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自動字幕を積極的に使用していこうぜ!という勧誘記事

科学技術の発展なんて興味がなかった。

高校生になると「理系or文系」という謎の人類の選別が始まる。
私は文系に進んだのだが「消極的文系」だった。

まずもって、科学の元素記号の意味が分からない。
何をもって「元素記号Aと元素記号Bが結合したCという物質」が存在していると証明しているのかわからない。
私の中では「水は水」なので「水素と酸素が結合して水になります」という説明は理屈は理解できても、何の実感も伴わない。
一応、テストがあるので勉強はしていたが、理屈ばかりを覚えるの事に対しての苦痛が酷くて、早々に赤点ギリギリの低空飛行を結構する事にした。
墜落しなければ、一応、飛び続けられる。
ちなみに、物理の式も意味不明だった。
物理のテストで「頂点での物質のスピードは?」とかいう問いを必死で覚えた知識だけの計算式をフル稼働して解いたが、答えは「0」と知ってから何もかも放棄した。

だからと言って文系科目が得意だったか、と聞かれたら全くもってそんなことはなかった。
世界史は何度赤点を叩きだしたことだろう。低空飛行どころか何度も墜落してボロボロだった。
単純に世界史担当の先生が嫌いだったという事もあるが、私が得意だったのは「紀元前」なので、最初の数回の授業が終われば全てが不得意分野の塊だった。
紀元前はロマンが詰まっているので好きだった。今でも好き。考古学というかオカルトが好きだったので、古代文明とか想像するだけで涎が出る程、好きだった。

唯一、好きだったのは「倫理」だったのだが、大学受験という高い壁の前では何の役にも立つことはなかった。
まぁ、幸い、推薦入試枠を利用して夏休みの間に小論文に特化して、面接は無難に乗り切って、早々に大学戦争のレールから飛び降りた。

だから、私は私に対して「頭が悪い」と思っている。
学校で学んでいた勉強が何一つできなかったのだから。

今でも、若干、その頃のコンプレックスが残っている。
特に「理系」という単語を聞く度に、全く対抗する事ができなかった問題の数々を思い出して頭を抱える。

でも、その「理系」という分野を利用している人々が創り出す物は好きだった。

私には何一つ理解できない原理で動いている機械の有象無象が動いている。
大げさな表現だが、それは「魔法」にも見えた。
今でも原理がわからないモノは無数に存在しているので、やっぱり魔法の様に感じる。

しかし、それらに対して「不思議」とか「凄い」とか「便利」とか感じる事はあっても、「それを利用してやろう」という思いはあまり湧いてこなかった。
当たり前すぎてその感覚が薄れているだけなのかもしれないが、あくまでも「生活家電」であって、それ以上でも以下でもないような感覚だった。

そんな生活を続けいていく中、ひとつの動画が目に留まった。

衝撃的だった。

前々から「音声文字変換」という存在は知っていた。
しかし、それを利用するイメージは全くわかなかった。
学生時代に「要約筆記」という、耳が聞こえにくい人に対して講演者の話の内容をパソコンにリアルタイムで打ち込みながら伝える、という仕事をしていた。
ある程度のタイピング速度があったので重宝されていたが、やっぱりいくつかの問題が存在していた。

その中でも「人間である事」の弊害が大きかった。

ひとつは「体調に大きく左右される」という点だ。
基本的には講義の空いたコマで仕事をしていたので、5限目の仕事になった時は地獄だった。とんでもなくしんどい。
また、体調不良や寝不足はもちろん、テンションによっても大きく左右される。タイピングが走るか否かは、結構、左右された。

もうひとつは「専門用語に全く対応できない」という点。
言葉を聞いても漢字が思い浮かばなかったり、話を聞いても要約できる知識量がなかったりした。
そんな時は漢字はカタカナにして、要約できない場合はとにかく聞き取った文字を全て打つという事で誤魔化していた。

もちろん上の問題に対しても様々な工夫はなされていた。
体調問題に対しては「2人1組」という体制を取ったり、
専門用語問題に対しては「事前にレジュメを貰う」という方法で乗り切っていた。
もう要約筆記から離れて何年も経っているので、もしかしたら、今はもっといい方法が開発されているのかもしれないが。

私は科学技術の発展に対して
「それを上手く利用できなければ意味がない=上手く使えない自分はお呼びじゃない」と思っていたし、
「最終的に人間対人間でなければ問題は解決しない」とも思っていた。
色んな技術が発展する中で、私がピンとくる医療・福祉の分野で明確に活用できる技術がなかった、というのも理由の一つだったが。
まぁ、それに対しては私が科学技術に対してフィルタリングしていたのだろう、と思うのだが。

そんな私のフィルタリングをぶち壊してきたのがこの技術だった。

これを知って自分なりに試行錯誤する日々が始まった。
しかし、科学技術に対して生活家電以上の成果を求めてない日々を送っていたので、まずやり方を見ても理解ができない。
理解できない事を調べても理解ができない。
自分が何を理解できていないのかが理解できない、という辟易するような道のりを歩き続けていた。

そして、ようやく音声字幕を使用しての動画を撮ったり、Youtubeのライブ機能に字幕を付ける事に成功した。

使用してみて「昔より精度は格段に上がっている」と心から感じた。
私が現役で要約筆記をしていた時は、全く選択肢に入ってこなかった。
それが、ここ数年で爆発的に機能が向上している事に対して驚いた。

もちろん、万全ではない。

しかし、じゃあ「何処に到達したら完全なのか?」という疑問が浮かんでくる。
むしろ「使用しながら自分なりに試行錯誤する事が大切なのでは?」という風に思っている。

だから、是非とも使用してほしいと思っています。

まずは遊びでいいから使用してみてください。
「こういうソフトがあるんだなぁ」と知る事が大切だと思っています。
利用するかどうかは状況に合わせていく事ができるので。

今後も試行錯誤を続けていけたらな、と思っています。

最後までお付き合いただきまして誠にありがとうございます。 「サポート」も嬉しいですが「スキ」も嬉しいです。 思ったり感じたりしたことがあれば、是非「コメント」もしていってくださいね。 本当にありがとうございました。