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Chara「命のまつり」その16~看護学校

高校を卒業し、広島にある大学付属の看護学校に入学した。
山陰の田舎暮らしだった私にとって、広島は目新しい事や物が多く色んな意味で楽しかった。

そこでは、半年間は寮生活をすることになっていた。
寮と学校は徒歩で5分、ぎりぎりに起きても走れば間に合う近さだった。
時代は昭和、今では想像もつかないことがたくさんあった。
部屋は3人部屋で、もちろん畳部屋
門限は21時で消灯も同じ
お風呂は20時45分まで、それをすぎるとお湯は抜かれちゃう
テレビは共同ルームに1台のみ
電話は公衆電話が1台
冷蔵庫も共同、名前を書いて入れるのだけど行方不明?が多発

そんな寮生活の楽しみは気の合う仲間の部屋に行き、たわいないお喋り
土曜日や長期休みは外泊が許されていた。
泊まるところがあるわけでもないのに仲間と外泊デビュー、
本通り、八丁堀や流川あたりで通り過ぎる人をウオッチングをしながら
夜明けまで過ごしたりした。

この頃よくサザンオールスターズの曲を聴いてた。『YaYa〜 あの時代を忘れない』とか『メロディ』とか好きだったな。

寮に入りたての頃は、時々ホームシックになって、それでも仲間には弱い姿を見せたくなくて、両親にも泣き言を言いたくなくて、そんな時は一人で音楽を聴きながら天井を見つめて泣いていた。
2年前に学んだ交流分析の中にドライバーというのがある。当時の私は
強くあれ】というドライバーに影響され強がっていたのだと思う。

表面的には強がっていたのだけれど、ある日、祖父から手紙が届いた。
その文面と、封筒の中に入っていた1000札を見て私は号泣した。
「おじいちゃ~ん、逢いたいよぉ~」と心の中で叫んでいたのでした。

そして、半年後私は寮を出て一人暮らしを始めるのでした。
つづく


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