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Chara「命のまつり」その29~秋桜が咲く頃、妹は旅立った

仮面うつと言われ、抗不安薬を飲みながら精神科の仕事を続けていた。
患者さんと話をしたり一緒にレクレーションをしても、子どものように無邪気に笑えなかった、楽しいという感情が分からなくなってきていた。

身体の中に心のかたまりがあるとしたら、私のかたまりは半分くらいになっていたと思う。
患者さんや仲間の看護師と話しても、相手の気持ちや感情を受け取れなくなって・・・、感じにくくなっていた。
表面的には普通に話をして、返事をしていたと思う。
夫との会話も、子どものことがあって少し距離を感じたままだった。

ある日、電話のベルがなった。
親戚のおばちゃんの声で、妹が自動車事故で緊急搬送されたけど危ない状態だと知った。両親は妹のところにかけつけていると・・・
「すぐ帰ってきて」と言われた。
何をしたかわからないくらい慌てて準備をしている時、また電話が鳴って
妹が亡くなったことを聞いた。

私は、身体中から血の気が引き、茫然と立ち尽くした。
そして、「私のせいだ」と思ってしまった。
全く、非合理な考えだと今なら言えるけど、真面目に自分を責めていた。

実家に帰り妹の旅立ちを送った。
結婚を考えている彼がいて、仕事も順調で、一人の女性として
これから人生を謳歌しようとしていた妹。
棺の妹の顔はところどころ傷があった、そして悲しそうな顔をしていた。

私は心の中で「ごめんね、ごめんね」と妹に謝っていた。
両親にも長女の私が家を出て結婚して、それなのに子どももできなくて、
妹が死んだのは「わたしがいけんのんよ」「ごめんね」と心の中で謝り続けていた。

55歳の今も、妹のことを思い出すと胸が熱くなり切ない痛みを感じる。
コネクションプラクティスを習ってコヒーランスをするようになってから、ある事が起こった。
ハートに感謝を向ける時、実家の海と沈む夕日、家族6人がそろって笑っている場面を思い出している。

ある朝目覚めて布団の中でまどろんでいる時、妹からメッセージが来た。
お姉ちゃん、愛してるよ」という妹の声。
妹の声を聴いて、ホッとして肩の荷がおりたようなそんな気持ちになった。

妹に対する罪の意識は年を重ねるごと薄れ、普段はほとんど思い出さないで生活していた。
それでも、仕事で人の死に向き合ったり、なくなった人を悼む家族の姿をみると、身体の中に痛みを感じていた。

妹の声は私を救ってくれた。

このブログを書いている今、まだ少しだけ痛みが残ってる感じはあるけれど、「お姉ちゃんも、愛してるよ、ありがとう」と妹に言える自分がいる。





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