ロシア漁船に乗船【自己紹介③】
こんばんは。チャージック代表の大嶋です。
前回の続きになりますが、新規事業に失敗した僕は部門異動することになりました。
異動先は、まさかのオホーツク海です。
極寒のオホーツク海へ
辛子明太子の原料であるスケトウダラの産地はロシア・アメリカ・北海道になります。
当時のやまやでは、毎年誰かがロシア漁船に乗船するという仕事があり、その社内でも最もハードな仕事に指名されてしまったのです。
乗船するのは、原料購買担当や工場部門の担当者が主なのですが、明太子ド素人の僕はどうやら先々は原料購買担当にするという目論見のもとで選ばれたようでした。
スケトウダラ漁は毎年12月から4月上旬まで行われます。
必然、赴任期間は3ヶ月ほどになります。
韓国釜山出港の中積船で荷物と一緒に運搬された僕は、1週間後くらいにオホーツク海上でロシア漁船に転船します(クレーン宙吊りで)。
漁船の名前は「ボリソボ(表紙写真の船です)」だったと思います。
船上での生活
漁船はロシア人が80名ほど乗船しており、そこに日本人の僕が乗り込むという状況。
僕の仕事はスケトウダラの卵の管理です。
漁船は24時間稼働(3-4交代制)しているので、僕はランダムに全ての時間で船内工場を管理するのです。
仕事もハードでしたが、生活がとにかくハードでした。
書ききれないのでハードな部分を羅列すると下記のようになります。
1:3か月間、海の上。
2:ごはんがメチャクチャ不味い。
3:船がボロイ(トイレとかひどい)。
4:低気圧にまきこまれると陸では想像できないレベルで海が荒れる。
5:日本人がいないし、電話もTVも新聞もない(当時)。
とりわけ、4「低気圧」はいわゆる三角波って言うのでしょうか、360°水平線の海の真ん中で嵐に遭遇するとこんな感じになるんだ・・・。
最初に遭遇した時は、数年に一度の大型台風に巻き込まれたのかと思って、「死を覚悟」しました。
生きながらにしてリアルに「死を覚悟」したのはこの時が初めてです。
実際、事故もあるんですよね・・・。ちなみに、3週間に一度くらい嵐に巻き込まれます。。
無事に帰国
なんやかんやと無事に帰国することができましたが、無事に帰国してはじめて良い面もあったなと感じる事ができます。
1:なにはともあれ経験や思い出となった。
2:すごく綺麗な流氷や太陽や海面や夜空を見る事ができた。
3:ロシア語を片言しゃべれるようになった。
現在だとSNSとかあるので、漁船で働いていたみんなとSNSでつながることができていただろうなと思います。
みんな今頃、何してんだろ。もう一生会うことは無いんだろうな・・・
ロシア船は良い思い出も多いのですが、とにかく生活がハードで辛かったので、やっぱり僕はもう2度と行きたくはないです(笑)。
本日はここまでですが、次回からかなり端折って進みます。
「自己紹介」が終わらないので。。
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それでは、また!!
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