何を求める 風の中ゆく
「何を求める 風の中ゆく」
この俳句(いわゆる「自由律俳句」ですが)に出会ったのが
山頭火(種田山頭火)を知るきっかけです。
そのインパクトの強烈さにすっかり魅了されて、
その後しばらくは山頭火に熱中したものです。
そのほかにも自分のお気に入りの俳句としては
「うしろすがたのしぐれていくか」
「まっすぐな道でさびしい」
「ひっそり咲いて散ります」
「ふたたびはわたらない橋のながいながい風」
「秋風 行きたいほうへ行けるところまで」
「こうまでよりすがる蠅をうとうとするか」
「こころ疲れて山が海が美しすぎる」
「濁れる水の流れつつ澄む」
などなど。
人間のはかなさ、孤独感、むなしさをこれでもかと詠んでいます。
そこに強烈な共感をしました。
もともと山頭火という俳人は
各地を放浪した人物で、
その意味では、
究極の「自由人」であったわけです。
無意識にそれにあこがれを抱いていたのかもしれません。
今でこそ、特にそう思いますし、
だから、山頭火に惹かれたのは
ある意味必然だったのかな?と感じたりもします。
アメリカでも俳句のブームがあって、
一説によると、
アメリカでは芭蕉や一茶より人気があるらしいですし、
その中でも
上記の俳句の「まっすぐな道でさびしい」が一番好まれているとか。
(ちなみに英訳では
This straight road, full of loneliness
となるようです)
また、日本各地に設置されている碑文の中で
一番多いのは山頭火の俳句という話しも聴いたことがあります。
にもかかわらず、日本では「自由律俳句」ということで
あまり高い評価があるとは言い切れない部分もありますが、
少なくとも僕の中では一番大好きな俳人です。
こういうことも身近な人に話したりするんですが、
共感してくれる人は皆無といっていいくらいで(涙)
そんなこともあって、
ソウルメイトとは言わないまでも、
同じことに、より共感してくれる人を渇望しているのかもしれません。
(まあ、無理でしょうけどね)
それはこの山頭火に限らず、
大抵の場合、僕の価値観は、
世間一般としては理解してもらえません。
そういう世の中の流れに逆らって生きてきましたから、
「生きていて楽しい」と思えないのも無理からぬことなんでしょう。
おそらく、その根本的な原因の一つは
長岡の片田舎で育った小学生が
当時は世間からまったく見向きもされなかった
「近鉄バファローズ」のファンになったことなんだろうと思います。
(あるいは、もともとそういう気質だったからこそ、
近鉄バファローズのファンになったのかな?)
いずれにしても、それはまた別の話しなので、
改めてお話ししたいと思っていますが。
ほかにも人生を「反主流」でいきることとなった
大きな原因にも心当たりはあります。
その話しもいずれまた。
(まあ、興味のある人がいるとは思えませんけど)
こんな考え方になると、
絶対に世の中が生きにくくなりますから
良い子は絶対に真似しないでくださいね(笑)
おしまい♪
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