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父の善意、私の願い。

こんにちは、魅力覚醒講座15期のフランソアです。

今日は、父と娘について。元日のシーンを振り返ってみます。

毎年元旦は、姉家族も集って、おせち料理を囲む。姉と姪っ子が振りまく明るさに、とりわけ父の顔がほころぶ様子を眺めながら、私は例年通りに淡々と食卓についていた。取り立てて気持ちが盛り上がらないのは、家族の関心が私にはないと思っているから、食べることに専念しようと思ってのこと。

いるだけで幸せな気分にさせる姉と、何をやっても可愛がられる姪っ子が、いつも両親の注目の的。特に、父の愛と笑顔の対象である二人。

だから私はいつも、食事を終えたらそそくさとその場を離れていたけれど、今年は違った。姉家族が帰る夕方まで、その場にとどまっていた。

なぜか、そこにいることが心地よかったから。
なぜ?

例えば、皆が姪っ子の動画を見てはしゃいでいても、姪っ子の関心はいつでも私にあって、それでなんとなく満たされたから?

いや、それよりも父のことだろう。その日はなぜか「私も家族だんらんの一員」という感覚を持てたのだが、その理由が、父にあったような気がする。

と言っても、父が私に対して、何か優しい態度をとったということではなく、むしろ相変わらずの振る舞いなのだが、そこに私が見出した意味が、今までとは違ったのだった。

食後のデザートをいただく段になり、父がコーヒーを淹れると言う。姉と私が飲みたいと手を挙げ、コーヒーを待つことになった。するとしばらくして義兄から「僕はコーヒーが飲めないので、紅茶をもらってもいいですか?」という声が。どうやら父は姉夫婦と父自身のためにコーヒーを用意したらしい。そして、父にコーヒーを渡されて恐縮した義兄が、遠慮がちに紅茶を依頼してきたのだった。

"私は? コーヒー飲みたかったのに。お姉ちゃんと一緒に、私も欲しいって言ったじゃん!!どうしていつもお姉ちゃんの声しか拾ってくれないの!?"

父に存在を無視されたと感じた私は、父に詰め寄った。コーヒーなどすぐに淹れられるし、紅茶でもよかったのだが、ただ寂しさを訴えたかった。それに対して、父は言葉を失って、困りきっていた。その姿をどこか冷静に見つめながら、「あの時に似てる」と私は思っていた。

それは、昨年夏の、父方の祖母のお葬式でのこと。棺に入れるための思い出の品として私が用意したものを、父はなんと家に置いてきてしまったと言う。父が用意した袋に詰めたのだから、そのまま持ってきてくれると疑わなかった。それらを棺に入れられないと知らされた私は「なんで置いてきたの!?」とその場で父に問いただした。その時も父は、言葉もなく途方に暮れていた。

私の品を置いてきた理由について「お前の大切なものを、お前が間違えて袋に入れてしまったのだと思って...」と言った父の思考回路は理解不能で、唖然としたのだが、振り返って思うのは、結果はどうあれ、父は善意からその行動を取ったのだということ。こうしたらいいと思ったら、それ以外の選択肢はないのが父なのだと思う。

今回のコーヒーについても、お客さんにコーヒーを出してあげようと思い立ち、ただ一心に湯を沸かし、丁寧にコーヒーを淹れてあげたということなのだろう。ただ単純に、父の善意の目標が、私の希望することとは違かった。

その後コーヒーを飲んでいる時、私が姪っ子のために選んだスカートを、父が褒めた。と言っても、私の機嫌を取るためではなく、服にこだわりのある父が、その目に良いと写ったものに対してコメントしたに過ぎないのだが、私は褒められたと感じて、嬉しかった。そして父の発言に、私の存在があったと感じられた。だから、私はそこにいてもいいという感覚を得て、日が暮れるまでその場を離れなかったのだ。

父への理解が進んだ、コーヒー事件。父は私の期待通りには動かないけれど、たまに悲しい思いをさせられるけれど、どうやら善意からきてるらしい。そう思えなかった以前だったら、例えば今回なら、父が意図的にコーヒーメンバーから外したとさえ、考えていたと思う。

もし振り返ってみたら、善意ベースなのに私が勝手に悪意を疑ったケースはけっこうあるのかもしれない。そして気づいて是正すれば、居心地のいい場所が増えるかも。今後も同様の事は起こると思うけれど、その時には、まずは無心でコーヒーブレイク!相手も自分もゼロベースにしてから始めよう。


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