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車持ちのために


こんにちは。


ニュージーランドのある場所で、留学をしています。
ふと思い出したので、大学生として感じた、「車」に関わる思いを、書いてみようと思います。日本にいた時の話です。

大学一年生の終わりから約一年間、車を持っていました。13年落ちの軽自動車です。誰もが認める「田舎」、森の中に大学があるので、その車を使って、アルバイトに行ったり、外食をしたり、使ってきたわけです。至極当然のことでしょうが、そのなかに、「人の送り迎え」もありました。

「車持ち」は少数派ですから、重宝されます。いわゆるアッシー君です。空港、駅、病院などなど。時間が経つにつれて、自分の心の中で、はっきりしないもやもやが、感じられるようになりました。

自分の知り合いにも色んな人がいて、時々、「あまり気が進まない」送り迎えをしていたからです。多くは書きませんが、要するに、「お礼」に関するもやもやでした。

(あいつは何もお礼をしてくれなかった)(目的地についてから、タクシー運転手みたく「千円です」なんて言えたら気楽だろうな)(いや、そもそも、お礼をもらおうなんておこがましいのだ。もしお金を受け取ったら、白タク行為になってしまう)(そんなに仲良くないのに送り迎えなんかして、都合のいい人間なんだろうな、自分は)(こんなことで悩むなんて情けない。気が進まないなら断ればいいんだ)(だけど、どうやって断る?行けるのに、行けないって嘘をつくしかないのか?そんなことをしたら…)

こんな考えをめぐらす自分が嫌いでした。


ですが、転機がありました。
友達を空港に迎えに行く後輩が、スバルの車に乗っているというので、お迎えついでに乗せてもらったのです。空港につくまでの間に、思い切って、お礼について聞いてみました。

「送り迎えするときにさ、お礼ってもらったりする?」
「あ、私、お土産もらうようにしてます」

書いてみると、面白いくらい簡単な会話です。この簡単な一言に、自分は勝手に救われました。

旅行や帰省をする友人には、「もし良かったら」と、何かお菓子とか、小さなお土産を頼む。それって、すごく綺麗で、健全で、愛おしい関係なんじゃないか、と思います。だってお土産があるってことは、また会うってことですもんね。また会おうね、ってことですもんね。
これで全てのもやもやが消えたわけではないです。もちろん、「ごめん、お土産忘れてたー」と言われることもあるでしょう。でも、それでいいのです。折り合いをつけられました。すごく気楽に、送り迎えができるようになりました。自分を嫌いになるきっかけが、一つ無くなりました。

とても大袈裟ですが、この記事を、車を持っている皆さんと、上述した「簡単な一言」をくれた後輩に捧げたいと思います。勝手に。


ばいばい。


※白タク行為: 自家用車を使い、正当な資格を持たないまま、人を送り迎えして、対価としてお金を得る行為。自家用車の白色のナンバープレートに由来する。

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