見出し画像

キスヒーロー

《年上の彼と付き合っています》

年上の彼は余裕がある。
「昼前とはいえ、土曜日だからやっぱり映画館って混んでますね。チケット売り切れてますかね?」
「ネットで予約してチケットとってるから大丈夫だよ。勝手に席の場所決めちゃったけど。ごめんな」
さすが年上の彼。用意周到。デートに慣れているのかな。
「ううん。いいですよ、どこでも。ありがとうございます。お金は?」
「いらないよ、そんなの」
私は大学1年。彼は大学3年。テニスサークルの先輩。憧れだった年上の恋人。
彼は他の先輩たちと比べて、笑い声が控えめで、自分の話をほとんどしない。学部が同じと知って、色々と質問をしたりして、仲良くなった。そして恋人になった。
チケットカウンターで並んでいる人たちを横目に、機械にスマホをかざして発券。
「ポップコーン2人で1つでいいよね? 飲み物はそれぞれで」
「はい」
お菓子をたくさん食べない感じが年上の雰囲気。
2人で少しだけ並んで、ポップコーンとそれぞれのドリンクを注文。私はSサイズのホットティー。彼は並んでいる間に随分と悩んでLサイズのアイスティー。
店員さんがレジ横に飲み物を持ってきた。
「……でかっ」
咄嗟に声を出した彼から幼い香りがして、なんだか安らいだ。
私が財布を出そうとすると、彼の手が胸の前まで伸びてきた。
「おれが出すから。そのためにバイトしてるんだし」
嫌みのない彼。やっぱり年上。胸の前にあった彼の手がゆっくりと離れた。
私と同い年くらいのレジの女性店員が、さりげなく何度も彼を見ている。
短髪で日に焼けた彼のことが気になるのかな。
その視線、さりげなくのつもり? さりげある。
その視線を感じているのか感じていないのか、彼は全く店員を見ない。やっぱり年上。
こんな女の色仕掛け、彼にとったら無色仕掛け。
〈スクリーン7〉に入り、最後列の真ん中。
私が以前から見たがっていた洋画〈キスヒーロー〉。アニメの実写化でラブコメディ。
女性とキスをすることで変身をするヒーロー。悪者が現れる度に女性を口説きキスをする。そしてヒーローに変身して、敵を倒す。端正な顔立ちのおかげで簡単に女性とキスができる。そんなヒーローが花屋の店員に恋に落ちる。しかし全く相手にされない。そのせいで女性の扱いに戸惑い始める。悪者が現れても花屋の店員で頭がいっぱいになり、女性をうまく口説けずキスができない。変身ができない。悪者に侵食され始める街を救うべく、いざ、花屋の店員を口説く。
ストーリーはいかにもコメディだが、最後はしっかりと涙する映画。
エンドロールが流れ始めて、彼に目をやると、スクリーンを一点に見つめている。
エンドロールを最後まで楽しむ男。まさに年上。
館内が明るくなる。
「おもしろかったー。ふざけた映画だと思ったら、ラストは感動できた」
彼も映画に満足。
「よかったです。映画のチケットありがとうございます」
「とんでもない。……混雑してるし最後に出よっか?」
彼の提案に頷く年下の私。どこまでもついていきます。
スマホを確認すると大学の友達からLINEが届いている。
「おれも返信したいな」
「うん、いいですよ。私も返信しますね」
彼もスマホを取り出し、画面をタッチしている。
友達と何度かやり取りをして顔を上げると、もう誰もいない。
彼と私だけ。
真横を向いて、彼に声をかける。
「私たちも出ます?」
「……おれも返信しようかな」
「さっき返信してたんじゃないんですか? 今しちゃえば?」
「いや、あとでいいよ」
誰からのLINEかは知らないけど、返信が遅くなっても気にしないところが大人の男って感じがする。
「じゃ行きますか?」
「……うん」
立ち上がった彼が大きく伸びをした。そしてアイスティーを飲み干した。
私も真似をして伸びをした。
このあとはどこに行こうかな。
年上の彼にまかせよう。


