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映画を人と見る

 どうもいまいち腑に落ちていない。誰かと映画館へ行って、一緒に映画を見るということが一体何なのか、腑に落ちていないのである。

 と言っても「1人で見たほうが良い」と言いたいわけではない。「1人で見る」よりも「気心の知れた人と一緒に見る」のほうが豊かな気持ちになることに疑いはない。しかし、その「豊かな気持ち」が思ったほどでもない。

 良い映画を何度も見ることに躊躇はないから、ある作品を1人で見に行った後、その作品を好きになりそうな人を誘って今度は2人で再鑑賞ということがしばしばある。そして読みどおり、相手もその作品は良いと思っている。にもかかわらず、2人で見に行こうと思ったときの確信的なワクワク感は、実際に見た後には、思ったほどには生まれてこない。

 映画を見ている時に自分の中で起きている「事件」と、同行者の中で起きている「事件」は別であって、その2つの「事件」が関わり合って「2人でしかあり得ない映画体験」へと昇華するには、単に2人で見に行くだけでは難しいのだろう。

 ならば互いの「事件」を言葉にして共有し合えば良いのか。いやいや、これはそんな簡単なことではない。

 所詮は単なる、日の浅い映画ファンである。簡単に言葉で説明できてしまうなら、映画が映画であることの意味を持たない。私にとっての「事件」とは「何かよくわからないけど、何かが起こっている」ということであり、そういうことを引き起こしてくれる映画が、私にとっての良い映画なのだ。

 映画体験というのは基本的にはスクリーンと観客個々人の1対1の関係の中で起こっていることなのだと強く感じる。

 それでもなお、人と映画を見に行きたいときがある。何かを期待しているが、それが何かがわからない。だから「腑に落ちていない」のである。

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