都市の身体的空間把握(牛込神楽坂と上野御徒町)

車に普段乗らない人間からすると、住んでいる/住んでいた場所や通っている/通っていた場所の周辺以外の場所は電車の路線図上で理解する。しかし、実際には違う駅でも徒歩圏内にあって、有機的な繋がりを持っていることがある。

都営大江戸線という路線は20年前くらいにできた割と新しい地下鉄であるが、そうしたケースが特に多い路線だ。
牛込神楽坂は大江戸線単体の駅で乗り換えは存在しないが、名前にある通り東西線の神楽坂駅まで歩いていくことができる。むしろその道中というのは神楽坂の中でも買い物客等で賑わっているエリアの一つで、この駅間を歩くことは神楽坂という街の魅力を楽しむことに役立つくらいである。このようなことは単に路線図を眺めているだけでは全く検討もつかないことだ。
上野御徒町という駅はそれ以上に曲者だ。この駅は路線図上でもさまざまな路線と乗り換えられることが示されている。特に銀座線の上野広小路駅などは地図上で見ると綺麗に十字に重なっており、なぜ駅名を上野広小路に合わせなかったか不思議なくらいだ。ただ、この駅はそれだけではない。乗り換え案内には含まれていないものの、上野駅の特に不忍口とはかなり近い位置関係にある。つまり、上野駅から歩いていけるエリアに上野御徒町駅からも歩いて行くことが可能なのだ。これは言わば裏口のようなものだ。上野には他にも裏口的な駅が多く、千代田線の湯島なども不忍口からかなり近い場所にある。上野の街というのはこうした複数の駅が複雑に絡み合った有機体として成立している。

街というのは実際に何度も歩いてみて、そしていくつかの店や施設に入るなどして初めて理解できるものだ。そのような街の理解の仕方を身体的空間把握と呼びたい。特に東京という都市はあまりに複雑で広すぎるため、東京全体を身体的空間把握することは事実上不可能であると言って良い。それは逆に言うとチャンスである。確実に東京の中にはまだ自分が全く理解していない、身体的空間把握ができていないエリアがたくさん存在しており、そこには思いがけぬ喜びがあるかもしれないのだ。フロンティアは東京の中に存在している。

だから、自分の極めて狭窄した視点からの網羅思考は実は何も網羅できていない可能性が高い。今までに得たわずかなものの中から手がかりを見つけ、裏口を見つけることも必要かもしれない。社会というのは広いようで狭い。そして我々の認識は常に歪んでいる。見かけの間口というのは当てにならない。決して楽ではないかもしれないが、近道というのはあるかもしれない。そして実はその思いもよらぬ近道こそが未来へ通じる唯一の道だということもあるのだ。

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