《年下の彼女と付き合っています》

初めて彼女ができました。
大学のテニスサークルの後輩です。
その子と学部が同じで、色々と質問をされて、先輩として普通に答えていました。よく質問をしてくる子でした。いらなくなった僕の教科書もあげました。
それは、ある日の朝でした。偶然、正門で会って一緒に校舎まで歩きました。
すると突然、「彼女いるんですか? いないんだったら私と付き合ってください」と言われました。
めでたく、初めて彼女ができました。
僕は3年。彼女は1年。
なんと! 土曜日の練習が休みになりました。だからデートすることになりました。
サークル帰りに一緒に食事をしたことは何度かありますが、丸1日のデートは初めてです。
話し合いの結果、映画デートに決定。彼女が見たがっていた〈キスヒーロー〉という洋画。よく知りませんが原作は人気コミックらしいです。
人生初の映画デート。
事前調査が必要です。
前日の金曜日のサークル終わり、夜から1人で映画館に行きました。
意外にも〈キスヒーロー〉のチケットは完売でした。
これは予約が必要です。そもそも予約はできるのでしょうか?
「すみません。明日午前11時からの〈キスヒーロー〉を見たいのですが、チケットは予約できますか?」
女性のスタッフさんに声をかけました。
「はい。できますよ。ネットで」
「……すみません。やり方がわからなくて……」
そう言うとスタッフさんは僕のスマホを見ながら丁寧に教えてくれました。
ログインとか、ドメイン指定とか、色々なことをしてくれました。
「このまま進めば予約できますので。当日にスマホをタッチすると発券できますので」
心の底からのお礼を伝えて頭を下げました。
その場でスマホの画面に従って予約をとりました。
座席指定をできることに驚きました。
もちろん最後列。なぜならば……
実は〈キスヒーロー〉を見ると決まってから、彼女とキスをすると決心していました。
タイミングは映画終わりに誰もいなくなってから。薄暗い中でのキス。必ずゴールを決めます。
もちろん今日は映画を見ませんが、館内の事前調査は続きます。フードに関してです。
ポップコーンのドリンクセットが定番でしょうか? とりあえず、注文。そして驚きました。
ポップコーンが馬鹿みたいに大きいです。これなら2人で1つでいいでしょう。
キスに備えて口は潤しておきたい。今注文したMサイズのアイスティーだと飲みきってしまうかもしれない。ドリンクはLサイズにしときましょう。
準備万端です。明日に備えましょう。

