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Chara「命のまつり」その3

波の音を聴きながら、書いています。
今回は保育園時代の私です。

家出・・・・どこまで行けるかな

4歳から保育園に通いました。お寺にある保育園で、園長先生はお坊さんでした。悪いことをするとお寺の本堂の仏様の前に正座させられ、のんのん様(仏像)にもうしませんと、手を合わせて約束させられたものです。のんのん様は、すずしい顔で「よしよし」と言っているようでした。
私はどちらかというと気が強くて、負けず嫌いで、運動が大好きな女の子でした。同じ組の中ではナンバー2くらいの存在でした。

当時、カラーテレビが家にやってきました。手塚治の「ジャングル大帝レオ」とか「リボンの騎士」が大好きでした。保育園に持っていくお弁当箱は、リボンの騎士サファイアの絵が描いてあるものでした。男まさりな私にとって、サファイアは憧れの存在でした。女の子だけど強くて正義の味方。
キャリアコンサルタント講座の中で、キャリアストーリーインタビューというのがありました。6歳頃、だれに憧れましたか?という質問に、リボンの騎士サファイア(女の子なのに敵を倒し仲間を守るから)とジャングル大帝レオ(成長した姿が勇敢)をあげていました。強さや正義、勇敢さに憧れる女の子だったと思います。

そして、その気の強さというか勇敢さが子供の冒険心に火をつけ、あの家出事件が起こったのでした。6歳の私は近所の1歳年上のけんちゃんと2人で、どこまで遠くに行けるか歩いて行ってみることにしました。なんでそんなことになったのかよく覚えていませんが、母親に叱られたから? 遊びの延長なのか?記憶が曖昧です。しかも土砂降りの雨の日に、2人で1つの傘に入り、夕暮れ時の国道を西に向かい歩いていきました。遠くへ、遠くへ、どんどん、どんどん。

しばらく歩いていたら、知らないおじさんが声をかけてきました。おじさんに名前と保育園、住所を聞かれました。多分、おじさんは警察官だったのかなと思います。聞かれた質問に私は得意げに答えました。日頃から母親に練習させられていました。それはなぜか?? そう、私が「ちょろみ」だからです。一緒に出かけても姿を消すことがあり、母親が仕込んでいたのでした。そして、けんちゃんと私はパトカーに乗って家まで送り届けられたのでした。けんちゃんと私は、のんのん様ではなく母親の前で正座させられ「ごめんなさい」をしました。けんちゃんのお母さんも来て、1歳年上のけんちゃんはすごく怒られていました。けど、今回のどこまで行けるか家出しようとけんちゃんをそそのかしたのは、何を隠そう私だったのでした。けんちゃん、ごめんね。                 

次回は、妹が生まれたにつづきます。 
 



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