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セクシュアリティ

昔からお前は男みたいだ、と親にも言われて育った。
幼い頃はいつになったら男の子になれるの?と聞いたらしい。お父さんについてるものがなんで私はないの?いつ生えてくるの?って聞いたのは朧げに覚えている。
中学生まで男の子と間違われた。女子が羨むセーラー服の学校だったけど、私はスカートが好きじゃなくて、学ランを着たくて仕方なかった。今はブレザーで下を選べるようになってきたもんね。
入ると決めた塾に行った初日、あ、今日からの高橋くんだね、とか、家族旅行で行った温泉の女子トイレに入ったら、あらやーだ、男の子はあっちだよ、と知らないおばあちゃんに言われたり。
自分は自分で、ゴム段とかあやとりとかにはじまり、メイクとか長い髪の扱いとかなんだかよくわかんないから、男の子と一緒に川で魚捕まえたり、ドッジボールしたり、ゲームとかボーリングして遊んだ方が好きだった。
でも、好きになるのは男の子。それでも自分は男の子になりたかった。
長男が欲しかった家の長女に生まれて男の子みたいに育ったからなのか。
男の子だったら、大きくなって絶対君主の父親と戦えると思ったのだろうか。
あの、ただ男の子に生まれたかった、と思っていた気持ちってなんだったんだろう。
ある学生時代の夜。どハマりしていたブリティッシュミュージックのPVをMTVで散々観て、さあもう寝ようという時に、携帯電話が鳴った。夜に呼び出す飲み友達か、もう寝るからなあと電話を見ると、ただ携帯番号が表示されている。普通そういう電話は出ないものだが、その時私はなんとく出た。知らない可愛らしい女性の声で、歳は私と同じかそれより下かというところ。「先輩ですか?」一瞬、もしかして誰か後輩の電話番号を聞いたのに、登録するのを忘れていたかな?と思って、名前を聞いたが全く知らない女性だった。多分、あなたがかけた番号は間違っていますよと伝えた。すると、ホッとしたような、力が抜けたような感じが伝わってきて、話聞いてもらえますかと言う。向こうがかけてきた電話だし、少しなら全く他人ですけどどうぞ、と言うと、「実は好きな先輩に告白しようとしたんです」となんだかドラマみたいなことを言っている。誰かがふざけていたずら電話してきたのかな、この声誰か知ってる人かな、とか聞きながらもまだなんか疑っている私。しかもその先輩とは女性なんだそうな。聞いている私もハタチになるかならないかだし、ほうほう、そういう人も世の中にいるもんなと聞いていた。一通り告白しようと勇気を出したのに、知らない寝ぼけた女性に電話しちゃったまでの話をされ、頑張ってね。気持ちはちゃんと伝えようと決めたんだから、伝えるんだよと言って切った。でも切ってから、少し思い詰めたような感じもしたし、会って話してあげたらよかったかなと思った。いや、親切にしたら今度は自分のことを好きになったら困るな、私は男性が好きだもんなとも思った。(こういう考えをするあたりもまだ若かった)寝ようとしたところなのになんだかこっちが悶々としてしまった。結局、またかかってくることもなく、その一度きりで終わったただの間違い電話。自分の性別に対する認識に、何の疑問もなく生きてきたけど考えさせられた出来事だった。
今でこそLGBTQというのもあるけど、人間みたいに考えることができる哺乳類の性って一言で表せないんだと感じる。これからどんどんQの部分が言語化されて付け足されていくのだろうか。アルファベット何文字までいくかな。私がこういう感覚も持てたのも、あの時の電話のおかげかな。あの時の彼女、今は自分の思うままに幸せでありますように。
この頃はオカマのショーパプとか流行ってて女同士でお誕生日会しに行った。華やかで、面白くてとても楽しかった。オカマバーはディープすぎてここには書かないでおこう。フェミ男とかいう言葉もあったね。今は筋肉体操してるけど。 

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