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じょうろ不安定な〈デンジャーな日〉

じょうろが不安定。
ベランダに出て植木鉢に水をあげた。
アイビーは簡単に育つ。枯れない。強い。
私は弱い。
空っぽになったじょうろを室外機の上に置いた。いつもの置き場所なのに、じょうろがグラグラと不安定。
じょうろ不安定。

じょうろが不安定な日は、ムカつく日。
個人的に〈デンジャーな日〉って名付けている。
一ヶ月に五日間くらいある。五日連続ってわけではない。
きっかけはない。
ただムカつく。
何故かムカつく。
厳密に、「ムカつく」って言葉と、私の感情は合致していない。
会社に向かう。
ムカつく。
いや、「ムカつく」ではない。
カバンを投げたくなるような気持ち。でもない。
カバンの持ち手を引きちぎりたくなるような気持ち。
真っ暗な部屋に閉じ込められている感じ。でもない。
古い自動販売機の中に閉じ込められているような感じ。うん、すごく近い。いや、難解。
誰に話しかけられても、「今はやめて」って気持ち。
目の前に人がいることが嫌。そう、それ。
誰も私に関わるなって気持ち。でもない。
地球上にいるのは私だけになれって気持ち。いや、それはまるっきり違う。
私を操縦する人がいない気持ち。でもない。
私を操縦しているのは絶対に私だ。って気持ち。
操縦席には誰も座らせないって気持ち。
〈デンジャーな日〉は、自分を嫌うことがないってことが異様。自分以外の人をとにかく嫌いになる。
でも〈デンジャーな日〉が終われば、自分を嫌いになる。そのせいで〈第二のデンジャーな日〉がくることもある。
私は普通の女。
〈デンジャーではない日〉が私の本性。ありのままの姿。
〈デンジャーな日〉が、本来の私、と思われたくない。絶対に。
そもそも〈デンジャーではない日〉って名称が嫌。デンジャー基準。〈普通の私〉でいいじゃん。そんなことを考え始めると〈第三のデンジャーな日〉がやってくる。
電車の中で叫んでやろうか!? って思うけど叫べない。理性を保てていることが不快。これが〈第四のデンジャーな日〉を呼び起こす。
〈第五のデンジャーな日〉は、どうせ明日くるって感じでこっちから迎え入れる始末。
インターホンを押される前に扉を開けるような、家の前で来るのを待っているような、お料理をたくさん準備しているような。
それなのに〈第五のデンジャーな日〉は手土産なし。非常識。
常に舌打ちをしたくなる気持ち。
説明不能。
これが「デンジャーな日」です。よろしく。

