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田舎に移住した話

田舎に3年間住みました。九州の山の中です。限界集落に囲まれた日本最先端のど田舎です。商業施設のある町まで車で1時間以上。そこで生活して感じたこととは。

「同調圧力」が強い。

田舎に住んで感じたのは、みんなやってるから、あなたもとりあえずそうしてね、するでしょ、ふつう。みたいな、なんとなくそうしたほうがいいのかなという、ゆるーい圧力。コロナ禍に感じた人も多いのではないでしょうか。

田舎暮らしでは、この田舎独自のやり方というか、「当たり前」にひんぱんに面食らいました。結局それに慣れることなく3年で移住をあきらめたんですが。この当たり前に困惑しているのはその地域ではおそらく自分だけで、それ自体を楽しめたりできる人なら移住もありかと思うんですが、私には無理でした。

その「仕込み」は子どもの頃から始まります。

例えば、子どもの通っていた小学校では、授業中の先生と児童の掛け声みたいなのがあって、

先生:「今日は、、」 

児童:「はい!!(全員)」(そろえて大きな声で)

先生:「天気が、、」

児童:「はい!!(全員)」(以下同じ)

先生:「いいですね。」

児童:「はい!!(全員)」(いやほんとに)

てなかんじです。

先生の一言一言に反応します。そして、先生も児童の反応(発声)を待って説明を続けます。

先生説明しづらくないのかなーって思いました。てかいる?その相づち。そんなにひんぱんに日常会話で揃えないし揃わないよ。すごいね集団行動。

体育の授業では、

先生:「前に、ならえ!」 

児童:「はい!!(全員)」(大きな声でそろってます)

先生:「なおれ!」

児童:「はい!!(全員)」(以下同じ)

先生:「○○基準!体操の隊形に、、」

児童:肘を畳んで走りだす準備

先生:「ひらけ!」

児童:「やあ!!(全員)」(いやほんとに)

集団を管理する術というか仕組みは見事。上に立つ者は少ない労力で集団を動かせるだけでなく、これなら「異物」の発見も簡単なものでしょう。従わない者や知らないよそ者にはルールを仕込めばよいのですから。

他にも、チャイムが鳴ったら、全員そこで黙想します。教室で椅子に座っている子も廊下で歩いている子も。全員が「その場」で目を閉じてフリーズします。(いやほんとに)

ある意味子どもの頃から周りと逸脱しないことをことを教えているんですね。大人になったら周りと「協調」できる人間に育ちます。

そして、人間関係はかなり濃いものが出来上がります。もともと人少ないうえに協調性抜群の「あうんの集団」ですから。

ただ、個人的にこの戦略は理解できました。

いろいろな人間の「多様性」に対応しようにも、人もお金も足りませんので、少ないリソースで結果を出すには、同質性を高めたほうが効率的ですから。

このやり方が合わなかったり、疑問を持つような子は「他も見てみたい」なんて、よそ(都市部)に出ていきます。

なので結果、田舎に残っている人間は地元愛着がすごいんです。そんな人、多いです。

「流動性」の乏しい田舎

私が移住した田舎は、都市部との距離もかなりあるような場所でした。なのでそもそも「異質なものとの出会い」に慣れていないんですね。同質性が高いんです。だから方言が成り立つんです。方言って地元の人しか分かりませんけど、それでいいんです。そこで住んでる人には問題ないんです。

田舎でも「流動性」の高いところはもっと活発なエネルギーに満ち溢れています。新しい情報を取り入れたり、現状を変化させることに慣れてもいます。流動性の乏しい田舎は同質性の高いまま、田舎のままなんです。

田舎に移住した場合、面食らうことや自分の当たり前が通用しないことが多々あることでしょう。

ですが、違いを楽しめたり、違い自体にあまり目がいかない仕事・生活ができる人であれば向いていると思います。

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