無いですが。

馬渡先生、それは無理です、出来ませんし、やりたく無いです。

って言ったのに完全にスルーされw

じゃあ練習に来るように、、、と(T_T)


スキルがあるとオファーがくるとは
まさにこういう事か!
なんて、小学生の私にはそんな事は1ミリも感じませんでしたが。


てなわけで、大塚君の陰謀により、私は鼓笛隊の大太鼓担当になってしまった。

小学校の先生は今と違って絶対的なとこがあったので仕方なくやった。

探せばうちに写真がまだあったかもなので、今となっては良い想い出だ。


だが、悲劇はこれからなんだ。


小学校を卒業して中学生になり、丁度その頃
私の姉がトランペットを習っていたのに、
飽きて直ぐに辞めてしまって

誰も使わないトランペットがうちにあった。

そう、中学生になったらブラスバンド部に入って、このトランペットを吹けるようになろうと心に決めていたのだ。

そして音楽室に行きブラスバンド部らしき先輩に、

あの、入部したいのですが。

先輩は快くいらっしゃいしてくれて、その後顧問の先生が来た。倉持先生である。

私と同学年の入部希望者は確か10数人だったかと。

倉持先生は

でわ、新入部員のみんな、やりたいパートは?! と仰っしゃり。

なんと!

トランペットをやりたい生徒が多過ぎるのである。

倉持先生は

こんなにトランペットは要らないから、他のパートに移っても良い人はいるかな?!

私は断固このポジションを譲る訳にはいかない!

すると、トランペット希望者の中に、私に大太鼓をやらせた大塚君がいるではないか!

しかも!

大塚 : 倉持先生!コムタ君は小学校の時、鼓笛隊で大太鼓を弾いてました。

と!!!

すると先生は

でわ、コムタ君はパーカッションで!


えぇ〜


そんなぁ(T_T)


私の人生を大塚君は2度も変えた!

でもって、

大塚君は見事にトランペットの座をゲットしたのだ。

あまりにも悔しかったので、母親にお願いして、ヤマハのトランペット教室に通わせてもらった(笑)

そして、私はブラスバンド部のパーカッション担当になった。

ただ、ブラスバンド部の部員が少なく

パーカッションは、私と1つ上の先輩と2つ上の先輩の合計3人しかいなかった。

その為クラッシック曲でもポヒュラー曲でも、人数が少な過ぎるのでドラムセットでやっていた。

1人で、大太鼓、小太鼓、シンバル、タムタムが出来るのである。

正直最初は全く興味が無かったのだが、2つ上の杉原先輩がハチャメチャにドラムが上手かったのである。

予め言っておきますが、杉原先輩の本名は

杉原尋 [すぎはらひろし]

その後杉原先輩はプロのギタリストとなり(ギターも超上手いのである) 
BURNという横浜の幻のバンド、更には
大江千里さんバンドのギタリストとして活躍するんです。

一瞬で先輩のドラムに魅了され、そこから私のドラム人生が始まったのである。


なんて単純なんだ〜♫


しかし、大塚君のFor meな性格のお陰で
今の私がいると思うと、感謝しかない。

逆に彼が性格が良すぎてトランペットの座を譲ってくれたら。

もし、未来の私がそこにいて、中1の私にトランペットをやれ! と言うか?!、オカルトな話しだ。


A-JARI デビューの7年前、1979年の話しである。


つづく (反響があれば(笑))



PS,大塚君は卒業を待たずに転校したwww

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