こんなことを、最近できた彼氏に説明したいけど、言えない。
歴代の恋人とは〈デンジャーな日〉のせいで別れた。歴代といっても二人。
最終的に言われることは「お前のわがままに疲れたよ」って。
〈デンジャーな日〉について説明すると、理解してもらえない。
「だから、それを、わがままって言うんだよ」と叱られた。
久しぶりにできた彼氏にこんなことを説明したくもない。
〈デンジャーではない日〉に出会った彼。
「タナくん」って呼んでいます。
くりくりの目が好みです。
会社員同士。
ほぼ毎日、仕事終わりに会う。
土日も絶対。
タナくんは毎日会いたがる。それはそれで嬉しいけど私には〈デンジャーな日〉がある。
付き合ってから初めての〈デンジャーな日〉。
朝の日課で気が付く。
じょうろが不安定。
ベランダに出て植木鉢に水をあげた。
アイビーは簡単に育つ。枯れない。強い。
私は弱い。
空っぽになったじょうろを室外機の上に置いた。いつもの置き場所なのに、じょうろがグラグラと不安定。
じょうろ不安定。
間違いない。今日は〈デンジャーな日〉。
タナくんからラインが届く。
無視した。
未読スルーにすればいいのに、既読スルーにしてしまう。
夕方、電話がかかってきた。無視をする。
仕事終わり、また電話が。仕方がなく出る。無言で。
「もしもし? どうしたの? ラインこないからさ、どうしたのかなって」
何も知らないコイツが嫌になる。
わかってよ。連絡してこないでよ。
「うん、別に」
かまって欲しいわけではないのに、こんな返事をしてしまう。一刻も早く電話を切りたいのに、自分からは電話を切らない。切れない。弱みを握られているような気持ち。
「会おうよ。ごはん食べようよ」
「うん」
断ればいいのに断れない。やはり弱みを握られているような気持ち。
いつもの待ち合わせ場所に行くとアイツがいた。
私の顔を見た途端、満面の笑み。嫌だな。
二人でよく行く定食屋へ。
くりくりな目、今日はギロリと睨まれているよう。
「どうしたの? なんか怒ってるの? おれなんかした? それだったら謝るしさ。ちゃんと言ってくれよ」
〈デンジャーな日〉に対する、最も癪にさわる反応。その上、典型的。
「なんもないし」
少しだけ微笑んであげる。
「うそつけよ。絶対におれなんかしたじゃん。ごめん」
黙れ。黙れ。黙れ。
とりあえず私が黙る。黙る。黙る。
歴代の恋人と同じ反応。どうせわがままって思っているんでしょ。思え。そう思え。
とりあえず今は私の返事を待て。おい、お前。焦るな。何も話してくるな。私が声を出すまで待て。
「なんで黙ってんの? 正直に言ってよ。おれ、わかんねぇーよ」
なんで待てないの? 馬鹿じゃないの。
結局、定食屋を出るまで無言。
すぐに解散。
駅でアイツが「バイバイ」って言ってきたから、ちゃんと振り向いて、「うん、バイバイ」って言ったら安心して笑っていた。
笑顔に拒絶反応。
帰宅して、すぐにお風呂。
シャワーを頭から浴びたら、涙が止まらない。
悲しい映画を見て泣くような感じではない。嗚咽でもない。目だけが別人のモノみたいに、涙が自動的に出てくる。呼吸は普通。シャワー中、ずっと泣いていた。
すぐに寝る。真っ暗な部屋。涙が止まらない。呼吸は普通。
次の日も〈デンジャーな日〉、また次の日も。
そして、次の日、落ち着いていた。
室外機の上のじょうろが安定していた。
じょうろ安定。
タナくんからは一度も連絡がなかった。
私からもしていない。
夕方、ラインをしたらすぐに返事がきた。
仕事終わりにいつもの定食屋へ。
タナくんはこの数日間のことを話題に出さなかった。
また毎日会った。
いつもの私とタナくん。
目がくりくりで好みです。
でも数週間後、また〈デンジャーな日〉がやってきた。
室外機の上に置いたじょうろが不安定だった。
じょうろ不安定。
既読スルーにしてしまう。
会わなきゃいいのに、会ってしまう。
話しかけてくる。限りなく少ない言葉で返事。
何度も「どうしたの?」とこちらをギロリと見る目、あっち行け。
笑顔に拒絶反応する私。
再び、連絡を取り合わない数日間。
〈通常の私〉に戻るとタナくんに連絡。
また毎日会う。
楽しい。幸せ。
簡単な言葉で表現できる日常。
〈デンジャーな日〉はどんな言葉を駆使しても説明不能。
いずれやってくる日。
タナくんが可哀想。
だから〈デンジャーな日〉について説明した。
くりくりの目で私を凝視した。好みの目。
「なんだ、そんなことだったんだー。てっきり地方に男でもいるのかなって。で、月に一度上京してくる男で、数日間だけ家に泊めてるのかなって思ってた。本気で」
「違うよ、バカ」
「じゃー、これからは、〈デンジャーな日〉も会おうな」
タナくんは何もわかっていない。
「話、聞いてた?」
「うん、理解したよ。だから〈デンジャーな日〉も会おうよ。おれ、一言も話さないから。おれ、一回も顔を見ないから。待ち合わせ場所は定食屋。ラインもしない。電話もしない」
「理解してないじゃん。〈デンジャーな日〉は誰にも会いたくないの」
「でもおれは会いたいからなー」
単純明快な返事。
この人が繁雑な〈デンジャーな日〉を理解できるはずがない。
「あのさー、〈デンジャーな日〉ってその日の朝にわかるの?」
「だいたいそうかな」
「じゃあさ、わかったらラインで『デンジャー』とだけ送ってきてよ。もちろん、それに返事はしないし」
「あのね、〈デンジャーな日〉は、『デンジャー』って言葉を送るのも嫌」
優しくない私。
でも〈デンジャーではない日〉の今日だからこそ強く跳ね返す。
「じゃー『デンジャー』じゃなくて、『ジンジャー』ってラインしてよ……あっ、まだデンジャーの感じが残ってるか……あ! 『ジンジャー』を日本語にして、『生姜』は!? うん! そうしよう! 〈デンジャーな日〉ってわかったらおれに『生姜』ってラインしてよ」
「え、私にそこまでして会いたいの?」
「会いたいなー」
単純な言葉は簡単に胸に浸透する。
「優しいね」
単純な言葉を投げ返す。
「おれ、『生姜』ってラインがきたら『しょうがない』って思うし!」
面白くなかったけど、面白かった。
単純な言葉で満足し合える二人はセーフティー。
数週間後、〈デンジャーな日〉がやってきた。
じょうろ不安定だった。
タナくんに「生姜」ってラインを送信。
既読になった。
「しょうがない」って思っている彼を想像したら面白くなかったけど、笑えた。いや、微笑んだくらいかな。

余談ですが、数年後、タナくんに結婚の申し込みをされました。
わざわざ〈デンジャーな日〉に伝えてきた。
「この日に、オッケーもらえたら、本物でしょ」って言っていた。
私は「しょうがないなー」って返事をした。
いつからか、じょうろは安定するようになりました。