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Chara「命のまつり」その8

今回は保育園から高校にかけての思い出を綴ります。
私は保育園、小学校、高校とバス通学をしていました。

小学校の頃はまだ車掌さんがいて、切符を買ったら穴あけパンチでカチッと切符に穴をあけていました。私もカチってやってみたかったのを覚えています。私の地元は、バスが1時間から2時間に1本というところでした。 朝の通学時間帯に乗り遅れると次まで1時間待つか、1時間半かけて歩くことになります。当時はまだのどかな時代で、登校班の誰かがまだバス停に来てないと、「おじちゃん、まだ○○ちゃん来んのんよー。」と運転手さんに言うと、「おう、ええで」と少し待ってくれたりしました。

高校時代はバスの中で疲れて眠ることもよくありました。家の近くのバス停に来て私がまだ寝ていると運転手さんが起こしてくれたりした。

高校を卒業し進学、就職でしばらく地元を離れていました。40代前半に地元にUターンしました。まだ同じ会社のバスが走っていました。しかし、利用者客もかなり減り誰も乗っていないバスをよく見かけるようになりました。廃止路線も増えていきましたが、バス会社は国や自治体からの補助金もあり営業を続けていました。

ふと、運転手さんの姿を見て思うことがあります。誰も乗っていないバスを運転して終点まで行くんだんぁ。時々1人くらい乗っているのを見かけることもありますが・・・・。
50歳を前に働くことについて考えることがありキャリアコンサルタントの資格を取りました。ライフキャリアとして働くことをみつめ、仕事を通じてどんな人生を送りたいのかなど自問しました。仕事に対するモチベーションとか、仕事に使われるんじゃなくて仕事を通じてどんな自分になりたいのかなど考えました。
その事もあり、乗る人の少ないバスの運転手さんを見ながらどんな気持ちで日々運転しているんだろうと想像したわけです。中には気楽に運転している方もおられるかもしれません。中には「誰も乗らんかったなぁ」と思っている方もいるかもしれません。住民から、「誰も乗らんのに給料をもらっとる」という声を聞いたこともあります。その言葉を聞くと、私はちょっと切ない気持ちになります。
それはバス通園、バス通学の経験を思い出すからです。今思うと、バス停から目的地まで子どもたちを乗せていただけでなく、子どもたちの夢や希望を運んでくれていたんだなと思うからです。無邪気に笑ったり遊んだりしながら成長する子どもたちを支えてくれていたんだと思います。時代の変化や人口減少で現在は乗る人が少ない状況ですが、当時も今も運転手さんに感謝です。

今回は子ども時代のこと思い出すと同時に、働くことについてどんな意味を持っているかみたいなことを綴ってみました。

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