「映画館、昼前とはいえ、土曜日だからやっぱり混んでますね。チケット売り切れてますかね?」
彼女が焦っています。ご安心を。
「ネットで予約してチケットとってるから大丈夫だよ。勝手に席の場所決めちゃったけど。ごめんな」
最後列。一番キスがしやすい場所。多分。
「ううん。いいですよ、どこでも。ありがとうございます。お金は?」
「いらないよ、そんなの」
映画代金は2人で3600円。牛丼屋のバイトの時給が900円。4時間分です。キスができるなら安いものです。
フードカウンターで少しだけ並びました。これくらいなら問題ないでしょう。何を話したらいいかわかりませんので、メニュー表を見て、飲み物を悩んでいる素振りをしました。
「ポップコーンセットで飲み物がホットティーSサイズで」
彼女が店員さんに言いました。
「僕は単品でアイスティーLサイズで」
店員さんがレジ横にポップコーンセットとアイスティーLサイズを持ってきました。
「……でかっ」
でかっ! S、M、Lの階段がおかしい! 1段ずつサイズが大きくなるわけではなく、急に5段飛ばし!? アメリカンサイズに! 咄嗟に声を発してしまいました。なんかダサかったかもしれないです。咳払いでもして、誤魔化そうかと迷っていると別の問題が発生!
彼女が財布を出そうとしています! お金を払うのは年上の仕事です! 彼女を制止します!
手を伸ばして「財布は出さなくていいよ」のボディーランゲージ。
しかし! 手を伸ばしすぎました。彼女の胸を触ろうとしていると勘違いされそう。いや、これはむしろ揉もうとしていると思われそう……! 瞬時に手を引いたらそれはそれで怪しい! ひとまず、このまま。何か言わなきゃ。
「おれが出すから。そのためにバイトしてるんだし」
彼女が財布を出そうとする手を戻しました。それに便乗して僕はゆっくりと手を引きました。
「ポップコーンセット700円、単品アイスティーLサイズ500円、お会計1200円です」
牛丼屋のバイト1時間20分の稼ぎが失われました。キスができるなら安いものです。
……ん? これはひょっとして、ポップコーンセットの飲み物をアイスティーLサイズにして、彼女のSサイズのホットティーを単品で注文した方が安くすんだのでは!?
ぐやじぃぃぃー!
いや、これは店員さんが指摘するべきでしょ!
……えーーー! 今、気付いたんですけど店員さん、昨日、親切丁寧に教えてくれた人じゃないですか!
なんかこうゆうのは気まずいです。なんか非常に気まずいです。うつむき加減で顔を見られないようにしましょう。でもこの人、すでに気付いていそう……。まぁ気にしない気にしない。値段も気にしない。この店員さんは親切だからうっかりミスに違いありません。
何食わぬ顔でポップコーンやらを受け取り、〈スクリーン7〉へ。ラッキーセブン! 縁起がいいです。
そして最後列の真ん中に着座。
ここが僕らのファーストキスの場所になります。
ここが僕のファーストキスの場所になります。
映画が始まっても、内容が頭に入ってきません。
女性とキスをすればヒーローに変身できるという大まかなストーリーはわかりましたが、細かいストーリーがつかめません。そもそもキスをしないと変身できないってヘンテコな話です。
2時間はあっという間でした。
気付けばエンドロールです。ヤバイです。彼女に感想を問われそうです。エンドロールに何かヒントはあるか!? いやいや、あるわけがありません。
横目で斜め前の人を見ると、泣いています。なるほど。ヘンテコなストーリーと見せかけて、最後に泣かせるのですね。
エンドロールが終わりました。
「おもしろかったー。ふざけた映画だと思ったら、ラストは感動できた」
「よかったです。映画のチケットありがとうございます」
「とんでもない」
いよいよキスです。
ん? いつの間にか館内が明るいです。そうか。映画が終われば照明はついてしまうのですね。さすがにこの状況でキスをしたら見られてしまいます?
「混雑してるし最後に出よっか?」
彼女が頷きました。
キスをするきっかけがわかりません。全員がいなくなってから? それまで待ちますか。でもその前に何か伝えておいた方がいいのでしょうか?
キスをする環境ばかりを万全にして、肝心のきっかけを決めていませんでした。「キスしていい?」と質問するのは変な気がします。直球過ぎます。もっと遠回しに伝えるべきです。
そうだ! 映画に関連させよう。
彼女はスマホを見ています。ここで不意にキスへの言葉をかければ胸キュンでしょう!
「おれも変身したいな」
どうだ! 決まったか!? 胸キュンか!? わかりますよね!? 僕はキスヒーロー! 変身するには何が必要かな!? そう! キス!
「うん、いいですよ。私も返信しますね」
違うーーー! その返信じゃなくて! 変身ですよ!
まぁLINEを見ていたから仕方がないでしょう。冷静に柔軟に対応しましょう。
スマホを取り出して、適当に画面をタッチします。誰からもLINEは来ていません。
でも彼女がLINEを終えるまで何となくタッチを繰り返します。
他のお客さんたちはどんどん出ていきます。意外に、みなさん去るの早いですね。いやいや、そんなことはどうでもいいのです。館内が僕らだけになったところで、キスをします。必ずゴールを決めます。
全員が出ていきました。
彼女がスマホをカバンに入れました。そしてこちらを向きました。
大チャンスです!
僕も首を真横に振れば、彼女と向かい合えます。
「私たちも出ます?」
まだ出ませんよ! キスをしてからですよ!
突然しちゃいますか!? いや、やはりそれはダメです。やはりジャブを打ちましょう。もうLINEはしていないからわかりますよね?
「……おれも変身しようかな」
変身するためには何が必要!? そう! キス! だって僕はキスヒーロー!
「さっき返信してたんじゃないんですか? 今しちゃえば?」
ぬぉーーーーーーー!!!!!
なんで伝わらないのですか!?
もうどうすることもできません。
キスは諦めます。
「いや、あとでいいよ」
誰からも連絡はありませんでしたけどね。
「じゃ行きますか?」
あー、キスしたかったです……。
僕はキスヒーローになれませんでした。
「……うん」
立ち上がって大きく伸びをしたら気持ち良かったです。ずっと力んでいたのかもしれません。
それにしてもこのあと、どこに行けばよいのでしょうか。まだ昼の1時です。ノープランです。ヤバイです。年上の僕が決めないとダメですよね……。
膀胱もパンパンです。Lサイズのアイスティーは残り一口。キスはできませんが、飲み干しました。口は無駄に潤っています。
彼女も僕と同じように伸びをしました。
年上は大変です。


《今日もアルバイト》

あー、だる。
今日もバイト。
私は映画をたくさん見れると思ってこのバイトを選んだのに。
レジ打ち、入場案内、清掃などなど。
全く映画が見られない。
〈スクリーン7〉の〈キスヒーロー〉が終わった。
客がぞろぞろと出てくる。
「ありがとうございましたー。ゴミや食べ残し、飲み残しはこちらにどうぞー」
ポップコーン平気で残すな。全部食え。
笑顔は保って、内心で悪態をつく。
私はまだ〈キスヒーロー〉を見ていない。ネタバレが耳に入ってこないように、ひたすらに、「ありがとうございましたー。ゴミや食べ残し、飲み残しはこちらにどうぞー」を繰り返す。
これで客は全員帰ったか?
ここからは座席の清掃。嘘みたいにゴミを置いていく客は山ほどいる。マナーくらい守れ。
ゴミ袋を持って、〈スクリーン7〉に入る。
あっ、客、まだいた。早く出ていけ。
あっ、キスした。しかも女から。度胸あるな。
あっ、あの男、昨日も来てたやつ。絶対に下見だった。
やっぱりポップコーン買ってたのアイツだったな。セット割、損させてごめんね。でもあれが私のストレス発散。
なんかわかんないけど、おめでとうって感じ。
あー、早く映画に出たいなー。