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共感

共感すること。わかるよ、とてもわかる。辛いよね、大変だよね。傾聴してただふんふんとうなづいてくれる。話していることをただ聞いて肯定してくれる。本当に辛くて弱っている時にそういう存在は救いになる。それがテクニックだとわかっていてもだ。自分も仕事の時に仕事と割り切ってそうすることはあるし、治療している時の自分なんてまさに、医療従事者のそれに頼らないと乗り越えられない時がある。聞いてもらえることの有り難さ。聞いてもらっているという安心感で、人はなぜこんなにも喋れるのだろうと思う。喋らせてもらうことでつかえが取れて、また明日へ向かうことができる。
しかし聞いてもらっている立場で言うのも図々しいが、共感はその瞬間に、その時に言葉にしてくれればそのまま消えていってしまって欲しい。この共感というのは使い方を誤ると、とてつもなく邪魔くさくて鬱陶しくて、自分から遠ざけたいほど不愉快なものにもなる。この原因は、共感というものが同情と想像の点と点の間にあって、このポイントが自分とずれると言いようもなく不愉快になるのだと思う。一人の人間が一生で経験することはそれぞれとてもドラマティックであったとしても数は限られているのだから、想像力を養うことが共感力の違いになってくるのではないか。自分が病気になって一番に思ったことは、本を読んでいてよかったな、そしてこれからもたくさん読もう。知識は身を助くとはこのことだとつくづく思う。そして、小説やドラマの中だけの話だと思っていることは、いつでも次は自分が経験することかもしれない。危機管理能力をも養っている。
病気になって可哀想、とは、私自身も思うことだった。自分に病名がつくと途端に、可哀想、は違ったなと気づく。人間には適応する素晴らしい力が備わっていて、ショックを受けたとしてもそれを時間の経過と共に受け入れ、かなり時間が経った時にいよいよその苦しみとともに共存していこうと、渋々ながら思いはじめる。そこからが精神的な道のりのスタートであり、この道には生きてる限り終わりもないことを知る。これは、可哀想、ではない。生きている以上当たり前のことだ。病名を聞いてまずは手術からすることが決まった時、私の愛する友人は、ちゃぴは生まれ変わるんだ、体が生まれ変わるんだと言った。私も大事な人にそういう言葉を言える人でありたい。病気をして初めて、友人たちの共感力の高さに気づいたおバカな私であった。いつもみんな本当にありがとう。
緩和ケアというものは、調べればすぐわかるが、がんを治療することになるといつでも利用することができる。緩和ケアって名前が、寝たきりになってからがんの痛みを緩和するための、がん自体の痛みにまつわるケアのように聞こえるのだが、ステージ0であろうと4であろうと治療の精神的な辛さや副作用の辛さはあるので、チームがある病院ではあらゆる職種が一丸となって対応してくれる。このチームの人はがんに対して理解と共感が特に強いので、私も初発の時の治療は副作用がキツくて心が折れそうだったが、このおかげでなんとか完遂できた。身体症状は解決できなかったが、この折り合いをつけて治療を続けましょうというものだからこういうものだろう。本当にもう何もかも嫌だとヤバくなる前に、軽い気持ちで治療を続けられるようにプロの力を借りてうまくやろう、というのがいいと思う。私は主に入院の時に利用していたのだが、外来でも利用してこまめにケアしたいと申し出ると、ではいつもの婦人科の後に予約を入れて緩和ケア外来も受診できるようにしていきましょう。と言われ、外来でもお世話になることとなった。
ところが、予約を入れても、婦人科待ち時間3時間、緩和ケア外来待ち時間3時間となった。毎回これじゃあ、外来待ち時間の苦痛のためのケアが必要になるではないか。これに懲りて2回ほどで外来では利用するのはやめることにした。ああ、でもこれを利用して待ってでも治療を続けたいという気持ちの人たちが他にもたくさんいるからではないか。私はもう今のところは大丈夫、混んでるからいいやと思えるもの。他に必要な人に一人でも順番を譲れるならそれがいい。利用する人たちへの共感が、私を緩和ケアから一旦は卒業しようという気にさせた。そして再発後の治療は、結局緩和ケアのお世話にならずに済んだ。いつでもそばにあると思うと、それも意外と支えになるものだ。
緩和ケアを担当してくれた看護師さんは私と歳も近く、いつもよく聞いてくれて、吐き出させるのがとても上手だった。いいのいいの!今の辛さを思ったままに言ったらいいよと言われて、主治医のことを、
「あのクソジジイ、治療優先ばっかりしやがってー!こっちは辛いんだよー!副作用もなんも解決しないじゃんかよー!」
とおいおい泣いた。いやいや、思ったままに言い過ぎだろ。そして、もちろん、かつて医療関係で働いてたのでわかるが、全て看護記録などとして残し、医療従事者は私という患者のことをシェアする。あの看護師さん、仕事できそうだったもんな。どうかカルテに、あのクソジジイだけは書いてありませんように。今も通うあの病院にクソジジイって残ってませんように。いつも、勤勉で寛大な医療従事者への感謝と尊敬の念を、私は他の人よりだいぶ多めに抱いております。



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