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感動したから心が動くわけではない

♫“IKIJIBIKI feat. Taka”-RADWIMPSを流しながら。

唐突にこの曲にはまった。
とてもじゃないけれど、なんとも言えない気分になって考え込んでしまう。

脳裏に「顔が見えそうで見えないようにモザイクがかかっている。声も聞こえそうなのに、かすかに動く唇から何かを欲していることはわかるのだけれど、うまく言い表せないもの」が映るのだけれど、それがなんなのかとは言葉では言い表せないとずっと思っている。たまにこの衝動が抑えられない。


“こころがうごく”

というと「感動した」とか「前向きな気持ちになった」とか純粋な響きがするけれど、本当に心が動いているときのことを考えてみると、案外気持ち悪いものなのかもしれない。

私が一番こころがうごいてるときは、ヒトの“野性”が見えたとき。

簡単なものだと「おなかが空いた」とか「もう眠い」とか。
なんの脈絡もなくそのようなワードが聞こえてくるとグッとくる。
好きだから「手を繋ぎたい」とか、純粋に触りたいという欲求に愛おしさを感じる。


私は潔癖だった。
気が付けば治っていたのか、あまり気にしなくなったのだけれど、人が飲んだ後のペットボトルに口はつけられないし、そもそも回し飲みはしない。
蛇口も触りたくないので、手洗いで蛇口触って洗って、水を止める蛇口の触ったところが気に入らなくてまた洗って…のエンドレスループでなかなか終わらないこともあった。
人の家に行くのも嫌だし、旅館等での泊りの布団にも入れないような人間だった。

そんな人間でも同棲している。

…心が動くとき、の話に戻す。

蛇口を触れない私の目には見えない菌が見えていたりする。
それなのに、彼氏とは手を繋ぎたくて繋ぐ。

“野性”というか、イヌというか。マゾヒズムというか。


SMという愛し合い方は、お互いに信頼関係が成り立っているから成立する。

という話を聞いた。
確かに、と思う。…と同時に、見えない信頼に心を寄せているというのは不思議だとも思う。いつかそのまま首を絞められるかもしれないのに。わからんけど。

兎にも角にも、汚いものを嫌がるのに汚いと思わない状態が発生しているところや、見えないものを信じて体を委ねているところに意味わからずも、心が揺れる。

仕事では厳しいのに、家では甘えるとかギャップにグッと来ているという話ではない。
一言でいえばギャップだけれど、ギャップに萌えるというより、ヒトらしいなと思うから。
好かれたいとかそういうエゴ的なもの。口では正論を述べていてもそれだけじゃないよっていうループしてしまうもの。(正論vs正論は混とん?)

私の悪い癖が出ている。
伝えたくて書いてるのではなく、わかる奴だけわかればよい。
これはいわば曲である。

つまり、気持ち悪いものと純粋さは表裏一体。

これが私の頭の中の話。


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