有限であることばについて
コンバンハ‼︎
zoomでの会議の目のやり場が未だに定まっていない春日です。
♯いいかげん慣れてください
さて本日は有限であることばについて。
間違ったsnsの使い方
昨今の少しずつ平常の生活が戻りつつありますが、まだまだ完全にとは言えず
お仕事に関しても倒産、長期休業など色々な影響はまだまだ続いていることと思います。
そんな中だとストレスのはけ口の対象にどの立場からもなってしまう危険性があって
少し前のsnsでの誹謗中傷によるテラスハウスの木村さんの死は遠い世界の話ではなく
身近なものになっています。
(ご冥福をお祈り申し上げます)
本来なら便利にするツールとしてのsnsが不自由さを作っているというなんとも言い難い現実。
snsではなくても言葉が人を傷つけているのは事実。
もちろん逆に言葉によって救われている人もいる。
言葉は無限に使えると思うから雑なかたちで粗末に傷つける為に使ってしまっているというのは先日ボクのブログにも書きましたが
もしお金や時間のようにことばも有限だったら
多分傷つける為には使わずに感謝であったり、愛の言葉だったりにつかうとおもう。
(いや絶対に使う。だって傷つけてもなんの得にもなりませんもん。)
使っても確実にブーメランのように自分に返ってくる。
自分が言いはなったことばが
ブーメランのように返ってくるなら
また傷つけるためのことばを日々考えて
永遠に終わることのない戦いに有限である自分の力を使わなければいけない。
(こんな無駄な戦いはすぐにやめてしまった方が良いと思う。)
だとすればことばは無限ではなく有限になるのだとおもう。
傷つきたい人なんていないし
傷つけたい人だっていない。
なんらかの満たされない何かが、表現として傷つけ傷つけられてしまっているのだと思う。
インドの教え
インド人の教えは本当に素晴らしくて
誰かに迷惑をかけたら二人の人に優しくしてあげると親から子どもに伝えていくようです。
(本当に素晴らし過ぎる)
日本人は迷惑をかけたらいけませんよと親から子どもに伝えていく。
だから呪文のように迷惑はかけてはいけない迷惑はかけてはいけないとすり込まれて大人になる。
そして自分の子どもにも同じことを教える。
迷惑をかけた後の行動は自分自身、それぞれに任されている。
だからすごく差が出てしまいます。
一方ではガチでインド人の教えのような事をやっている中で、ほとんどの人は迷惑をかけてはいけないという事だけを守る。
たとえ、良い事をしても周りがみんな悪い事してたらこの平均主義の世の中では良いことをした人は非常に形見がせまい。
なんかはじかれてしまう。
だからこそ、迷惑をかけたら2人の人に優しくしてあげるというようなことを
当たり前のこととして文化にしていかなければいけない。
その為にはまずは自分から始めていくこと。
自分が始めると、もしかしたらめげそうになる時もあるかもしれない。
否定され、潰しにかかってくる人もいるかもしれない。
ただ、同じように1人で行動しようとしている人がこの世の中にはいるということ。
その同じ思いの人につながる為にsnsがあるのだと思う。
是非有効なsnsの使い方を。
ではまた。
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