Vetments(ヴェトモン)

Vetments (ヴェトモン)初めてこのブランドを知ったのは4年前、当時付き合っていた彼に見た方がいいと見せられyoutubeで見たのを覚えている。そして今日、(4月9日 2020年)2017のssショーを見ている。初めて見た時と変わらない感情、それは今まで見てきたショーの概念を覆された衝撃が起こす鼓動の高まり。一体これは何なんだ。と眉をひそめてしまいいつつも、目を逸らすことができず何処か共感さえできしてまうような感覚だった。現在、一世風靡したヴェトモンは若者たちから離れてしまった。ファッションニュースを常に追っていない私のような人でさえヴェトモンの影響を感じることができたブランドで、若者たちがこぞってヴェトモンの格好を真似るというここ最近稀に見る社会的現象が起き、調べなくても日常的にインスタグラムなどでよく目にした。しかし、今となっては話題に上がることも少なくなった。単なる調査不足だと思うが、これはあくまでもファッション業界を少しかじっている程度でさほど詳しくない私が感じていることだ。私がここで言いたいのはヴェトモンというブランドがどうして今、消息が掴めないほどになってしまったのかでは無く、このヴェトモンの最初のパリでのショーを見て感じたこと、思ったことを書いていきたい。

3年が経ち、今のヴェトモンの状況を知っていてもやはりこのショーは何度見ても惹きつけられてしまう。何故だろうと考えた。まず、文頭にも書いた、何処か共感さえできてしまう感覚というのは、出てくる人はモデルというよりか年齢がバラバラの一般人。そして着ている服が普段見慣れているものだからだろう。と考える。従来の、普段の生活では着れないような大きな刺繍が施された美しいクチュールドレスなどが並ぶショーではなく、もしかしたら自分のクローゼットにある普段着を少し工夫して組み合わせればヴェトモンのようなルックが作れるかもれない、より自分に近い距離にあるリアルなデザインであるため、見てる我々もこういう着こなしをすればかっこよくなるのかというわくわくが生まれる。ヴェトモンのショーは、かなりスタイリングによって成り立っているようにも考えられるが、動画を止めてじっくり服を見ると所々に不思議な縫い目やカット、現代を映し出すアイディアが詰まっていてこれが更に人々を惹きつける。特に2017SSのショーのフィナーレは、電車のプラットホームに座って過ぎていく人たちを眺めているようだった。むしろ、モデルたちがエスカレーターから登場してくるほどなので、デパートや駅をイメージしてそういう雰囲気を作りたかったのに違いない。そこが良い。と思った。良い。

私が作り上げたい雰囲気はこういうものに近い。ファッションの世界は関わっていない人から見たら、華やかなものに見えるかもしれない。顔立ちの整ったモデルたちがキラキラとした綺麗な服を身に纏い、違う時間軸の中で優雅に歩いてくる。もはや異空間である。しかし、私にとってはあまりにも現実離れしていて、富裕層のみに与えらえた娯楽空間に見えた。その一瞬で放たれた感動や美は、その空間だけで共感され終わる。かなり捻くれた考え方かもしれないが、実際にハイブランドでインターンをし、ショーの手伝いを終えた気持ちはこれに近かった。だから、ヴェトモンのフィナーレでモデルたちが思うがままに会場を歩いて行く様子はリアルで、この会場をでれば、このショーの続きがあるかもれしないと思わせてくれ、とても好感を持てた。皮肉なことに、ヴェトモンの服の値段はとても手が出せるものではないが、デムナが作る服はファッションの世界に生きる人たちだけでなく、彼のショーを見る人すべてにファッションとは何かと考えさせ、魅了する力があると思う。

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