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そんなことをされたら困る

日曜日、大きめの公園に誘われた。
アナタは意味もなく鉄棒にぶら下がる。
足が地面につかないように曲げる膝。皮膚が突っ張っている。
「今日、思ってるより、暑いなー」
険しい顔つきでパタゴニアのナイロンジャケットを脱いだ。
無地の白いTシャツはやや大きめ。
腰に巻き付けるナイロンジャケット。
Tシャツの上から縛りつけた。
結び目を強調するように。
細まるウエストが幼さを膨らませる。
そしてまた両手を突き上げ、宙ぶらりんになった。
そんなことをされたら困る。
私には恋人がいるから。
アナタの一連をベンチから眺めていた。困りながら。

平日の夜、中華料理屋に誘われた。
「ここ、本当に餃子がデカいから」
アナタのこの店の宣伝文句。
味ではなく、大きさ。
「絶対、一口で食べられないから」
そう宣言したにもかかわらず、アナタは三つ目の餃子を一口で食べていた。紛れもなく無意識に。
飽和状態の口が頬を持ち上げ目を細くした。
そんなことをされたら困る。
私には恋人がいるから。
アナタの一連を正面から観察していた。困りながら。

土曜日の夕方、水族館に誘われた。
アナタは金魚の品種名に高揚した。
〈キラキラ〉を見て目をキラキラさせた。
〈ピンポンパール〉を「ピンポンパ~ル」と言った。
そんなことをされたら困る。
私には恋人がいるから。
アナタの一連を横目で見ていた。困りながら。

日曜日、「どこかへ行こう」と誘われた。
恋人に。
クローゼットからカーキ色のブルゾンを取り出し、白いTシャツの上に羽織った。
気象予報士が棒読みした。
「日中は暖かく、半袖一枚で過ごせるでしょう。しかし夕方から少し気温が下がるので、帰宅が遅くなる方は何か一枚あるといいでしょう」
私はブルゾンをソファーに放り投げた。
恋人とあてもなくほっつき歩く。
Tシャツ一枚の真意をわかってもらえず、肌寒くなっても帰れなかった。
夜の住宅街。
街灯と月と窓から漏れる光がなくなれば、恋人の手を掴むのだろうか。
「寒いだろ? おれのパーカー着ていいよ」
首を横に振る。
「親切心がハズっ!」
場違いの声量に眉をひそめた。
「じゃおれも着ないでおこう」
そんなことをされたら困る。
着てください。
恋人はパーカーをTシャツの上から腰に巻き付けた。
そしてTシャツを引っ張り上げて、結び目に覆い被せた。
うしろから見たらパーカーがスカートみたい。
きっと前から見たら気取っているよう。
私は恋人の後ろ姿から目をそらした。思いあぐねて。

金曜日の夜、ウォーキングに誘われた。
好きな映画についてアナタと話していた。
細い歩道で前から来る自転車の灯りを見つけてすぐに車道に出たアナタ。
そのままの私は自転車とすれ違う。
アナタはすぐにガードレールをまたいで私の横に戻る。
話題はそのまま映画。
そんなことをされたら困る。
私には恋人がいるから。
遠くで鳥が鳴いた。
「鳥の声、聞こえた? なんの鳥だろ。夜に鳥の声が聞こえるって珍しいなー。ん? そんなことないか」
〈鳥の鳴き声〉と言って。〈鳥の声〉と言わないで。
そんなことを言われたら困る。
私には恋人がいるから。
公園のベンチで休憩。
アナタは自動販売機でホットコーヒーとアイスコーヒーを買ってきた。
「どっちがいい?」
そんなことをされたら困る。
ウォーキング中にコーヒーはあまり飲みたくないから。
「アイスで」
「じゃおれはホットにする」
そんなことをされたら困る。
私には恋人がいるから。
アナタは一口飲んでベンチの上に缶コーヒーを置いた。
「あ、ベンチって意外に斜めってるから気を付けた方がいいよ」
「スリルーぅ。……もっとスリリングなこと言うけど、好きなんで、なんとか付き合って欲しいです」
そんなことを言われたら困る。
私には恋人がいるから。
言ってなかったけど。聞かれなかったから。
アナタとの一連を振り返った。困りながら。

日曜日、「テレビを買い換えたいから」と家電量販店に誘われた。
恋人に。
開店と同時に入店。
数ある液晶を見比べて気合い十分の様子。
至るところで、オリンピックのリオデジャネイロ大会の開会式が執り行われている。
国旗を掲げる選手たち。
鍛え上げられた体。
胸を張っている。
「場違いだけど言うね」
恋人を振り向かせた。
私が言葉を続ければ続けるほど、恋人は涙の置場所を広めるように目を大きく見開いていく。
ふと、金魚の〈キラキラ〉を見て目をキラキラさせたあの人を思い出した私は悪魔。
テレビの売り場から離れた私。
オランダの選手たちが堂々と入場していた。

あれから何年が経った?
アナタは正直者だから「ごめん。新しく好きな人ができた」と私から離れた。
そんなことをされたら困る。
私にはまだアナタが必要だから。
一緒にオリンピックを見る約束もした。
でもアナタが嘘偽りなく話してくれたから、ためらいを捨てる覚悟ができた。
一方、オリンピックは延期だそう。
もしアナタが適当にはぐらかしていたら私もずるずると引きずっていたのかもしれない。
あれは4年前?
私は適当にはぐらかした。
かつての恋人はためらいを捨てたのか。
目のふちから落ちそうな涙をたまに思い出す。
あんなことをされたら困るんだろな。